月曜日・三
A
あなたは神を信じますか?
Q
昔はいたのでしょう
今はもういません
◇◇◇
喫茶店を出て、少し本屋を見てまわってから電車に乗って家に帰る。
駅からちょっと寄り道してちーちゃんの家の前を通る。
草薙千尋、僕の幼なじみ。同じ宗教団体の子供の会で出会った女の子。
住んでいるのは古い木造の住宅。そこでちーちゃんは母親と二人で暮らしている。
ちーちゃんの母親は信仰心熱き人で、それが原因で離婚している。ちーちゃんの父親と兄は今はどこに住んでいるのだろうか。
ちーちゃんの母親は厳しい人でちーちゃんは母親の言いなりだから、ずっと友達もいないようだ。
教団の子供の会をよくサボっていた僕はちーちゃんの母親から見て友達に相応しく無いようで、『あんな信仰心の無い子といっしょにいちゃいけません』とちーちゃんを躾ていた。ちーちゃんは母親に逆らえなくて、僕はちーちゃんと疎遠になり中学に入ってからは話もしたことが無い。
本当はいろいろ話もしていっしょに遊んだりしてみたかったけれど。
僕と遊んでいればちーちゃんは叱られる。だから僕もちーちゃんを避けるようになった。親というのもいろいろいるのだろうけれど、ちーちゃんの母親は少しおかしい。
子供が出来が悪いこと、勉強ができないこと、なにかをすれば失敗したりすること。
ちーちゃんの母親はそんな子供を叱りつけて自分の優秀さを確認して満足するような人。
ちーちゃんはそんな母親の自尊心を満足させるために小さい頃から気を遣っていた。
百点満点が取れそうなテストでもわざと間違える。そのテストを見たちーちゃんの母親は、こんなこともできないの? とちーちゃんをなじって叱って満足する。
あの母親のもとで無ければ、ちーちゃんは勉強も運動も優秀な方だ。ただ、母親を不機嫌にさせないように全力を出さないようにしている。テストは平均点を下回るように調整して、体育も頑張ってるフリをするのが染み付いてしまっている。
ちーちゃんはうつむいてばかりだけど、顔は可愛いと思う。
母親が熱心な信者でその娘は可愛い中学三年生の女の子。そしてこの家に問題の教団幹部が入って行くのを見たことがある。
歩さんに渡したリストには草薙千尋の名前の横に、赤い二重丸を書いておいた。
ちーちゃんも先輩と同じ、家族のために自分を殺して自我を潰している。
どうすれば人は自由に生きられるのだろうか? それとも自由なんてものは現実には存在しないただの概念でしかないのだろうか?
ちーちゃんと先輩、僕にとって縁のある二人。できれば幸せになって欲しい二人。
僕にできることはやり終えた。あとは結果を見守るだけだ。
ちーちゃんの住んでる木造の住宅から視線を剥がして家に帰ろうとすると、そこに佳介さんがいた。
車の通りの少ない住宅街。ブロック塀の前で少し腰の曲がったお爺さんと話している。
なぜか佳介さんはのこぎりを持ってる。お爺さんと話ながらブロック塀の上から道路にのびてる木の枝にのこぎりをあてて切り始める。
僕は佳介さんに、
「こんにちわ、何やってるの?」
「おー、宏佑くんか。ちょい手伝ってくれん? この枝押さえててくんね?」
「いいけど」
両手で道路に出た木の枝を押さえる。佳介さんはのこぎりで木の枝を切り落とす。
切れた木の枝はちょっと重い。持ってると、見てたお爺さんが佳介さんに頭を下げる。
「すんません。助かります」
「で、じいちゃん、この木の枝どうする?」
「庭に入れといて下さい」
「俺が捨ててきてもいいけど? じいちゃんこれどうやって処分するつもりだ?」
「年末に息子が帰ってくるので、息子に頼みます。庭に入れといてくれたら、あとはうちでやりますので」
「じゃ、投げ込んどくか。宏佑くんそっち持って。いくぞ、いっせーのせっ」
佳介さんと二人がかりで重い木の枝を投げる。ブロック塀を越えてその向こうに落ちた。
佳介さんはお爺さんにのこぎりを返して、
「じゃーな、じいちゃん。年寄りが一人で無理すんなよ」
お爺さんは僕と佳介さんに深く頭を下げて、ありがとうございますと言う。
佳介さんと並んで歩きながら、
「佳介さん、何やってたの?」
「あのじいちゃんが木の枝を切ろうとして危なっかしいから手伝ってた」
庭のイチヂクの木がブロック塀を越えて道路に。道路に伸びた木の枝をなんとかしろと苦情が来たという。
あのお爺さんが一人でのこぎりで木の枝を切ろうとしてたところに佳介さんが通りかかったと。
「年寄りの一人暮らしで文句を言いにくる奴はいても、手伝ってくれるのは一人もいなかったらしいな」
「また人助けだったの。よく出くわすね」
「そういう天命なんかね。寒くなってきたからセーターかジャンパーでも盗もうとぶらついてただけなんだがねー。宏佑くんは何してんの?」
「ちーちゃんのことが気になって。あそこがちーちゃんの家」
「ちーちゃん、ってぇと、あのお嬢ちゃんか。あの木造のボロい家がお嬢ちゃんの家か」
「母子家庭で苦労してるみたい」
「シングルマザーとか大事にして支援してやんないと、この国はいつまでも少子化なんだろうな」
「まぁ、ちーちゃんの母親が熱心な信仰心で、お金があればお布施に出すのも生活の苦しい原因なんだろうね」
「生活も娘も犠牲にして信仰に捧げる、か。気にくわん話だなー」
「信仰で幸せになれるものなのかな?」
「なにが幸せか解らなくなったから宗教に入れ込むんだろう。本来のまともな宗教者にとってはいい迷惑だ」
「そもそも宗教が人に必要なのかな?」
「残念ながら誰しもが宏佑くんほど賢くは無い。理屈も理論も全ての人達が理解できるもんじゃ無い。ひらがなもカタカナも読み書きできなくて、自分の名前も書けないような人もけっこういる。この国は識字率ほぼ百%とか言い張ってるけど、実際のところ下の階級が目に入らないだけだ」
「そうなの?」
「自分の履歴書も書けずに代筆してもらっているのが、この国にどれだけいるか知ってるか? 字が読めても十年以上、本も新聞も読んだことが無い人もゴロゴロいる。まぁ、五十%も四捨五入すれば百%にはなるか。数字のマジックってやつだな」
「大人はそれなりに賢いものだと思っていたけど」
「自分がバカだと解ってるやつはまだましだ。自分のことを頭がいいと思い込んでる輩の方がカルトに嵌まって戻ってこれなくなる。自分を頭がいいと信じている奴は他人の話を聞かないし、信用しないし、信じない。自分が騙されているなんて、当人のプライドが認めない」
「無知の知、ソクラテスだったっけ」
「お、流石。まぁ、無宗教もそれはそれで問題なんだけどな」
「どうして? 無宗教の何が問題になるの?」
「冠婚葬祭、生きていくには宗教の世話になることが必要なんだ。だけど狂信的な無宗教信者は他人の信仰や生き方まで否定して、争いのもとになるから。そんなところで無駄に時間と体力を使うのも、どうかと思う」
「佳介さんは宗教ってどう思う?」
「特にどうとも思わんけどな。俺が神とか仏の存在とか実感したこと無いし。神とか悪魔とか幽霊とか宇宙人がいたらおもしろいとは思う」
「いないよりはいてくれた方が賑やかでいいのかもね。人が信じないと存在が伝えられないもの、か」
「そうだな。宗教自体は包丁とおんなじだ。上手く使えば料理を作るのに便利。使い方を間違えたら怪我をしたり死人が出る。問題が起きたらそれは宗教そのものが悪いんじゃなくて、使っている奴等の心が悪いか頭が悪いかなんだろうよ」
「それなら子供の手の届かないところに置いといて欲しいなぁ」
「大人でも簡単に使いこなせるもんじゃ無いけどな。一応注意しておくと、職場や学校、公共の場では政治と宗教の話はタブーだ。マナー違反だ」
「そうなの? 知らなかった」
「政治と宗教は個人で譲らない主張がある分野だからな。互いに妥協も無く言い争いになって喧嘩になる。日本はそのあたり洗練されてなくて無礼なもんだけど」
「佳介さんは海外に行ったことあるの?」
「アメリカとカナダとオーストラリアに行ったことある。ずいぶんと昔のことだけど」
佳介さんと歩きながら話をしてたけど、佳介さんが、
「ホームレスのおじさんと仲良くしてるのをご近所には見られない方がいいか。じゃ、俺は冬物衣料でも探してくるか」
「夜にまた遊びに行くよ」
「暖かくして来いよー」
と言って行ってしまった。冬物衣料、拾ってくるのか盗んでくるのか分からないけど、佳介さんならなんとでもなるのだろう。
あれだけ好き勝手に生きられるというのも羨ましくはある。
目についた困った人には手助けをして、縁の会った人の為なら殺人も気軽に請け負って。
己の正義感を貫いて、その代償が全国指名手配の殺人事件の容疑者。だけどそんなことも気にしないで、今も町をふらふら歩く。
宗教をどうでもいいと言いながら、独自の善悪の基準に厳しく人を助けて人を殺す。
佳介さんの存在とか考え方の方が宗教じみているような気がする。
捕まらない才能、逃亡の天才。
だからこそ何者にも囚われず、捕らわれずに正義も善行も思うままに好きにしているのか。
自由な佳介さん、不自由なちーちゃん。
二人を出会わせてちーちゃんはいじめから解放された。
さて、このあとは?




