月曜日・二
Q
好きな食べ物はなんですか?
A
エサに対して
好きも嫌いもありません
◇◇◇
注文したクロックムッシュがきたのでさっそく食べる。やはりここのクロックムッシュは美味しい。
「で、美咲さんのことなんだけど」
「説明しますが、僕の知っていることはだいたい歩さんに話しました。改めて美咲先輩のことで歩さんに話すことはあまり無いかと」
「じゃあ、なんでここに呼び出したの?」
「歩さんが美咲先輩に関わるなら、これが役に立つのかと」
僕はバッグの中から紙を取り出す。
「これはあの宗教団体のこの地区の少年少女の会の人達、その名簿と住所のリストです」
歩さんは驚いた顔でリストを見る。
「小学生以下の子供が集まるのが子供の会、中学生と高校生が集まるのが少年少女の会です。どちらも月に1回の集会があります」
僕はコーヒーを一口飲む。
歩さんは、
「宏佑くんがなんか凄いのは知ってたけど、よく持ってこれたわね」
「コピーですけどね」
「子供のうちから洗脳してるってこと?」
「それはどうなんでしょう? 洗脳と教育はどこで線引きして区別できるものなんでしょう?」
「愛があるのが教育、利用するだけに騙すのが洗脳よ」
即答された。歩さんのこういう論理を越える感情論て素敵だ。
「えっと続けますね。歩さんも知ってることですけど、確認のためにあの宗教団体について。あの教団ができたのは第二次大戦後の復興期。宗教団体ではあってもその目的は困った人達で助け合う相互扶助の会としてはじまりました」
「そんな歴史があるから、今の四代目教祖まで続いているのよね」
「仏教を精神的な支柱としつつも当時はヤミ米とか分けたり、皆で支えあって生活を復興させてゆこうというボランティアの集まりのような組織です。集会もインターネットの無い時代の情報交換の場としての意味合いが強いですね。あとは仏教の勉強会です。今の子供の会はこの仏教の勉強会の名残があって、僕が小学生のころに行った子供の会では紙芝居などありました。『ブッダとその弟子たち』という題材の」
「そんな紙芝居まで作ってるわけね」
「僕としては役に立ちましたけどね。もとは仏教のものでも数息観は健康法に近いし、不浄観は宗教というよりは哲学のような印象です。人の無意識も段階的に捉える考え方はユングの集合無意識に通じるところがあります」
「宏佑くん、本当に中学生?」
「来年からは高校生ですよ?」
なんだか歩さんが変な目で僕を見てるけど、
「この教団の宗教団体らしくないところが人気があるところなんでしょう。それで信者が増えた。ただし、助け合いのための組織という理想と主義があったのは二代目までです。三代目からは時代が変化したこともあって組織が拡大していきました。世界中に支部ができて大きくなります。テレビで出るような芸能人やハリウッドスターも信者になり、彼らの名前を利用して更に信者を増やしていきます」
「今じゃ政界にまで出てきてるからねー」
「人の数が力になる民主主義では信者の多い組織は票集めに便利ですからね」
「政教分離って知ってるのかしらね?」
「政は祭り事。アメリカの大統領も聖書に誓ってますから、政教分離は実現不可能な理想のひとつですよ。そして信者の数が増えたから教団出身の政治家も増えた。政党もこの団体の意向を無視できなくなった。選挙には組織的な票集めが可能な団体を味方につけられるかどうかは重要ですからね。これが三代目までのこと」
「今の四代目教祖に変わって変化があった。信者の数が少し減った」
「そうです。人が増えて教団の中で権力ができる。初代の理想は今はもう無い。今の四代目は教団にとって都合がいいように仏教を変更して信者に伝えている。解釈の違いとか言ってますが。これに昔からいた信者が仏教そのものを改造するようなやり方に疑問を感じて脱会する信者が少し増えました」
「それでもまだ信者は多いのよね」
「そうですね。でも、僅かでも減少したことが上層部に危機感を感じさせたんでしょうね。教団内部はより狂信的になっています。昔は仏教の経典を崇めていましたが、今では教祖個人を崇める集団です」
「カルト的な?」
「僕の印象では違いますね。大きく違いは無いのかもしれないけれど似ているものは」
コーヒーを飲もうとして、無くなっていることに気づく。
「すいません。ブレンドひとつ」
「私もアップルティーをひとつ。で、何に似てるっていうの?」
「テレビのニュース映像で流れる、北朝鮮のトップとその周囲の人達ですね」
組織のトップに万歳、万歳と口にする人達の集団。僕が小学生のころはそんな過熱ぶりは無かったと思う。
歩さんはその様子を想像してたのか、
「うーん。ねぇ、私がその教団の集会に潜入することはできるかな?」
「難しいですね。今は昔よりそのあたりは警戒されています。僕が勧誘したなんて言っても怪しいですからね。それで」
僕はバッグの中からボイスレコーダーを取り出す。
「これに僕が前回参加した集会の様子が録音されています。歩さんにあげますので、好きに使ってください」
「よく持ち込めたわねー」
「パンツの中に隠してました」
「え? これ宏佑くんのパンツの中に入ってたの?」
「他に隠すところが無くて」
歩さんはボイスレコーダーを人指し指と親指2本で摘まんで、
「あの、歩さん?」
「なに?」
「なんで、くんかくんかと匂いをかいでいるんですか?」
「あ、ごめんね、つい」
歩さんは取り出したハンカチでボイスレコーダーを包んでバッグの中にしまった。
僕はコーヒーのお代わりに口をつける。
うん。パンツの中に入ってたものなら、そんな扱いをされて当たり前なんだ。
僕が臭いわけじゃない、と思う。
だから僕がショックを感じる必要は無い。
僕が気に病むようなことは、この場にはなにも無いはずだ。うん、無いよね。
気をとりなおして話を戻そう。
「で、さっきのリストに戻ります。少年少女の会の参加者。この中で僕や美咲先輩のように親が宗教団体に入信してても、宗教団体の活動に熱心でない人、その名前の横に赤丸をつけました」
「この丸がついてる子達が、話ができそうってこと?」
「それはどうでしょう? ただの反抗期かもしれないし、部活とか友達とか他に優先することがあるのかもしれない。僕の見たところ歩さんが話をしやすそうなのは二重丸をつけた人達です。もちろんこの人達の親に見つからないようにすることが前提ですが」
僕自身が彼らとなにか話したわけじゃ無い。ただの印象から選択しているけれど、間違ってはいないだろう。
歩さんはリストを見ながらなにか考えている。
「うーん。これだけの子供たちが今、困っているのね。親は子供を選べない。子供は親と宗教を選べない。親の入っている宗教に物心ついたときには既に入信している、かぁ」
「それを言うなら産まれる国も産まれる時代も選べませんよ」
「それはそうだけどね」
「美咲先輩の両親は昔からあの教団の熱心な信者、だそうです。そのため美咲先輩は幼いころからまわりの大人達も宗教団体関係ばかりです」
それでいてあの教団に染まらない賢さが美咲先輩にとっては不幸なんだろう。
「宏佑くんも状況は同じなんじゃないの?」
「僕の場合、両親が入信したのは僕が保育園の頃です。それに両親共に仕事が忙しく教団の集会もサボりがちでしたから」
「いろいろありがとうね。宏佑くん。もう一度美咲さんに会ってみる。それからこのリストの子達にも会ってみるね」
「一応注意してください。あの教団が怖いところは、普通の人達というところです」
「でも、狂信的なカルト団体なんでしょ?」
「そこが違います。そこを注意してください。怪しい服装でもない。おかしなペンダントや奇妙なブローチもしていない。御利益のある壺も霊験あらたかなお札も無く、あくまで普通。とにかく普通の人達。勧誘も法に触れることなく気をつける。教義も古くからあり日本人の生活にとけ込んだ仏教。一般人から見て危険と感じられるカルト的な部分、怪しいと見られるオカルト要素を徹底的に排除しているからこそ、これまで敵を作らずに世界中に支部を持つほどに信者が増えたんです」
「今まではそうだったけど、でもこれからは違う」
「そうですね。今の四代目教祖は違いますね。教団出身の政治家を増やすために頑張ってます。政治資金のために要求するお布施の金額が増えてますからね。それでも分かりやすく危ない集団に見えないことこそが特長でもあります」
歩さんがまじまじと僕を見る。
「なんですか?」
「宏佑くんが、苦労してるなーって思って。両親にあの教団から脱会して欲しいんでしょ?」
「それは、まぁそうですが」
「宏佑くんが頭が回るからかもしれないけれどね、宏佑くんぐらいの歳ならそんな理論武装とかしないで、もっとわがままに感情を口にして欲しいんだけど」
「そうですか?」
「私も含めて、宏佑くんの両親も、まわりの大人達も宏佑くんの感情を受け止めきれないって諦められちゃったのかって、ね。自分の不甲斐なさに嫌気がする」
「これは、歩さんが気にすることじゃ無いですよ」
なんとか言葉を返す。返すけど。
やられた。
なんだか、してやられた気がする。これだから歩さんは。
嫌いになれない。理屈が通用しない、理性で会話ができない人なんて好きじゃないはずなのに。
感性と直感で刺さるようなことを言う。
僕の方に人にぶつけるような感情とか、そんなに無いけれどね。
歩さんは寂しげに笑って、
「私じゃ頼りにならないのかもしれないけれどね、気兼ねなく相談して欲しいかな」
「歩さんを頼りにしてるから、美咲先輩を紹介してこんな話をしてるんですよ」
「そっか。宏佑くん、少しは私のこと頼りにしてくれるんだ?」
「ええ、もちろん」
「信頼されてるって、自惚れてもいいのかな?」
「そうでなければ、教団参加者の住所録のコピーとか集会を録音したボイスレコーダーなんて持ってきませんよ」
「じゃ、宏佑くん私と結婚しよっか?」
「いいですね。僕が大人になるまで待っててくれますか?」
「美咲さんとつきあってるんじゃないの?」
「いきなり本気で返さないでください」
歩さんはにこりと笑う。
僕もつられて笑ってしまう。
「やっぱり外から調べるのと中から見るのとでは違うものね。参考になった。私の方でも調べなおしてみる。美咲さんのこともね」
「お願いします」
「じゃ、またね」
歩さんはそう言って喫茶店を出て行った。
扉の鐘がカロンカロンと鳴る。
ふう。
歩さんは僕が美咲先輩とつきあっていると言ったけれど。つきあってはいるけれど。
僕と先輩の間には、愛も恋も無いんですよ。一片も無いし、ひとかけらも無いし、微塵も無い。
先輩は嘘でもまやかしでもそんなものがあればいいと考えてるけど。
僕はそんなものは見たことも聞いたこともあるけど、感じたことなんて無いのだから。
僕にあるのは現実を変える力の無い同情で、先輩にあるのは一時の現実逃避。
それを愛とか錯覚できるほど、僕も先輩も狂ってはいない。いっそ狂ってしまった方が先輩は幸せになれるのかもしれない。
歩さんに渡したリスト。名前の横に書いた赤い二重丸。
歩さんにした説明の中には嘘がある。
二重丸をつけたのは、この地区の女子高生と女子中学生。
さて、先輩を犯したあの教団幹部が先輩ひとりで満足するだろうか?
両親も娘も訴えなければ犯罪にはならない。未成年略取にも淫行にも強姦にもならない。そんな立場を利用できると知ったその小さな世界の権力者を諫める者は誰もいない。どこにもいない。
自制もできずにひとりに手を出した。止める者がいなければ、二人、三人と増えてゆくのではないだろうか?
赤い二重丸をつけたのは、見た目の可愛い女の子で親が狂信的な信者だ。
おそらくは先輩と同じような目にあっている。
先輩のように親から教団幹部に供物のように捧げられる女の子。
先輩の両親は熱心な信者だ。その上その立場もある。
先輩の両親が経営する小さな工場、その親会社は中身が教団関係者ばかりの企業だ。
その上あの教団幹部は先輩の両親の経営する工場の大株主でもある。
親会社から回ってくる仕事でかろうじて繋いでいる借金の多い工場、その経営者が株主を繋ぎ止めるために娘を差し出す。
仕事が安定して続きその上、信仰対象の教祖に近い幹部に気に入られるとなれば、喜んで娘の身を渡す。
教団幹部が来るという前日の夜、美咲先輩は家族で高級なステーキハウスに行った。
両親ふたりとも笑顔で大喜びだった、と美咲先輩は虚ろな目で少し笑って話してた。
美咲先輩の諦めと我慢の結果、美咲先輩の両親の工場は、経営は順調だそうだ。
美咲先輩が家族を切り捨てられるのならば、今の状態から脱出もできるのだろうけれど。
歩さんはどこまで美咲先輩に近づけるのだろうか?
そして真実を知ったら歩さんはどうするのだろうか?
二人を引き合わせたことで、僕と美咲先輩の恋人ごっこも終わり、かな。
意外と、予想してたよりも、デートは楽しかったですよ、美咲先輩。




