第9話 頼れる兄貴
「うおっしゃあぁぁぁ!今日は猪汁だぁぁぁ!ヒャッハァ!!」
玄関の引き戸を開けた瞬間、鼓膜を震わせるような雄叫びが轟いた。
……前言撤回。ここは家じゃない。魔窟だ。
「おいレオ! 殺すぞ! ねむがいる前でその無駄な筋肉ピクつかせてんじゃねぇよ、この露出狂エロガッパが!」
リビングでは、ナナが鬼の形相でクッションを乱射していた。その弾幕の中央で仁王立ちしているのは、中学三年生の弟のレオだ。小麦色の肌を、古い火傷痕が全身にわたって覆っている。
「はぁ!? ここは俺ん家だぞ! ねむだって家族みたいなもんだろ、別にいいじゃねえか! 俺が一番パンプアップしてる状態を見せつけて何が悪りぃんだよ!」
「よくねぇんだよ! 気持ち悪りぃんだよ! 暑苦しいんだよ!このドサンピンが!」
「あんだとクラァ! 腐れ畜生がぁ!!阿婆擦れの糞漏らしがっ!」
「「ああああっ!!??」」
ゴン!!!
レオとナナが額をぶつけ合っているその時だった。
「――レオ。ナナ。うるさい!」
鈴を転がすような美声が、その場の熱を凍りつかせた。レオの背後に、忍び寄っていた影。一つ下の妹、ユウだ。白磁の肌に、左右色の違う瞳。
だが。
バシンッ!!
乾いた破裂音が響く。ユウの掌がレオの後頭部を無慈悲にフルスイングしていた。
「っ痛ってぇー!!なんだよ姉ちゃん!」
「セキララだよ!?レオ!」
「赤裸々!? 確かに裸だけど! それ言うならセクハラだし!ハラスメントは姉ちゃんだろ!っていうか暴力反対!」
「……黙って。筋肉が喋らないで」
「理不尽ッ!!」
そんなコントのようなやり取りを横目に、俺は無言で通り庭を進む。ここで反応したら負けだ。俺は長男。下々の喧騒には動じない、クールでアンニュイな兄貴でなければならない。
「「あっ! 兄ちゃんおかえり!」」
俺の気配に気づいたユウとレオが、同時に振り返った。俺は足を止めず、視線だけで彼らを一瞥する。あくまで「ついで」のように、低音ボイスを意識して短く告げた。
「……おう。レオ、お疲れ。一緒に風呂入るぞ。ユウ、レッスンお疲れ。あとで来週のシフト調整するから、ガキどもの連絡帳集めとけ」
「「ウィ・ムッシュ!」」
二人は跳ね起きるように背筋を伸ばして敬礼する。俺はそのまま、背中で語るように片手をひらりと振って風呂場へと向かった。
泥だらけの顔、寡黙な背中、そして的確な指示。
今の俺、最高にミステリアスで頼れる兄貴だったはず。
……いや、ただの厨二病か……




