第10話 嘘ついても、バレる
この家の露天風呂は芦名家の至宝だ。無骨な岩を組み上げ、檜を贅沢に使った湯船は、大人五人が手足を伸ばしてもまだ余りある。俺とレオは、その広大な湯の中に深く身を沈めていた。
今日の労働で凝り固まった筋肉が、熱い湯の中でゆっくりと解けていく。
眼下には街並みと、凪いだ富山湾。その向こうに、夕日を浴びた立山連峰が見えた。
「……なぁ、レオ。お前、もしかしてまた背が伸びた?」
「ん? ああ、先週測ったら百八十二だったかな。まだ兄ちゃんよりは小さいけどね」
「百八十二か……。来年は高校生だな。志望校、決めたのか?」
「んー。兄ちゃんと同じ、冰渼ノ江高校」
レオは湯船の淵に腕を預けた。
「なんでだよ。お前の成績なら、市外の進学校に行けるだろ」
「えー? だって地元にいたいもん」
「可能性を狭めるなよ。しっかり受験しろって」
「……いやー。それ、兄ちゃんが言う?」
レオの声色が、ふと変わった。甘えたような響きが消え、青い瞳が俺を射抜く。
「うっ……」
「ほら、黙った。あんまり自己犠牲は良くないと思うよ? 見てる側からすると、窮屈に思う人もいるかもしれないし」
「えっ……お前、そんなふうに思ってたの?」
「そうじゃないならいいけど。……でも、血は繋がってなくても俺たち家族なんだから。嘘ついても、バレちゃうよ?」
図星を突かれ、湯の熱さとは別に、心臓の奥が冷たく縮み上がるのを感じた。
自分に暗示をかけるように、何度も繰り返してきた言葉。
――自己犠牲じゃない。俺は望んで漁師になりたいんだ。
脳裏に、数式が明滅する。リーマン予想。ナビエ=ストークス方程式。
それを解き明かすのが俺でなくとも構わない。
ただ、数字という秩序に触れている時間が、俺にとっての癒やしであり、救いだっただけだ。
それくらいの未練なら、捨てられる。そう、自分に言い聞かせた瞬間だった。
ガラガラッ!
脱衣所の引き戸が勢いよく開け放たれ、冷たい外気が流れ込んだ。
「失礼しまーすっ!」
能天気な声と共に現れたのは、中学一年生の妹、タオだ。
「……またかよ」
「おーっ! タオー! おかえりー!」
俺が頭を抱える横で、レオは平然と手を振っている。タオは一糸まとわぬ姿で、恥じらいの欠片もなく堂々と入ってきた。
手際よく掛け湯をして身体を流すと、当然の権利のように俺とレオの間に割り込み、ザブンと湯船に身を投じる。
「ふいー。生き返るぅー」
お湯が大きく揺れた後、静寂が訪れた。遠くでクビキリギスの鳴き声だけが、ジー……と単調なリズムを刻んでいる。
そこでレオが天井を見上げながらタオに告げる。
「なぁ、タオ。いつまで俺たちと風呂入るわけ? 流石にもう、世間的にはアウトだろ」
「えぇ!? 家族なのに!? なんで!?」
「いやさ、俺たちもタオに『アレ』を見られるのは、流石に恥ずかしいお年頃なわけよ」
「じゃあ、隠せばいいんじゃない??」
「……隠してるじゃん、毎回」
「ならいいじゃん。ハルくんは? 嫌なのか?」
濡れた髪を貼り付かせたまま、タオが俺の顔を覗き込む。その瞳には、邪気など微塵もない。
嫌だとか、そういう次元の話ではない。幼少期から同じ釜の飯を食い、同じ屋根の下で眠ってきた俺たちの間には、強固な「ウェスターマーク効果」が働いている。性的な感情など湧くはずもないのだ。
ただ、生物学的な変化は待ってくれない。
「……別に……ただ、前は隠せよ。」
「なんでよー。自分の家なんだから自由にさせてよー」
「親しき仲にも礼儀あり、だろ」
「した? れいぎ?」
「……いいよ。今日は」
「ふふーん♪」と、満足げに鼻歌を歌い始めた妹の頭に、俺は濡れたタオルをポンと乗せた。
「……タオ。おかえり」
夕闇に包まれた露天風呂に、柔らかな湯音が響いた。




