第6話 守らなきゃいけない世界
放課後。俺とねむは、校舎裏の待合室にいた。親の迎えを待つ生徒たちが、ピカピカのSUVやミニバンに吸い込まれていくのを横目に、俺たちは「専用車」の到着を待つ。
山頂の集落へ向かうマイクロバスだ。集落の子供は、小中高合わせて十一人。オンデマンドで動くこのバスは、採算など取れるはずのない赤字路線だった。
それでも運転手の石動さんは、いつだって「お疲れさん」と扉を開けてくれる。この非効率な優しさが、俺たちを支えている。
ブブッ。ポケットのスマホが短く震え、『着いたよっ!』と表示された。
「了解」
隣を見ると、ねむはとっくに限界を迎えていた。船を漕ぐように首を揺らし、深い呼吸を繰り返している。勉強と周囲への気遣いで、完全に電池が切れたのだろう。
「おい、VIPのお迎えだぞ」
肩を軽く叩いて立たせ、夕暮れの待合室を後にした。
車内へ乗り込むと、俺たちは最後部座席へ向かう。ねむは運転席側の窓際、俺は真ん中。そして左側は空席のまま。
本来なら、そこはケネスの席だ。最近は一緒に帰れていないが、俺はあいつの席に座らないし、荷物も置かない。左の空席と、右で微睡むねむ。その真ん中が、昔から俺の定位置だった。
「ハルくーん?」
石動さんがバックミラー越しに俺を呼んだ。鏡の中で、穏やかな目尻の皺が笑っている。
「はーい、どうしました?」
「今日ね、ナナちゃんも乗るから。ケンくんに届け物してるみたいだから、もう少し待っててね」
「わかりましたー」
ナナは俺の妹で、中学三年生だ。
ふと横を見ると、ねむが胸の前で小さく手を動かしていた。
【なぬっ! ナナちゃん! 膝枕してくれないかなあ……】
眠気で指先がふらついている。こいつは独り言も手話でする。
窓の外へ目を向けると、視界の端でまた指が動いた。
【ナナちゃん……膝枕、してくれないかなあ……】
さっきより強い。俺に聞いていたらしい。
「……本人に聞けよ」
【少し汗かいてる時の方が、いいんだよねえ……】
ねむはうっとりと目を細めた。
「臭くね?」
【ナナちゃんが臭いわけないじゃん。酷い!】
「そうっすか。すいません」
砂利を踏みしめる激しい足音が近づいてきた。
「シャー! おつかい終了! ジージ、サンキュー!」
バン! とドアが開き、ナナが飛び乗ってくる。制服のスカートの下にジャージを履き、熱気と制汗スプレーの匂いを車内へ運んできた。
「兄ちゃん乙! ……あれ、ねむぅー。おねむさんの顔だねえ」
ナナは最後尾でとろけているねむを見つけると、自分の太ももをパンパンと叩いた。
「ほら、私の太ももを枕にしな? 頭撫でてあげるから! チューしちゃったらごめんね!?」
【チューはしないで。でも太ももは借りる。生足がいい。ジャージ脱いで】
そうサインすると、ねむはふらつきながら一列前へ移り、そのままナナの膝へ倒れ込んだ。
「よーしよし、お疲れねむー。いい子いい子ー」
ナナがねむの髪をわしゃわしゃと撫で回す。ねむは目を細め、身を委ねていた。
ねむは、もう家族の一人みたいな存在だ。俺たちは何度も、その底抜けの優しさに救われてきた。
前の席でじゃれ合う二人を、後ろからぼんやりと眺める。
窓の外には、夕日に照らされた海と、黒い影になりかけた山並みが流れていた。
家へ帰れば、妹と弟がくだらないことで喧嘩し、誰かの楽器の音が響き、夕飯の匂いがする。
俺の実の両親は、この景色を見ることができない。彼らの時間は、もう止まってしまったから。
だから代わりに、俺が見ている。この喧騒も、笑い声も、バスの振動も。
俺を引き取り、こんな当たり前の幸せをくれた父さんと母さんには、感謝してもしきれない。
空席の隣を感じながら、深くシートへ背を預ける。
これが、俺の日常。守らなきゃいけない、俺の世界だ。




