第37話 二人で来てるんだから
その後、石動さんの車で送ってもらい、俺たちは駅へと到着した。車を降り、俺とねむは深々と頭を下げて感謝を伝える。
「なーん、気にすんな。もしまた足がなかったら言われ? すぐ迎えに来るちゃ」
石動さんは日焼けした顔でニカッと笑うと、手を振って来た道を戻っていった。
俺は駅舎の時計を見上げる。出発時刻まで、あと三十分はある。
だが、不可解なことに、ホームには既に電車が待機していた。
「あれ? なんで来てるんだ?」
誰にともなく呟くと、隣でねむが音もなく笑った。彼女はスマホの画面を駅の時刻表にして俺に見せる。
【今日はゴールデンウィーク初日だから、ダイヤ違うよ?】
と、ひらひらと片手を動かして得意げにふふっと笑う。あぁ、そうか。完全に俺の見落としだった。こいつの方が、よっぽど周りが見えている。
【行こう】
ねむが手招きするようなサインを送る。
「おう。……そういえば、ねむと電車に乗るのとか、もしかして初めてかもな」
【うん。ずっと一緒にいるのにね】
俺たちは車両に乗り込み、席に腰を下ろした。
車内には、多くの観光客の姿があった。彼らは皆、高そうなカメラを手に、窓の外の景色を熱心に切り取っている。外国人の姿も目立つ。
けれど、彼らのほとんどは俺たちの集落までは来ない。
無理もない。この街は、中心部だけで足りてしまう。海鮮も温泉も、港から見える立山連峰も、全部そっちにある。
こんなに人が来るのに、俺たちの村からは人が減っていく。
でも、まだ大丈夫だ。俺が大人になれば。俺が跡を継ぎ、この街をもっと賑やかに……。
そんなことを思っていると、不意に肩を叩かれた。
思考の海から引き戻され、横を見る。ねむが自撮り棒を天高く掲げていた。「ジャジャーンッ!」と効果音が聞こえてきそうな顔で、俺を見つめている。
【一緒に写真撮ろ?】
ねむの指が動く。
「ええ……一緒に……?」
俺は気恥ずかしさから、小さく抵抗を試みた。瞬間。俺は本能的に腹筋に力を入れた。
来るッ!
ドスッ!
ねむの鋭い左フックが、俺の腹部に炸裂した。
【お前に拒否権は無い】
冷徹な魔法陣が、俺の目の前で切られる。絶対的な決定事項。
「……御意」
どんな顔をすればいいかわからないが、とりあえずスマホへ視線を送る。
画面を見ると、ねむは満面の笑みを浮かべていた。その屈託のない笑顔を見たら、俺の強張った頬も自然と緩んでしまう。
俺は少し口角を上げ、シャッター音を待つ。
……。
…………。
鳴らない。いつまで経っても「カシャリ」という音がしない。
「おい……早くシャッター押せよ」
痺れを切らしてねむを見ると、彼女はニンマリと悪戯小僧のような笑みを浮かべていた。そして、片手をゆっくりと動かしてみせる。
【動画だよ】
(……うざッ!)
呆気にとられていると、ねむは声を出さずに腹を抱えて大笑いし、俺の戸惑った顔を見て、パタパタと手を叩いて喜んだ。
その間も、自撮り棒はブンブンと振り回されている。画面の中の映像は、きっともう手ブレどころか大地震だ。
この動画……酔いそうだな。
鉄道に揺られ、東へ。乗り換えを含めれば一時間半にも及ぶ長旅だ。
駅舎を出ると、湿り気を帯びた春の海風が鼻先を掠めた。同じ潮の香りのはずなのに、俺たちの住む入江とはどこか違う。少しだけ都会の埃っぽさが混じった、知らない街の匂いだ。
「ねむ。ここから少し歩くぞ。……足、大丈夫?」
視線を落とした先には、彼女の華奢な足元があった。
厚底のサンダル。流行りのデザインなのだろうが、この海沿いの強風の中ではあまりに頼りない。素足が剥き出しになった爪先は、心なしか白く冷えているように見える。空は曇天。たまにさす日差しは暖かくとも、海を渡ってくる風にはまだ冬の立山連峰の冷気が残っているのだ。
ねむは頷くと、バッグから取り出した自撮り棒を、エクスカリバーのごとく高々と掲げた。
「えぇ? また撮るのかよ。厚底なんだから、ちゃんと前向いて歩かねぇと危ないぞ? 転ぶなよ?」
呆れ半分、心配半分で声をかけると、ねむはジロリと俺を睨みつけた。
その瞳には非難の色がありありと浮かんでいる。彼女は無言のまま、伸びきった自撮り棒のグリップを俺の鼻先に突きつけてきた。
「は? ……俺に持てと?」
インカメラをねむに合わす。
チッ!
短く、鋭い舌打ち。
そしてねむの細い指先が、音が鳴りそうな速さでシュッ、シュッと動く。
【なんで私だけ撮るの。ハルも入って。二人で来てるんだから】
(怒んなよ……)
その剣幕に押され、俺は大人しく自撮り棒を受け取った。
「え、え、えっと? こ、こうで? いいの?」
不慣れな手つきで角度を調整する。左にねむ、右に俺。背景には見知らぬ街並み。
スマホの画面越しに、ねむが満足げに親指を立て、白い歯を見せてニカっと笑った。
よし。行こう。
そう言わんばかりに、ねむは腕を天に向け、行進でもするかのように大股で歩き出した。
カツ、カツ、と厚底の硬い音がアスファルトに響く。俺はブレないように腕を固定し、必死に画角をキープしながら、彼女の少し後ろをついて歩いた。




