第34話 ロトカ=ヴォルテラ
ケーキの甘い余韻が残る中、俺たちはそれぞれの仕事に取り掛かった。
俺はテレビの前で、不調を訴えるDVDレコーダーと格闘し、ねむはちゃぶ台にノートパソコンを広げ、宇波さんへの説明を始めている。
依頼内容は「再生」ではなく「録画」ができないというものだった。これから家にいる時間が長くなる宇波さんにとって、テレビ番組は社会との接点であり、娯楽の生命線だ。責任は重大である。
一方で、背後から聞こえるねむのタイピング音は、軽やかで心地よいリズムを刻んでいた。
:『基本プランの料金表がこちらです。介護保険の適用範囲内だと、一割負担で済みますね』
合成音声が流れる。
無機質な響きなのに、ねむが選ぶ言葉が丁寧だからだろうか、そこには確かな温かみがあった。
ねむは画面に資料を映し出しながら、足の具合に合わせた送迎サービスや、家事代行の内容について、流れるように説明していく。
俺はリモコンを操作しながら、横目でその様子を盗み見た。
……凄いな。
素直に、尊敬の念が湧き上がる。
的確な資料提示、相手の理解度を確認する間、そして時折見せる柔らかな微笑み。宇波さんもまた、ねむの説明に深く頷き、時には笑い声を上げている。
俺などが心配する必要なんて、最初からなかったのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺はレコーダーの原因を特定した。
なんのことはない。外付けハードディスクの容量がパンクしているだけだ。録画リストを開くと、数年前のニュース番組や、よく分からないバラエティが山のように保存されている。
「宇波さん。これ、容量がいっぱいなだけだわ。消していい番組、ある?」
俺が聞くと、宇波さんはねむとの会話を中断せずに答えた。
「おー、ドラマ以外は全部消してくれー。あとはいらんちゃ」
「了解」
ドラマ以外を一括削除した。メモリーのバーが一気に青色に戻る。試しに録画ボタンを押すと、問題なく赤いランプが点灯した。
よし。任務完了だ。
「宇波さん、直ったよーッ!」
俺が声を上げると、宇波さんは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「おーハル! きのどくなッ!」
富山弁の「きのどくな(ありがとう)」。その言葉の響きに、俺も自然と笑みがこぼれる。
「そっちはどうですか? 説明、分かりました?」
「おー。分かりやすく教えてもらったっちゃ。香椎さんとこにお世話になろうと思う。……あとは、市役所に行かんとならんがやけど」
「車は? もう運転しないの?」
「なーん。もうできん。危ないから免許も返すつもりや。やから、それも香椎さんとこに頼むことになりそうやわ」
寂しそうだが、潔い決断だった。
「いいね。それがいいよ。……ねむのところはどうなの? 結構忙しいみたいだけど、受け入れ大丈夫?」
俺が尋ねると、ねむはタタタタタッと軽快にキーボードを叩いた。
:『うん。うちはかなり景気がいいみたい。従業員さんも結構入ってきてくれてるんだって。この町はお年寄りが増えてるからね。これからも忙しくなりそうかな。私たちは逆に助かってるかも。……ちょっとだけ、複雑な気持ちだけどね』
ふと、捕食者と被食者の個体数変動を扱うロトカ=ヴォルテラ方程式が頭に浮かんだ。
自然界のバランスを記述した数式の論理が、この限界集落の経済にも冷徹なほど重なって見えた。誰かの「老い」が、誰かの「生」を支えるシステム。俺たちは、その循環の中で生きているのだ。
……ロトカ=ヴォルテラ。
非線形微分方程式……。
平衡点……。
ん?
俺の思考回路が、唐突に停止した。待て。俺は今、何を呑気に数式のことを考えているんだ?
そうだ。こいつを、水族館に誘わないといけないんだったッ!!




