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こえあらず ほうに恋ありけり  作者: ぶりかま
七章 集落の継承
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31/40

第31話 また一人…

 俺がスマホを取り出そうとすると、祖父は「そうそう」と思い出したように言葉を継いだ。


「そうそう。宇波(うなみ)の爺さんな。今年で引退すっちゃ」


 俺の指が、画面の上でピタリと止まった。


「……え?」

「将来、香椎さんとこで世話になろうと思っとるがやけど、よかったらねむちゃんにも言うといてくれんけ?」

「宇波さん……引退するの?」

「うん。もう右足が動かんがやと。車も運転できんようになってしもうてな」


 祖父は湯呑みを啜りながら、淡々と言った。まるで明日の天気の話でもするように。


「あ……新しい人って、入ったりする?」


 縋るように聞いてしまった。祖父は静かに首を横に振った。


「なん」


 その短い一言が、部屋の空気を重くした。また、一人。この港から、技術と労働力が消える。

 俺は唇を噛んだ。……いや、全然いい。引退しても何も問題ない。俺がいるんだ。俺が二倍動けばいいだけの話だ。大丈夫だ。


「……そっか。本当にお疲れ様だよ。わかった、ねむに伝えとく」


 祖父の言う「香椎さんのところ」というのは、ねむの実家のことだ。

 ねむの両親は、高齢者や障がい者の送迎や買い物支援を担っている。宇波さんが現場を離れれば、今度はそちらの負担も増えるだろう。

 誰か一人が抜ければ、その穴を別の誰かが埋める。

 この村は、そうやってギリギリで回っている。

 この限界集落において、香椎家は「命綱」だ。文字通り、彼らがいなければ生活が成り立たない家がたくさんある。


「ハル」


 唐突に、祖父が俺の名前を呼んだ。

 視線を上げると、さっきの柔和な笑顔が消え、射抜くような真剣な眼差しが俺を捉えていた。


「変な責任感、持たんなよ?」


 一瞬、言葉に詰まった。見透かされている。


「……全然。そんなこと、思ってないよ」


 俺は笑顔を貼り付け、即座に否定した。だが、祖父の目は誤魔化せなかった。


「わしは、ハルが継いでくれるって言うてくれるのは嬉しいがやけど」


 祖父は言葉を区切り、俺の目をじっと覗き込んだ。


「ハルの足枷にはなりとうないがや。……ゆっくり、考えられ」

「……うん。ありがとう」


「足枷」という言葉の重みが、俺の胸を締め付ける。

 これ以上、ボロが出ないうちにここを出よう。


「じゃあ、國崎に電話しとくよ」


 俺は立ち上がり、振り返らずに離れを出た。雨足は、さっきよりも強くなっていた。



――――――――――――――


作者より


(中書き)


ここまで『こえあらず ほうに恋ありけり!』を読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。

ここまでの物語は、かなりゆっくりとしたペースで進んできました。

正直、「いつになったら話が進むんだ!」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。

でも、どうしても描いておきたかったんです。

ハルたちが過ごす、なんでもない毎日を。

家族とご飯を食べて、くだらないことで笑って、友達とふざけ合って。そんな、物語としては大きな事件も起こらない日常です。

特に芦名家の家族たちは、ハルにとって欠かせない日常の一部です。

だからこそ、物語の都合で突然登場する人物ではなく、最初からそこに暮らしていて、笑ったり、喧嘩したり、くだらないことで騒いだりする、そんな家族として描いておきたかったんです。

その結果、ずいぶんと長い助走になってしまいました。

それでも、ここまでお付き合いいただけたことが、本当に嬉しいです。


そして、ここから物語は少しずつ動き始めます。

これまで描いてきた、ハルたちのなんでもない日常。

その日常が、彼らにとってどれほど大切なものなのか。そして、その中で彼らがどんな未来を選んでいくのか。

ここまで読んでくださった皆様に、最後まで見届けていただけたら嬉しいです。


本当に、ありがとうございます。


ぶりかま


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