第29話 理想郷に、私はいない
チラリと、私は隣の席のハルを盗み見る。
もちろん、薄目は開けたままの「絶賛寝たふりモード」だ。
最近、ハルの様子がおかしいのは周知の事実。急に虚空を見つめたり、頭を抱えたり。本人は以前、「今頃になって中二病が再発して困ってる」なんて言っていたけれど、私には分かる。あれはそんな生易しいものじゃない。
人生に一度しか訪れない、進路選択という巨大なイベント。きっと彼は今、見えない敵(将来の不安)と戦っているのだ。
それなら私も、長年の付き合いとして少しは気を使ってあげないといけない。私の中二病(妄想癖)はもはや一生添い遂げるパートナーだが、ハルのそれは一過性の迷いだろうから。
……でも。
さっきからハルは、ヘッドバンギングでもしているのかという勢いで顔を横に振っている。
(どした!? 何が見えてる!?)
そのあとは顔を手で覆い、天井を仰いで「くぅぅ……」と唸っている。
重症だ。やっぱり悩んでるんだね、進路。ワカメか、数式か。
いっそ私が、漁業とか勉強して一緒に継ぐのもアリなのかな……
ふと、そんな思考が過る。
でも、私は既に高校で生活福祉科に席を置いているし、大学に行きたいという夢もある。ハルのことは大事だけど、人生を丸ごと捧げる「お嫁さん」になるわけじゃない。
それに――そもそも、私はハルの「対象外」だ。
ハルの好みのタイプは「ぽっちゃり系」。それも、お尻が「バインッ!」とした、重力に逆らうようなダイナミックな体型の女子が好きだということは、既に強固な裏付け(ソース)がある。
なぜ知っているか。ケンちゃんとの毎日の「良いケツ談義」を聞いていれば嫌でも分かるし、何より――私は見てしまったからだ。
ある日、アコちゃんによる、決死のスパイ活動の夜のことだ。アコちゃんという名のクソガキ……もとい、天才ハッカーが、ハルのパソコンのセキュリティを突破したのが全ての始まりだった。
「兄ちゃんたちのエッチな動画コレクションを暴いてやる」
そんなアコちゃんの悪魔的な誘いに、私は興味本位で乗ってしまったのだ。
深夜の芦名家。女子部屋にお泊まり会をした時、私たちは明かりを消した部屋で、一台のノートパソコンを食い入るように凝視した。
デスクトップの深い階層。そこには、『AV』とあまりにも正直に名付けられたフォルダが鎮座していた。クリックすると、さらに三つのフォルダに分岐していた。
『HARU』 『LEO』 『KOTATSU』
なんと、この三兄弟は一つのハードディスクで己の性癖を共有していたのだ。仲良すぎだろ、芦名家男子。リスク分散という言葉を知らないのか。
「うわぁ……バッカだねぇ、男って」
アコちゃんはニヤニヤしながら、レオくんとコタっちゃんのフォルダを開けては閉じていく。私は見なかったことにした。というか、見たくない。
――そして、最後にハル。
フォルダをクリックした瞬間、画面いっぱいに表示されたサムネイルに、私は言葉を失った。
……デカい。全てが、デカい。
画面を埋め尽くすのは、圧倒的な質量を誇る「お尻」の山だった。そこには人種の壁など存在しない。白、黒、小麦色。
日本国内ではまずお目にかかれない、規格外のダイナマイトボディたち。
「うわ……お兄ちゃん、ケンちゃんの影響受けすぎでしょ……」
アコちゃんが呆れたように呟く隣で、私は静かに絶望していた。
無理だ……これは、努力でどうにかなるレベルじゃない。
骨格が違う。DNAが違う。私がいくらご飯を食べたって、スクワットを一万回したって、こんな「大陸級のお尻」にはなれない。
私の貧相な体型と、画面の中の女神たち。そのあまりの解像度の違いに、私はパソコンをそっと閉じたくなった。
早々にその現場から離れ、布団に潜り込んで落ち込んだ。見なければよかった。知らなければ、「もしかしたら」なんて淡い期待を持てたかもしれないのに。
ハルの理想郷に、私の居場所がないことは確定してしまったのだから。
チラリと再び隣のハルを見る。彼はまだ、天井を見上げて苦悩している。
ごめんね、ハル。君が中二病で苦しんでいても、進路で悩んでいても。私には君を慰める資格も、君の好みを満たすスペックもないんだよ。
私は小さく溜息をつき、狸寝入りを決め込むことにした。




