↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こえあらず ほうに恋ありけり  作者: ぶりかま
七章 集落の継承
PR
28/40

第28話 隣にいればいい

 教室を出て、渡り廊下に出た時だった。

 灰色のカーテンを引いたような雨模様の窓辺に、ねむが佇んでいるのが見えた。俺は足を止め、その背中に吸い寄せられるように見惚れてしまった。

 硝子窓越しの湿った光が、彼女の輪郭を淡く縁取っている。出会った頃から見慣れた黒髪のボブヘアーは、少しだけ伸びて、華奢な肩にかかる長さになっていた。

 かつては柔らかい球体を思わせた頬のラインも、今はすっきりと削ぎ落とされ、顎の先にかけて洗練された曲線を描いている。なんだか、無性に色っぽい。

 出会った時の、あの眠たそうな半眼の少女はもういない。

 窓の外を見つめるその横顔は、パッチリと開かれた瞳に憂いを帯びていて、暴力的なまでに綺麗だった。


 ……?

 脳内で、記憶と現実が激しく衝突する。俺は慌ててスマホのアルバムを遡った。指先が画面を高速でスワイプし、中学の写真を探り当てる。

 そこに写っているのは、寝癖のついた髪でピースをする、幼い「あいつ」だ。

 画面と、眼前の彼女を交互に見比べた。

 は? だ、誰だ? あいつ……。全然違ぇ……。

 もちろん、どう見ても香椎ねむだ。だが、解像度(クオリティ)が異常なことになっている。

 俺がワカメだの数式だのに現を抜かす間に、こいつはいつの間にこんな変貌を遂げたんだ?


 待ってくれ。

 あいつ、めちゃくちゃ美人じゃねぇかよッ!!

 一人で戦慄していると、視線を感じたのか、ねむがゆっくりと振り返った。

 俺と目が合う。窓辺の光を背負った彼女が、ふわりと、柔らかく微笑んだ。


【帰ろ?】


 小さく動いた指先。それだけをサインして、ねむは踵を返して歩き出した。

 ……ねむのこと、どう思ってるか分からない?

 俺は昨日の風呂場での言動を思い出し、自分自身の迷いを嘲笑いたくなった。

 バカかよ、俺は……こんなの、一目瞭然じゃねぇか。

 何も言えず、ガラスに映る自分の前髪を整え、逃げるように歩き出したねむの背中を追った。

 廊下には雨音だけが響いている。

 しばらく会話もなく、二メートルほど後ろを歩いていると、不意にねむが立ち止まり、勢いよく振り返った。


【おい。隣に来て、私の視界に入らないと会話できないだろ】


 鋭い指の動き。俺はハッとして足を止めた。


「あ……すまん」


 手話は「見る言語」だ。相手の目を見なければ、声は届かない。俺は小走りで距離を詰め、ねむの左隣――いつもの定位置についた。


「んー。どした? なんか用?」


 平静を装って尋ねる。すると、ねむは不満げに唇を尖らせ、パシパシと手話を紡いだ。


【なんだその言い方。用があってもなくても、隣にいればいいんだよ。後ろを歩くな】

「ご、ごめん」


 素直に謝ると、ねむは満足げに一つ頷いた。


【よろしい】


 それきり会話は途絶え、俺たちは無言のままバスの待合室に辿り着いた。

 ベンチに二人並んで腰を下ろす。湿気たコンクリートの匂いと、屋根を叩く雨音。狭い空間に、二人きり。

 やばいな……。

 いつも、どんな会話をしていただろうか。こんなにも沈黙が重かったか? それとも、もっと下らないことを言い合っていただろうか?

 全然思い出せねぇ。

 意識し始めた途端、これまでの「日常」の記憶が全部吹っ飛んでしまった。こんな調子で、水族館なんてハードルの高いイベントを消化できるのか?

 無理ゲーすぎる。

 俺が頭を抱えていると、隣で船を漕ぐような動きが始まった。

 いつものように、ウトウトし始めている。コックリ、コックリと頭が揺れ、やがて長い睫毛が重なり、完全に瞳が閉じられた。無防備な寝顔。そこだけは、昔と変わらない。

 だが、俺の受け取り方は劇的に変わってしまった。

 以前なら「また寝てやがる」と呆れるだけだったその姿を、今は――抱きしめたいと思ってしまっている。

 俺はブンブンと何度も首を振った。

 くそ……。

 ワカメの心配をする前に、俺の頭の方がどうにかなりそうだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。