第26話 微分方程式でデート
俺は芦名家自慢の露天風呂に肩まで浸かり、満天の星を見上げた。
「ふぃー……天国だぁ……」
湯船には、俺の両隣にハルとレオが浸かっている。男三人が並んでもまだ余裕があるのだから、この家の規格外さが分かるというものだ。
「ねぇケンちゃん。さっき、なんで兄ちゃんと一緒にねむに殴られてたの?」
「セクシー女優の話してたら殴られた」
「ダセェなぁ」
「うるせぇ」
「で? なんでそんな話になったの?」
やばいな。弟の前で兄貴の恋バナを暴露していいのかと思い、チラリとハルの顔を窺った。
「ああ? なに? ……っていうか、俺も気になるな。なんであんな流れになったの?」
ハルが不思議そうに首を傾げている。まあいいか。ここには男しかいないし、言っちまおう。
「バスケ部のキャプテンにさ、『香椎さんって彼氏いる?』って聞かれたんだよ。だから参考までにねむの好きなタイプを聞いたわけ。そしたらあいつ、二次元キャラしか言わねぇんだもん」
「えっ!? まじ! じゃあねむが告白されるかもしれないってこと!?」
レオが目を見開いて叫ぶ。
「そういうこと。……なぁハル。お前、それでいいのか?」
遠回しな探りはもう終わりだ。ハルの好みとか、進路とか、そんなのはどうだっていい。一番重要なのは、こいつがねむをどう想っているかだ。
「いやぁ。まぁ……んん。……ダメだろ」
意外な答えに、俺は眉を跳ね上げた。ハルのことだ、『あいつの勝手だろ』とか言ってスカすと思っていたのに。
「ダメって……お前。じゃあどうすんだよ。ほっといたら付き合うかもしれねぇじゃん」
ハルは顔を半分まで湯船に沈め、ブクブクとあぶくを作った。
子供が拗ねた時の仕草だ。やがて水面から顔を出し、ボソリと言った。
「……断れって言っとく」
「ええっ! それって兄ちゃんがねむのこと好きってバレるじゃんっ!!」
「おいっ! レオ! うるせぇんだよ! 声デケェよっ! 女子とかねむに聞かれるだろ!」
「だって!」
「おいおい待て待てっ! ハル。お前、自覚あんのか? ねむのこと好きなの??」
俺が詰め寄ると、三人の中に沈黙が落ちた。――コツン、と獅子脅しの水音だけが響く。
しばらくして、ハルが天井を仰ぎながら口を開いた。
「わかんねぇ。……今、自分でもよくわからねーことになってる。でもさ、ねむからしたら【私の勝手だろっ! お前が決めるなっ!】とか言って怒ってきそうじゃねぇ?」
「んー。確かに」
三人揃って唸り声を上げ、再び沈黙する。
その時。引き戸が静かに開き、四人目が湯船に入ってきた。
チャプ……。
波紋一つ立てない、静かな入水。コタツだ。俺とレオの間に、彼が滑り込んでくる。
湯の中で、俺の腕とコタツの腕が並んだ。改めて見ると、とんでもねぇ色の差だ。
こんだけ違うのに、同じ湯船で同じ男の恋愛相談をしてるんだから、世の中おもしろい。
コタツは心地よさそうに息を吐き、瞳をハルに向けた。
「……デートしたら? 一回」
静かな声だった。それだけで、湯船の会話が止まった。
「いつも三人で行動してるじゃん。だからケンちゃん抜きで。水族館とかさ」
「おおっ! 良いねっ! ナイスアイデアだ! さすがコタツっ!」
俺は掌で湯をすくい、コタツの銀髪にバシャリとかけた。テヘッと照れるコタツが愛おしい。
「デートぉ!? いやぁ……もう『デート』って誘った時点で、関係性が変わっちまうだろ」
ハルが濡れた手で顔を覆い、髪を掻きむしる。往生際が悪いやつだ。
「レオっ! お前はどうしてるんだよ。ソーニャとっ! デートしてんだろ!?」
「あのさ。俺と兄ちゃんを比べんなよ。俺は何十回と振られてるんだよ。何回告っても付き合えてねぇの。メンタルの構造が違うから参考にすんなよ。それに兄ちゃんは、まだ好きかどうかもわからねーんだろ?」
レオが正論を吐く。
確かに、レオの特攻精神はハルには劇薬すぎる。
「関係なくない? デートって明言しなきゃいいんだよ。普通に『遊びに行こうぜ』って言えば。それか……魚と数式とか絡めて誘うとかさ。そんなのあるか知らないけど」
コタツが助け舟を出す。
「……あんのか? ハル。魚と数式」
俺が何気なく聞くと、ハルの目がカッ、と怪しく光った。
「ある」
「ウソ!?」
「ロトカ=ヴォルテラの方程式」
「……は?」
聞いたことない呪文が出てきた。魚と数式とか、どう関係あるんだよ。
「なにそれ?」
俺の問いかけに対し、ハルはふっと口を開く。
「有名なのは生態学における個体群動態モデルだよ。二つの個体群、例えば魚(被食者)とそれを捕食する動物、あるいは食物連鎖の関係にある二種の魚の個体数の変動を記述する非線形微分方程式のペアだ」
「…………」
俺とレオ、そしてコタツはポカンと口を開けた。
「……ま、まぁいいや。それを理由にして、なんとかねむを誘い出せ。ハル」
「はぁ?? なに言ってんの?? できるわけねぇだろ。今の説明で関心もつ女子がいるか?」
「大丈夫だろ。ねむなら『面白そう』って食いつくかもしれねぇ。とりあえず二人で水族館いけよ。そんであいつの意識をハルに向けさせたら、とりあえず勝ちだ。俺も一旦、キャプテンの動きを止めるように努力するから。な?」
「まじで……微分方程式絡めてデートに誘うとか、ハードル高すぎだろ……」
ハルはブツブツと文句を言う。
なんだかんだ言って、こいつは答えを見つける。いつもそうだ。俺が無理難題を何回吹っかけても、ハルが答えを出せなかったことは一度もない。こいつは自分でレールを敷くのは苦手だが、俺たちがレールを敷いてやれば、どんな急勾配でも駆け抜けていく。
「なんとか頑張れよ。ハル」
俺は親友の背中に、バシャっとお湯をかけた。




