第22話 王子様の本音
後日の放課後。
私は、ハルの担任である舟橋先生に呼び出された。生活福祉科の私に、一体なんの用だろう?
もしかして、この前の全校朝礼で手話でハルたちがふざけてたのがバレて、連帯責任とか?
……いや、それなら生活指導室行きだよね。
職員室の重たい引き戸の前に立ち、小さく深呼吸をしてからノックした。
コン、コン。
一応、習慣として手話で【失礼します】とサインしながら中に入る。もちろん、先生たちのほとんどは私の手話なんて分からない。
でも、「何も言わずに入ってくる生徒=香椎ねむ」というのは、この学校ではもう周知の事実だ。だから誰も驚かないし、咎めたりもしない。
迷路のように並ぶ机の間を抜け、窓際にある舟橋先生の席まで進む。
先生は難しい顔をして書類に目を落としていた。
私はポケットからスマホを取り出すと、慣れた手つきでロックを解除。音声読み上げアプリを起動し、高速フリックで文字を打ち込む。
タタタタッ、というタップ音が静かな空間に微かに響く。最後に『再生』ボタンを、ポチッ。
:「舟橋先生。お待たせしました。香椎です。どうされましたか?」
抑揚のない、平坦な合成音声が職員室の空気を震わせた。
舟橋先生がビクッと肩を震わせ、顔を上げた。
「うおっ!? ……あ、ああ! ごめんごめん、香椎さん!」
先生は私のスマホと顔を交互に見て、「へーっ! そうやって会話するのか」と目を丸くしている。 アナログな漁師気質の先生には、ちょっと刺激が強かったかな。
「急に呼び出してごめんね? 舟橋です。えっと、よろしくお願いします」
先生が改まって頭を下げるので、私もペコリと一礼し、口の形だけで「よろしくお願いします」と動かした。
「あのね。単刀直入に聞くんだけど……芦名のこと、いいかな?」
あー。やっぱり。そっち系か。進路の話だ。
ハルは昔から、頑なに「漁師になりたい」と言い続けている。
でも、彼が数字に愛され、数字を愛していることは、私には痛いほど分かる。
私の壊滅的だった算数の成績が、人並みに上達したのは、全部ハルのおかげだ。ハルがいなければ、私は計算も満足にできず、この学校に入学することすら叶わなかっただろう。
彼は教えるのも、とびきり上手いのだ。
私は画面に視線を落とし、迷うことなく親指を滑らせた。
タタンッ。
:「はい。もちろんです」
電子音が響く。
「君は芦名とすごく仲がいいよね? 同じ中学だし、いつも一緒にいるし。……それで、あいつの本当の気持ちが知りたくてさ」
先生は少し声を潜め、探るような目で私を見た。
「あいつ、漁師になりたいって言ってるけど……本音はどうなのかな? 僕には、どうも無理してるように見えてならないんだよ」
私は少し考え、言葉を選びながら入力する。
:「漁師になりたいのも、本音だと思います」
機械音声が流れるのを待ち、すぐに続きを打ち込む。
:「でも、本当は数学者になりたい夢があると思いますね」
「だよなぁ……やっぱりそうだよなぁ」
先生はガシガシと頭を掻きむしり、大きな溜息を吐いた。
「そっか……俺がハルに『お前の才能で漁師をするのは勿体無い』みたいなこと言っちゃったのは、まずかったのかなぁ。あ、ごめん。この前、面談でついポロッと言っちゃったんだよ。少し反省してるんだ」
先生がシュンとしている。
私は首を横に振った。そして、彼を励ますように力強くタップする。
:「いいえ。勿体無いという言葉は、間違っていません」
:「実際、今も毎日ワイルズ? の数式? の考察? なんかを読んでますし」
専門用語はよく分からないから適当だけど、ニュアンスは伝わるはずだ。
:「やっぱり私は、彼には好きなことをしてほしいって思ってます」
私の入力が終わると同時に、合成音声が読み上げる。
その感情の乗らない声が、かえって私の本音をストレートに伝えてくれている気がした。
「そっか……。香椎さんもそう思ってくれてるんだ。よかった、味方がいて」
先生は少しホッとした表情を浮かべた。
:「ケネス君とは、話したんですか?」
「うん。話したよ。あいつとも」
先生は苦笑いをして、背もたれに体を預けた。
「でもさ、『心配すんな』って言われちゃったよ。『ハルは大丈夫です。最終的には綺麗に収まりますから』って。あっけらかんとしてたな」
……ケンちゃんらしい。あの脳筋・楽観・巨人は、いつもそうだ。ハルに対して、一点の曇りもなく「大丈夫」だと信じ切っている。
でも私は知っている。ケンちゃんもわかってると思うけど、ハルは弱い。
普段はしっかり者の長男ぶっているけれど、精神的に脆いのは間違いなくハルだ。
考えすぎて、抱え込んで、誰にも言えずにパンクする。無言でSOSを出してくるのは、いつだってハルの方なのだ。
でも……そんなハルを、あのケンちゃんが「大丈夫」と言い切るなら。
本当に、大丈夫なのかもしれない。あいつの野生の勘は、私の心配性よりも正しいことが多いから。
私は複雑な思いを飲み込み、最後のメッセージを入力した。
:「ケネス君の意見にも一理ありますが」
タタタッ、ターン。
:「やっぱり私も、数学の道に行ってほしいって思ってます。先生と一緒です」
:「でも、最終的に決めるのはハルですから。舟橋先生は落ち込まなくて大丈夫ですよ」
機械音声が読み終わると、先生はようやく柔らかな笑顔を見せた。
「そっか。ありがとう。ごめんね、急に呼び出しちゃって」
:「いいえ。問題ありません」
:「こちらこそ、ハルの心配をしてくれてありがとうございました」
私はスマホをしまい、最後に深く一礼した。
職員室を出て、廊下を歩く。
なんだ。いい先生じゃん。
全く、素直じゃないなぁ。
アラブの王子様は。




