第21話 天然タラシ
私は強風を突っ切って校舎へ駆け込み、教室にスライディングする勢いで飛び込んだ。
ガララッ!!
扉を開けた瞬間、絶望的な光景が目に飛び込んでくる。教卓を囲んで優雅にランチタイムを過ごしている、ハルとケンちゃん。そのお弁当箱の中身は――。
(あーーっ!! 私の山菜とおにぎりがっ!!)
私は彼らの顔も見ずに弁当箱へダッシュした。
ない! ケンちゃんのお弁当箱にあるはずの、いつもの特大おにぎり(明太子)が消滅している!
ハルのお弁当箱の彩りを担っていた『アコちゃん特製・山菜の天ぷら』も、残るはゼンマイのナムル一掴みだけ!
嘘でしょ……? 私の楽しみが……今日に懸けていたカロリー摂取計画が……。
ガックリと教卓に突っ伏した。
「お、ねむ。遅かったな。どしたの? ……ってお前、酢豚ある?」
ケンちゃんが箸を咥えたまま、相変わらずのテンションで私の『嚥下弁当』をロックオンしている。こいつ、私の絶望などお構いなしか。
私は顔を上げ、鼻息荒く手話を繰り出した。
【外にいたの! 強風の中、ベンチで二人を待ってたの!】
「は? なんで? グループにメッセ入れたろ」
ハルが不思議そうにスマホを指差す。
【気づかなかったの! ずっと一人でベンチでニヤニヤ妄想してたからっ!】
「よかったな。誰もいなくて。見られてたら通報案件だぞ」
ケンちゃんが図星を突き、憐れむような目で私を見下ろしてくる。
【うるさいな! いいから二個目のお弁当よこせよっ! まだ隠し持ってるんだろ!? おにぎりちょうだいっ!】
私はケンちゃんのカバンを指差して脅迫した。この巨人が弁当一つで足りるわけがない。予備の燃料タンクがあるはずだ。
「いいけど? その代わり、酢豚よこせよ」
【……チッ。勝手に取れっ!】
ぶっきらぼうに、プルプルと揺れる自分のお弁当を教卓に叩きつけた。交渉成立だ。
「そんで? どうなの? 最近。手話の先生体験、やってんだろ?」
ハルが私のゼンマイ煮をつまみながら、話題を変えてきた。その何気ない問いかけに、ふと現実に引き戻される。
【うん。楽しいよ。みんな私を『先生』って呼んでくれるし。……間違えて調子に乗っちゃうかも。気をつけなきゃ】
少し照れ隠しに肩をすくめた。調子に乗って失敗するのは、私の悪い癖だ。
「いいじゃねぇの? 別に調子に乗っても。実際、お前はすげえんだから」
ハルは箸を止めて、真っ直ぐに私を見て言った。
さらっと。本当に、呼吸をするようにこういうことを言う。
無意識の「褒め殺し」。これだから天然タラシは困るのだ。別にすごくなんかないのに、勘違いしそうになる。
「前みたいにさ、『手話落語』とかやってやれよ。俺、あれ結構好きだったんだけど」
ケンちゃんが思い出し笑いをしながら、ニシシと歯を見せた。
『手話落語』。それは、私が勝手に古典落語を手話に翻訳・アレンジして作った、オリジナルの創作落語だ。持ちネタは『寿限無』『猫の茶碗』そして『饅頭怖い』。元々は、私と同じように障害に苦しんで塞ぎ込んでいたコタツ君を、なんとか笑わせてやろうと思って始めた遊びだった。
身振り手振り、表情筋をフル活用して演じるサイレント・コメディ。
それが意外にもウケてしまって、当時通っていた支援学校に逆輸入され、全校生徒の前で披露する羽目になった。もちろん笑っているのは、ろう者だけ。黒歴史スレスレの思い出だ。
【そうだねぇ。でもまだみんなはわからないんじゃないかなぁ。理解できるまでは少し時間かかっちゃうよ。でも最近、『時そば』も覚えたよ? 見る? ……いつか、死ぬ前までに】
「いいね。見たい。絶対やって」
そう笑いながら、ケンちゃんは私の弁当箱から酢豚をガッツリと掬い取った。
あ、肉を三つも! 報復措置だ。
私はケンちゃんが差し出したタッパーから、巨大なおにぎりを強奪。さらに箸で半分に割り、中身の「おかか」がたっぷり入っている中心部分を根こそぎ自分の皿に移した。
「あああっ! お前、具を取り過ぎだろっ!」
【お前もなっ!! 肉返せ!】
ギャーギャーと騒ぎながら、おかずを奪い合う私たち。
そんな低レベルな争いを、ハルは頬杖をついて眺めていた。
その表情は、とろけるように優しくて。本当に、楽しそうに微笑んでいる。
……可愛い。
ぱっちりとした二重の瞳が、笑うと目がクシャッと潰れて、瞳が見えなくなる。
普段はクールなイケメンなのに、笑うと一気に少年みたいになる。
このギャップは反則だ。
きっと、世界中がハルを見つけてしまったら、ファンクラブの会員数は一日で百万人に到達するだろう。
……よし、ビジネスチャンスだ。
会員費は月額五百円。特典は『ハルの厳選スマイル動画(日替わり)』が見放題のサブスク形式がいいだろう。
私とケンちゃんがカメラマンとして協力すれば、毎日投稿が可能だ。被写体との距離感ゼロの私たちにしか撮れない、激レア映像を提供できる。
売上は……月五億円?
よし。撮影料およびマネジメント料として、取り分は五割頂こう。ケンちゃんは三割。
私はおかかまみれのおにぎりを頬張りながら、電卓を弾くようにニヤリと笑った。




