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こえあらず ほうに恋ありけり  作者: ぶりかま
四章 数式の海
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第17話 いつも見てるだろ

 登校時間、集落の静寂を破るように、重たいディーゼルエンジンの音が近づいてくる。

 朝のオンデマンドバスが、芦名家の前でブレーキを鳴らした。


「おーい。お前ら、急げー」


 俺が声を張り上げるまでもなく、男連中はとっくに準備を整えている。

 いつだって、玄関を出るのが遅いのは女子たちだ。

 レオとコタツは、慣れた足取りで早々とバスに乗り込んでいく。


「レオ。忘れ物は?コタツ。白杖は持った? ちゃんと手元にある?」

「持ったー。大丈夫ー」

「あるよー。大丈夫だよ、お兄ちゃん」


 弟たちに苦笑される。

 必要のない確認だと分かっていても、長年の習慣は抜けない。

 遅れてナナ、ユウ、タオが騒がしく飛び出してくる。

 その後ろから、アコがちょこんと頭を下げて乗り込んだ。


「忘れ物ないなー?」

「「「なーい!」」」


 合唱のような返事を聞いて、俺はようやくバスに足をかけた。

 振り返ると、母さんが玄関先で手を振っているのが見えた。


「ハル。みんな! 行ってらっしゃいっ!」

「行ってきます。母さん」


 プシュー、とエアが抜け、バスの扉が閉まる。

 そこはもう、小さな社会だ。いつもの席にはねむがいる。

 そして、その周囲には、この多国籍な村を象徴する顔ぶれが揃っていた。

 ナナの隣には、プラチナブロンドの髪を揺らす少女。ナナとレオの同級生のソーニャ。


「ソーニャ。おはよ」

「ハルーっ! おはっよーっ! ねぇー、それでさぁ、どおするー? 今日の美術ー」


 挨拶もそこそこに、彼女はすぐにナナとの会話に戻る。俺なんか眼中にねぇ。

 そしてユウの隣には、艶やかな黒い肌を持つ、ケネスの妹のエマ。


「エマ。おはよ」

「お、おはよう。ハル」


 二人に挨拶すると俺はいつもの定位置――最後部座席の真ん中へ向かい、腰を下ろした。


 隣には、窓の外を眺めていたねむがいる。


「ね、ねむ……お、おは、おはよう……」


 舌が回らない。 喉が干からびたように引きつる。

 ねむは振り向き、ふわりと微笑んだ。指先を優雅に宙へ滑らせ、『おはよう』と返してくる。


「あ、あのさ。き、昨日の、こ、ことなんだけど……」


 俺の挙動不審さに、ねむが目を丸くして首を傾げた。


「つ、次は試験、しっかりやろうとお、思う」


 ねむは「わかった」と頷くが、その視線は俺の顔に釘付けになったままだ。まるで未確認生物でも見るような目つき。


「な、なんだよ。見んなよ……」


 そう口走った瞬間、ねむの眉間に深い皺が刻まれた。


【なんだよ。急に変な喋り方してっ!見んなよとはなんだっ!いつも見てるだろっ!そしてお前も、私をいつも見てるだろっ!】


 手話が荒ぶる。指の動きが速すぎて、残像が見えるようだ。


「え!? い、いつも見てんの!?」


 俺が素っ頓狂な声を上げると、ねむは「はぁ?」と呆れ顔を作り、さらに俺の顔へとぐいっと肉薄した。

 ち、近い……。

 甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 ねむはフクロウのように首を何度も角度を変えながら、俺の顔面を至近距離で観察してくる。 やばい。いつもと感覚が違う。心臓の音がうるさすぎて、鼓膜が痛い。

 すると、ねむの冷たい手が、俺の額にぺたりと触れた。


「な、なに?」


 ねむは呆れ果てたように肩をすくめ、手話で返した。


【んー。なんか様子がおかしいと思って】

「は、ははっ……そ、そうだ。午前中の授業でケンが今日乳搾りなんだってよ! お、俺も飲みテェな!」


 だ、だめだ。言葉がカクツク……


【なんなの? その喋り方】

【い、いつも通りだろ。わけわかんねぇ事言ってんじゃねぇよ】

 俺は必死に手話で反論する。これ以上喋るとボロが出そうだ。だが手話も指が震えてうまく形にならない。


【ふーん。なら良いけど。朝からお乳搾りとか。ハル、エッチだね】

「は? お前さ、それはちが……」

「あーーー!! 今ねむが『おっぱい』『エッチ』って手話したよっ!! ねぇっ! ねぇ! ハルがセクハラ!?」


 事情を知らないソーニャが身を乗り出し、糾弾するように俺を指差す。


「なんだよテメェ。誰がセクハラだと!?」

「だってねむが……ンンーーー!」


 ソーニャが叫ぼうとした口を、隣のナナが素早く掌で塞いだ。


「黙れソーニャ。邪魔すんな」


 ドスの効いた低い声。

 (……邪魔? え? ナナが? なんで?)

 昨夜の自爆現場にいたのはタオだけのはずだ。なぜナナが事情を知っている?

 視線を巡らせると、ユウも目を閉じ、何かを耐えるような表情でエマの肩を強く掴んでいる。「何も聞くな」という無言の圧力。

 俺は恐る恐るタオを見た。

 タオはきょとんとして、小首を傾げている。

 あの顔は、本当に何も言っていない顔だ。あいつは口止めを守った。

 だとしたら――。

 視線の先。

 コタツの背中の陰で、小刻みに震える小さな肩があった。

 口元を手で押さえ、必死に笑いを噛み殺しているが、その目は三日月のように細められ、ニタニタと俺を見つめている。


 アコだ。


 あの野郎。昨夜の会話を盗み聞きしていやがったんだ。

 俺の、このよくわからん感情が、家族の娯楽として消費されている。

 あのクソガキ……

 今度こそぶっ殺すっ!

 俺は赤面したまま、心の中で盛大に絶叫した。

 バスは海沿いの道を滑るように走り、中継地点である小中一貫の冰の杜(ひのもり)学園の正門前に停車した。


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