第13話 認めちゃった
饗宴の熱気が去った後、リビングには満腹という名の幸福な気怠さが漂っている。
「よし、やるか」
俺とレオはシンクに立ち、コタツは台拭きへと散った。
「うぉりゃーっ! 汚れごときが俺の筋肉に勝てると思うな!」
「レオ、アルミが減る。落ちない焦げは化学(重曹)で落とすから貸せ」
物理で鍋を殲滅するレオの横で、コタツは単眼鏡でミクロの油ハネを鑑定している。
俺たちが背中で語りながら作業をしている間、女子たちはタオを除いて風呂へと消えていた。リビングに残ったタオは、タブレットを開いて勉強に励んでいる。
「タオー。わからなかったら言えよ」
「へいっ! 兄者っ!」
アコの口調がうつったのか気に入ったのか。さっきから武士口調で話しかけてくる。
芦名家のリビングで、会話が途切れる唯一の静かな時間だ。
「ねー、兄者」
タブレットを叩く音が止まり、タオが頬杖をつきながら気怠げに声を投げてきた。
「あー?」
俺は泡だらけの手を休めず、背中越しに応える。数学の質問か、あるいは小遣いの前借りか。
「お兄ちゃん。――ねむちゃんのこと、好きなのか?」
時が、止まった。
手の中で滑りそうになった皿を、思わず強く握りしめる。
……は?
何を言っているんだ、こいつは。俺とねむは親友だ。幼馴染……みたいなもんだ。それ以上でも以下でもない。
「……何言ってんだ。バカか、お前は」
極力、声のトーンを下げて冷淡に返す。だがタオは、ニヤニヤとした粘着質な視線を俺の背中に貼り付けたまま、追い打ちをかけてきた。
「だってさー。今日のアーンの時、手がプルプル震えてたぞ。あんなのお兄ちゃ……兄者らしくないぞ?」
喉の奥が、ひくりと引きつった。見られていた。あの震えを。動揺を隠そうと息を吸い込んだ瞬間、横から穏やかな声が割り込んだ。
「お姉ちゃん?ダメだよ、そんな図星を突いちゃ。お兄ちゃんにも準備ってものがあるんだから、静かに見守ってあげようよ」
コタツだった。単眼鏡を首から揺らしながら、慈悲深い微笑みを俺に向けている。
「……お、おいコタツ。お前まで変なこと言うな」
「ごめんね。僕は応援してるよ。大丈夫、気は使わないで。ハルくんの『春』が来たんだね」
「いやだから、わけわかんねぇこと言うな!」
俺の声が、わずかに裏返る。なんだ、この包囲網は。俺はガキ二人に遊ばれているのか。否定しようとすればするほど、鼓動が早くなる。
いや、違う。俺はねむと一緒にいる時、こんな脈打ったりしない。あいつといる時は、凪いだ海のように静かで、心地よい沈黙があるだけだ。それが恋? まさか。そんなわけがない。
「あれっ! お兄ちゃん動揺してる!? 顔が赤いぞ! あはははは!」
タオが机を叩いて爆笑する。俺は全身が硬直し、気の利いた反論ひとつ出てこない。水道から流れ落ちる水の束を見つめたまま、思考がホワイトアウトする。
もし。万が一、俺がねむのことを「好き」になってしまっているとしたら。これからの生活はどうなる。俺と、ケネスと、ねむ。完璧な均衡を保っていた正三角形が、音を立てて崩れ去る映像が脳裏をよぎる。三人でバカな言い合いをして、肩を組んで笑い合う、あの愛すべき日常が消えてしまう。
それだけは嫌だ。
「あーあ。重症だな、こりゃ」
レオの声が、どこか遠くから聞こえた気がした。
「タオ! 俺がタオのことこちょこちょするぞ! いいのか!」
「いや! もう言いません!! 女子だけでこの話はしようと思います!」
女子だけで? 待て。それは、ねむも交えてということか。
「ちょっと待て! 言っ、……言うんじゃねぇ!!」
思考より先に、喉が叫んでいた。リビングの空気が、ピタリと止まる。
「待て。落ち着けタオ。これは……ここだけの話にしろ。頼む」
俺は濡れた手で顔を覆い、呻くように懇願した。
「あーあ。認めちゃった……」
レオが呆れたように肩をすくめ、やれやれと首を振る。
マジか。俺。ねむのこと、好きなのか? 認めてしまったのか?
「お姉ちゃん? お勉強がんばろ。レオくん、早く終わらせちゃおう」
「「ウィー」」
すぐ背後でコタツが仕切る声が聞こえる。だが、その言葉はどれも耳の表面を滑っていくだけだった。洗剤の香りが、やけに甘苦く鼻についた。




