第4話 千鶴の過去
この世界でもう電車は動いていない。
だから久太は汗をかきながら自分の足を動かして線路沿いを進む。
家を出発して何時間も経つ。時刻はもう夕方になってきて太陽は傾いてきた。
「もうすぐ……もうすぐだから……」
彼の背中を押すような景色。視界には青い海が入ってきている。
そこで久太はポケットの中に納めていたお守りをぎゅっと握りしめ、歩くスピードを速めた。
◇◇◇
「いらっしゃい。あなたが秋原久太さんね。中へどうぞ」
千鶴が死んだという一報が届き、久太は居ても立っても居られなかった。
彼の手元にある手紙に記載されていた千鶴の住所。急いでそこへと走り出す。
「そう……。あの子は久太さんにこの家のことを教えてなかったのね」
千鶴の自宅。
それは古くボロボロ……というわけではない。むしろとても立派で大きな洋館だった。
だがここは周辺に暮らす住民が「怪しい場所だからむやみに近寄ってはいけない」と昔から話していた建物。
久太もよく注意されており、よほどのことがない限り近づこうとしてこなかった。
その中は異様……というよりも静かで不思議な雰囲気。
『母なる海。私たちを生んでくれた海。私たちを受け入れてくれる海』
『すべての生き物は海から生まれた』
『大切な人との大切な契りは、大切な海で結ぼう』
壁にはこのように書かれた白い紙がいくつも貼られていて、白装束の人々が廊下を掃除している。
「ここは海を信仰の対象とした宗教施設。教団のトップはわたくしで、孫の千鶴はその後継者候補だったわ」
応接室に通された久太は高級そうなソファーに腰かけ、正面に座る上品な老婆の顔を見つめる。
「似てるかしら? わたくしと千鶴は」
顔や目の形。年齢差はあるものの声質。それらは確かに千鶴と重なる。
「わたくしは愛染千蔭。正真正銘、あの子と血が繋がっている祖母ですから当たり前ね」
千蔭はテーブルの上に置かれた水を一口飲み、大きなため息をつく。
「千鶴はね。ここを飛び出したひとり娘の子ですの」
ポツポツと語り出す千蔭。
千鶴の母・千歳。彼女は将来的に教団を継ぐため、真面目にひたむきに修行をしていた。
信者の声にも耳を傾け、法令遵守の意識も高く、そして何よりも……。
「娘の千歳にはこの教団を統べるにふさわしく不思議な力があった。久太さんは信じないでしょうけれど、これは本当よ」
しかし千歳は教団から姿を消す。
あろうことか信者を装って潜入取材をしていたフリージャーナリストの男性と恋に落ち、駆け落ちを実行したというのだ。
「千歳はその男と一緒に遠くへ逃げた。そこで孫の千鶴は生まれたのよ」
千蔭の説明に、久太は固唾をのんで耳を傾ける。
「あの男は酷い人間。そもそもわたくしたちは危険性のない小さな教団だったのに」
確かに近隣の住民から気味悪がられてはいたが、色々と気をつけて活動をしていたのでここまで大きなトラブルなど皆無。
にもかかわらず千鶴の父親であるジャーナリストは、ネタ探しのためにこの教団にやってきた。
「後から色々と調べたのですが、あの男は過去の取材先で何度も性犯罪などを起こしていたらしく。身分を詐称して教団の門を叩いてきて、こちらは善意で迎え入れたのですがそれも後悔してます」
さらに千蔭はこう続ける。
「娘の千歳は絶世の美女だった。きっとあの男はその美貌に目が眩んだんでしょう。どうも『俺はずっと千歳の味方だから』って口説き文句をずっと言っていたらしいわ」
静かに話を聞いた久太だが、ここで恐る恐る尋ねる。
「で、でも。そのご両親は」
「ええ。千歳も男も行方不明に。逃げた先の平屋、水浸しになった台所の中で千鶴ひとりが倒れていて、そばには両親の指紋だけが検出された刃物は見つかったけれど」
「それじゃあ千鶴……いや千鶴さんはそれからここへ?」
「ええ。気の毒なのはひとりになった千鶴。捜索願を出しても両親は見つからないので、孫のことはこちらで引き取ったのです」
「……」
これに久太は言葉を発することができない。
なぜ千鶴が家に自分を近づけようとしてこなかったのか、その意味が段々と分かってきたからだ。
「久太さんは随分千鶴と仲良くしてくれていたそうですね? あの子からよく話を聞いていました」
「あっ、い、いやあの。……はい、そうです。だから千鶴さんが学校を辞めて、亡くなったこともショックで……」
「お辛いかもしれませんが。これをご覧ください」
すると千蔭が取り出しテーブルに置いた一枚の写真。
「……っ!」
そこに写っていたのは、廊下で出会った人々と同じような白装束姿の千鶴が、畳の部屋で倒れているものだった。
「あの子は突然『教団を継ぎたいから修行をしたい』と言い出したんです。わたくしとしては嬉しいものでしたが驚きもしました。学校まで辞めてしまいましたからね」
千鶴は海への信仰心こそ持ってはいたが、教団そのものとは距離を置いていた。
そのため千蔭は孫を後継者候補に数えてはいたものの、本人から申し出てくるまで活動を無理強いすることは絶対にしてこなかったのだ。
なのに……そんな千鶴は高校を中退して「教団の修行をしたい」と話をしてきた。
「誤解されないよう説明しますと、わたくしたちは無理な修行などいたしません」
千蔭によれば信者の中には心身の弱い者が多く負担の大きなこと禁じられている。
千鶴も地方の海沿いに設けている小さな施設で、朝晩に『海への祈りの言葉』を復唱し、基本的には規則正しい生活を送る程度のものだった。
そんな彼女の死因は突然死。警察も捜査をした結果『事件性無し』と判断した。
「孫はふとした時に久太さんの話題を出してきて、こちらもいつかお会いしたいと思っていました。ただあの子はいつになっても会わせてくれず……。それでもさすがに訃報は直接お伝えしないといけないと思ったんです」
「そう……ですか……」
事の顛末を耳にして肩を落とす久太。千蔭はそんな彼にあるものを差し出す。
「遺品のうち、これは久太さんに差し上げてもいいかと」
千鶴の遺体の写真の横に置かれた、水色のお守り。
「これは千歳が自分で作ったもののひとつ。どこかで譲り受けたのでしょう」
久太はこのお守りを手に取ると、唇をかみしめてそれを凝視する。
「ようやくお会いできましたが、久太さんはあの男とは違って誠実そうな方。できれば千鶴と結ばれて欲しかった。後の祭りですがわたくしは思いますわ」
これに久太は静かに首を横に振る。
千鶴が修行をしようと決意したのは、恐らく久太との最後のやり取りが原因。
自分が千鶴に愛を伝えきれなかったせいで。
自分が千鶴を追いかけなかったせいで。
自分が千鶴のことを本当に受け入れなかったせいで。
「千鶴は……死んでしまったんだ……」
千蔭には届かないほどの小声で、久太はこう呟いて涙をこぼす。
それからしばらく話をした後、千鶴の自宅を出ようとする直前。
「久太さんももうじき大学受験でしょう。頑張ってくださいね」
玄関まで見送りに来てくれた千蔭に向かって、勇気を出して久太はある質問をした。
「あ……あの。千鶴さんは何か不思議な力を使うことはできたのでしょうか?」
これに千蔭は少し驚くような表情を見せた後、すぐに優しく微笑んだ。
「千鶴にはなかったでしょうね。一緒に暮らしていたので分かります」
しかし千蔭は「ただ……」と続ける。
「先ほども言いましたがあの子の母親である千歳は違います。千歳は、娘だけは、本当に海から選ばれた力があったわ……」
こう言葉を絞り出した千蔭。
それに久太はうなずくと先ほど受け取ったお守りを取り出し、小さく刻まれている文字列に視線を移した。
『どうか海の神様のご加護がありますように』




