70話 蒼良
ルーベン辺境伯様が宿泊しているという宿へ移動してから、話はものすごくスムーズに進んでいった。
細かい取り決めは色々あるけれど、大まかには、アニマーリア王国が是正を終えるまでは私は一切取引しない。これまで売られてしまった人たちを探して保護するように、モカからの厳命としてもらった。シロ君が大人になるまで生活に困らないだけのお金が用意され、ルーベン辺境伯様がヴェリタス王都学園への入学許可も出してくれた。
それらすべてが承認された頃には、ずいぶんと夜遅くなり、シロ君はすっかり眠ってしまっていた。
「宿泊のお部屋まで私がお連れしましょうか?」
重そうだと笑いながら声をかけてきてくれたのは、ルーベン辺境伯家の騎士団の方だった。たしかエレンちゃんがよく懐いていた人だ。
エレンちゃんは、シロ君と離れたくなく、婚約者がダメなら従者でもとお願いしたようだが、シロ君自身がきっぱりと断っていた。それには二人の温度差がすごくて、周りが気を使ったぐらいだった。
「いえ、この子の重みを感じておきたいので」
そう答えると少し不思議そうな顔をされたが、すんなりと引き下がってくれた。部屋までの案内はしてもらいそこで明日の段取りを聞く。朝食を一緒にとのことだった。そういえば今日は朝以外、なにも食べていないことに気付く。部屋に入ったらまずは通販だな。
案内された部屋にはキングサイズの天蓋付きベッドがあった。これはきっと三人で寝ろってことかな。モカは慣れてるけれど、シロ君はどうだろう。私が蹴とばす懸念がある。シロ君をそっとベッドへおろすと目が合う。
「起きる?」
「……うん」
まだ眠そうな目をこすりながらよたよたと歩いて、真ん中にあったソファへと座り込んだ。この部屋にあるもの全て高級品って感じであまり触りたくないなと周りを見回した。
食事に関してはきっと表にいる護衛の人や侍女さんになにか言えば出てくるかもしれないが、身の安全が完全に保証されたところ以外ではどうしても食べる気にはなれなかった。
「今日はお弁当で申し訳ないんだけれど、これなら食べられるかな」
そう言って出したのはモカも大好きなハンバーグ弁当だ。ハンバーグを見たこともないシロ君は恐る恐る口に含んだあと、目がきらきらとしだした。それを見てから私もお弁当に手をつけた。
「シロ君。食べながらでいいから聞いてほしいんだけど、さっき婚約者も従者も断っていたでしょう? 本当に良かったの? 学園は?」
「あの子、ずっと喋る。一緒にいると疲れる」
「な、なるほど……」
「学園は行ったことがないからわからない」
学園は基本的に貴族が行くものであり、平民は滅多に行けないのがアニマーリアでもヴェリタスでも共通だ。その学園に通えるというのは大きなメリットになるような気がするんだけれど、本人に行く気がないと続くものでもないしなぁ。
「……僕、また孤児院?」
持っていたフォークを置いて下を向くシロ君に、私は昨日モカに相談して決めたことを話すことにした。
「シロ君」
私を見たシロ君の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。先にこのことを話してあげればよかったと後悔する。
「シロ君が良ければだけど、私たちと一緒に暮らさない?」
シロ君は目を丸くしたあと、私に飛びついてきた。
「……暮らす! 一緒がいい!」
シロ君を抱きしめ返すと、モカもとことことやってきた。シロ君はモカにも抱きつき、ようやく輝くような笑顔を見せてくれた。
「シロ。ママやボクと暮らすということはとても大変なことでもある。秘密だらけだし、これから国を作らないといけないし、大忙しで常に構うなんてできないかもしれない。それでも大丈夫?」
「うん。僕も手伝う」
「それはほどほどで良いのよ。子どもなんだから」
「でも手伝わないと怒られるよ」
「あのね、一緒に暮らすからって絶対に手伝わないといけないなんてことはないの。手伝いたいなら手伝えばいいし、手伝ってほしいとお願いしたときは手伝ってほしい。でも断ったからと言って怒らない。理由なしで怒るなんてしない」
「でも……シスターは、いつもみんなに怒ってたよ」
ほんと、とんだ孤児院だったようね。怒りが湧いてきそうだけれど、この子を安心させるほうが先にすべきこと。ふぅ、と一呼吸する。
「私とモカはそのシスターとは違うとしか言いようがないんだけど、悪いことしたら怒るよ? 人に迷惑かけたり、傷つけたりしたら怒る。自分がされて嫌なことはほかの人にはしないようにしてくれたらいいよ」
「……ほんと?」
「本当よ」
シロ君の両頬を挟んで、額に当たるか当たらないかのキスをする。シロ君はそのおでこに手を当てて口をもごもごさせる。もしかして、これもセクハラ? モカにはいつもしてるし、ディルクもキス魔なせいでなんにも考えずにしてしまった!
「ご、ごめん! いやだったよね、以後気をつける!」
シロ君のおでこを拭き取るためにティッシュを取ろうとしたらその腕が掴まれる。ん?と思っていると、私の額に微かな温もりが触れた。
「……嬉しかったから……」
ぐはっ。
『モカっ、な、なにこの可愛さ!』
『ママならそうなるかと思ってた』
『元の色がモカと似た色ってだけでも高得点なのに、どうしよう。可愛いが過ぎる』
『セクハラには気をつけようね』
『それは重々反省しております。以後気をつけます』
私がモカに悶絶度合いを説明していると、また腕がくいと引っ張られる。それに合わせてモカと二人でシロ君を見た。
「あのね……名前、つけて欲しい……」
「名前?」
「シロは好きじゃない」
「そっか……元の名前も覚えていない?」
こくんと小さく頷くシロ君は不安げに瞳を揺らす。
「ママ、つけてあげなよ。ボクのときみたいに安直なものではなくてさ」
「えっ、モカは安直だと思ってたの!?」
「どう聞いてもそうだと思うよ。みんなにも言われてたでしょ」
「い、言われたけど、私的には一番良い名前だったのに!」
まさかの衝撃の真実だ。なんなら異世界転移した事実より知りたくなかったかもしれない真実。
「ちょっと待ってね、ちゃんと考えるから! いや、モカもめちゃくちゃ考えたんだけどね!?」
じーっと長い前髪の間からこちらをキラキラとした瞳で見てくるシロ君からのプレッシャーを感じつつ、モカからの変な名前つけるなよというプレッシャーも感じつつ、うんうんと考える。
「……また色かって思われるかもしれないけど、君の蒼い瞳とこれからの人生が良いものになりますようにと祈りを込めて、蒼良なんてどうかな」
私自身がキラキラネームだし、字面的にも合うはず。この世界、漢字ないからなにも伝わらないけれど。
「ソラ……ソラ」
かみしめるように何度もソラと呟く彼の様子を見ていると、首にぎゅっと抱き着いてきた。後ろにのけぞりそうになったのをモカが支えてくれる。モカにお礼を言うと「気に入ったみたいだね」とモカも喜んでくれた。
「僕、これからソラ!」
「気に入ってくれてよかった。これからしばらくは3人で頑張ろうね」
異世界にきて初めて自宅ではない場所で眠ったにもかかわらず、三人とも爆睡だった。




