63話 消えた彼女 ―ディルク視点―
「ママっ!!」
その声だけが耳に残っている。
あのとき、あのふざけた二人の暴言をトワに聞かせたくなかった。だから、俺が愛してるのはトワだけだと伝えて抱きしめた。
それでも彼女の不安を拭えなかった。
だから彼女は、俺の前から消えた。
突然、目も開けられないほどの光が目の前を覆うなか、モカ様の焦った声に、咄嗟にトワに手を伸ばした。
光がだんだんと薄くなると、そこにトワとモカ様の姿はなかった。
なにが起こったのか理解できなかった。いや、なにが起こったかは分かっている。だが、それを理解しようとする頭を感情が拒んだ。
人が消えたことで悲鳴が上がり、騒ぎがだんだんと広がっていく様子を目の前にしているというのに、なにも考えられなかった。
トワが消えた。それをモカ様が追った。
俺は何もできなかった。ただ、それを見せられただけだった。
いつからそこにいたのだろう。いつの間にか俺は殿下の別宮の中庭にいた。いまは何もない芝生が広がるだけの中庭。
「だ、団長……」
声をかけてきたのは、ロキだ。視線だけそちらへ向けると、ロキが気まずそうに報告を始めた。ロキの後ろにはトワの侍女が見えた。
「リオレス殿下の命令により、その場にいた団長の兄の妻と、その友人の令嬢を捕縛。その一族も捕縛対象となりました」
つまりは、俺の兄も参考人として連れていかれたのだろう。聖獣とその愛し子を消したんだ。なにをされても文句は言えないだろうし、俺は許すつもりもない。ようやく回りだした頭は、感情とは裏腹に冷静だった。
「……ベーベル嬢」
「は、はいっ」
俺が声をかけると思っていなかったであろう彼女は、顔面蒼白だ。自分がどんな顔をし、どんな空気をまとっているかは、彼女や周りの反応を見ればわかった。魔力が渦巻いているのもわかる。でも止めようとも思わなかった。
「最近のトワの様子でおかしなところはなかったか? どんな些細なことでもいい。君が一番彼女と過ごす時間が多いだろう」
「……トワ様は気にしていないと仰っていましたが、別宮を離れ、外に出られるといつも悪意の中に晒されていました。特に、国王陛下夫妻の病を治したころから、モカ様や護衛がいないときを見計らったかのように、トワ様に執拗に婚約を迫る者や、団長様と別れるよう迫る者が多数いました。モカ様と団長様には話すべきだと言ったのですが、ご本人が頑なに拒否されて言い出すことができませんでした。それでもこんなことになる前にご報告すべきでした。申し訳ございません!」
頭を下げる彼女を見てもなんの感情も湧かない。今、俺の感情を動かせるのはトワだけだと思い知る。
きっと、トワが我慢を重ねていたところにさっきのことが重なり、それが引き金となって、トワとそれを追ったモカ様が消えた。事実としてはそれだけのこと。
ベーベル嬢には今日はこのまま下がるよう告げ、ロキを連れてリオレス殿下の元へと向かうことにした。
「ディルク、お前は尋問には参加するな」
牢の前にいた殿下に開口一番そう言われる。そう言われるだろうなとは思っていた。殺してしまいそうな自分がいる。
子どもに関するあの言葉は、トワにとって呪いのようなものだっただろう。どれだけ傷付いたか想像に難くない。
「このことはお前の兄嫁とその隣領の令嬢だけで決まったことで、お前の兄と父親はなにも知らなかったとのことだ。あのネックレスもいつの間にか持ち出されていたそうだ」
殿下は俺を見たあと、肩を軽くたたいた。
「いますぐにでも殺しそうな顔をするな。このままだと魔力の暴走も危険だ。しばらく出勤しなくて良い。この件は私が預かる」
「殿下」
「安心しろ、お前とも関わらないようにする。これまでのことも全て調べよう。聖獣と愛し子を消した罪は重い。きっちり落とし前はつけさせる」
そう言ってまた牢に戻っていく殿下に、頭を下げて地下を後にした。
自室に戻り、ベッドに突っ伏す。今朝も彼女は俺の腕のなかにいた。今日のことを考えて、ただ一緒に眠っただけだったが、幸せだった。
彼女が隠していたことを話してくれたとき、やっと彼女が心の壁を取り払って、そばに来てくれたのだと嬉しかった。
彼女に言った通り、自分が結婚して子どもを持つなんてことを考えたこともなかったから、どちらかといえばそこまで先を考えてくれていたことが嬉しかったぐらいだ。初めて、甘えたように泣きじゃくる彼女が愛しくて仕方なかったのになぜ。簡単に疑えるほど、彼女には俺の想いが伝わっていなかったのだろうか。
どうして嫌がらせをされていたことを俺に一言も相談してくれなかったのだろうか。どうして頼ってくれないのか。「どうして」ばかりが思い浮かんでくる。
国を出なければならない、なにか使命があるのだという。でもそれには俺を連れて行こうとは絶対にしない。どちらかというと、ついてこないでほしいと遠回しに言われた。モカ様は、トワが俺を頼らないのは甘え下手だからというだけでなく、本当に使命があるからだと明かしてくれた。ただ、その使命がなにかは教えてはもらえなかった。
もし、今回のことにその使命が関係しているのであれば、彼女たちはまだこの世界にはいるはずだ。
そう頭では分かっているのに、彼女が隣にいない現実をなかなか受け入れることはできなかった。




