62話 転移
「…………は!?」
目を開けるとそこは、辺り一面、緑の世界だった。えっ、さっきまで王宮だったはず……うん、そうだ。自分の服装は、綺麗なドレスのままだ。間違いない。じゃあどうしてこんなところに?
「ママっ!」
辺りを見ながら困惑していると、頭上の空間から小型のモカが腕のなかに落ちてきた。
「モカ!」
わけもわからず大事な家族であり相棒の愛犬を受け止める。ポメラニアンなモカを堪能したいけれど、いまはそれどころではない。
「モ、モカ、ここどこ!?」
「もうっ、ママのバカっ!」
私の質問にかぶせるように飛んできた暴言に、「バカ」と繰り返し呟く。
異世界に来てからモカに怒られることは情けないことに度々ありはしたけれど、バカと言われたことは初めてだ。
「ボクが追いつかなかったら大変なことになっていたんだからね!?」
「え、いや、でも私もなにがなんだか……」
「ママ、ここへ来る前になにか思ったりしなかった? 帰りたい、ではないと思うんだよね。ここはまだ異世界のままだから」
モカからそう言われて、さっきまでのことを思い出す。ディルクの婚約者ができたと言われ、その人たちから絡まれていた。あの時、私はどう思っていたっけ……
「ここから消えたい、かな……」
以前なら、いつかディルクとの別れが来ることもある程度、予想していた。だって彼は貴族で、エリートな人だから私はきっと邪魔になる。だけど、彼が受け入れてくれたあの日からそんなつもりはなくなっていた。
それなのに、あんなにはっきり愛してるって言ってくれた直後に、消えたいと思ってしまった自分がいる。それが情けなくて、たまらない。
モカは、私の答えに対して大きなため息をついた。
「それしかないよ。その思いがきっかけで、ここへ転移したんだよ」
「でも、私は転移魔法みたいな大きな魔法は使えないのに」
「前に言ったでしょ、ママには精霊がついているって」
「うん?」
「精霊も、こないだ会った精霊王もママのことが好きだから、ママのためになると思ったんじゃないかな。精霊王なら誓晶石をうまく利用すればいいだけだろうし。いまごろまた創造神様に怒られているかもしれないけれどね」
「たしかに、なんの説明もなかったのは困るけど、私のためになると判断してくれたんだし、悪いことばかりではないでしょ」
「ママはそういうところ甘いよね」
モカは私の腕から、ぽんっと狼サイズのモカになって飛び降り、呆れた顔をした。
「私だってここにモカがいなければパニックになってたわよ。モカが追いついてくれてよかった。でも、パーティー会場はパニックになっているんじゃないのかな」
「パーティー会場もだけど、心配なのはディルクだね」
「……ま、そこは婚約者さんがなんとかするんじゃない?」
「ママ」
ビリリッと空気が張り詰めるなか、モカのいつもの声ではない低い声で私を呼ぶ。
「はいっ!」
その声に思わず姿勢を正してしまう。モカは周りを見たあと、私を見上げた。
「たとえ事実だったとしても、目の前でママがいなくなったんだ。ディルクが正気でいられると思う? それに、聖獣と愛し子を消したんだ。きっとただでは済まないよ」
「でも、彼の家族よ?」
「彼はママを選ぶよ、ボクだってそうするもん。今回のことは精霊にも問題があるし、ママの過去のことも知っているから強くは言えないけど、それ以上に問題なのはママだよ。なんでママは、もっと愛されてるって自信を持たないの? 来世だって誓ったんでしょ? 別れるつもりはなかったんだろうけれど、それなのに心のどこかでいつか離れるかもしれないって漠然とした不安があったんじゃない?」
モカが珍しく責め立てるように言葉を繋ぐ。その通りだからなにも言い返せず、黙っていた。
「ママは、これまでの嫌がらせや今日のことで心が疲れて、精霊たちは消えたいという言葉をママの本当の願いだと思ったんだよ」
「だって……」
また黙ってしまった私をモカがじっと待っている。
こんなことモカに言っても仕方ないのは分かってる。分かってるけど——
「私だってディルクのことは信じたいし、信じてたし、別れるつもりもなかった! 来世だってその先だって一緒にいるつもりだった。でも、異世界へ来て彼と一緒にいるようになって、ずっと誰かに何か言われ続けて私も疲れてたの! それに、彼は貴族で政略結婚が当たり前の世界で、彼の家族だという人たちにあんなこと言われて、頭の中がぐちゃぐちゃになったの。本当はディルクを信じてる。でも、信じてたはずの人に裏切られたことがあるから、心のどこかでまだ怖いの。また同じことが起きるんじゃないかって、勝手に怯えてる自分がいるの!」
「ママ……」
「……ごめん、ちょっと頭冷やしてくるね」
モカからは見えるであろう場所にあった石に座り込んだ。いまのはよくない。モカはなにも悪くない。モカがいないと何もできないくせにひどい八つ当たりをしてしまった。ますます自己嫌悪に陥り、頭を抱えていると、もふっとした温もりが隣にきた。
「ごめんね、ママ」
「モカは何も悪くない」
「うん。でもごめんね」
「ママ、しばらくは2人で頑張ろ。ここは、ボクたちの土地で、国にも発展させられるし、このまま2人の小さな村でもいい。貴族とか王様とかそんなのも関係ない。ボクとママの好きにできるんだ。どんなことがあってもボクはママから離れることはない。それは絶対だから」
こくんと小さく頷く。モカの優しさに甘えて泣くわけにいかない。顔をあげて、モカを見つめた。
「ママ、もう一度頑張れる?」
「……うん」
「一緒に頑張ろ」
「うん!」
ぎゅうっと音がしそうなぐらいモカを抱きしめたら、痛いと笑いながら離されてしまった。
「気合い入れ直して頑張る。モカ、ありがとう。大好きよ」
「知ってるよ」
モカのぐりぐり攻撃に石から落ちそうになりながらも、なんとか受け止める。このぬくもりを絶対に離さないためにも、もう一度、頑張ろう。胸を張ってディルクと会えるように。
第二章、始まりました!
引き続きよろしくお願いいたします。




