39話 告白①
モカ、ママは絶体絶命のピンチです。
眩い美貌のなかでも特に綺麗で澄んでいる瞳が、今は暗い海の底のように澱んでいる。
いつの間にか私はソファに組み敷かれていた。視線は私から決して逸らさない。
「トワ」
「……っ。もうモカがバラしちゃったけど、しばらくしたらバナード王国から出るつもりでした」
「俺に黙っていくつもりだったのか」
「言えば絶対付いてくるって言いそうだもん」
「騎士を辞めれば問題ない」
「そう言うと思ったから言わなかったのよ。前に言ったでしょ、モカとちゃんと自立したいって。あなたのことは邪魔だとは思わないし、大事だけど、それとこれとは話が別なの」
「……大事?」
あ、言っちゃった。もういっか。病気のことも説明しないといけないし、一気にたたみかけてみよう。
それに、ここは空気を読んで素直になるのが一番身の安全が確保できる気がする。大きく息を吸ってから、私を上から見下ろしている彼の目を見つめる。
「あなたのことは、好き。大事に思ってる。でもいまは一緒にはいられない。私は自立する必要があるの」
「ハァ……俺を殺せるとしたらあなただけだな」
ぼそっとそう言われたと同時に、顔が近づいてきて噛みつくようなキスがされる。息をするのも苦しくて、呼吸を求めて顔を背ければ戻され追いかけられる。ようやく少し離されたときには唇なんて溶けそうになっていた。体を撫でる手に慌てて手をかける。
「ずっと聞きたかったんだ。我慢なんてできない」
「ここは、婚前交渉はダメな世界なんでしょ。だからダメ」
「知らないのか? 魔力が多い人間はその条件は除外されていること」
「えっ、だからあんなぐいぐい来てたの!? というかそれ本当なの?」
以前、大神官長様からそう教わったのだ。お隣のギルフォード帝国以外はすべてそうだった。
確認しておかないと、嘘だった場合に問題になったら困る。立場のある人だし、大変な事になってしまう。
「本当だ。討伐なんかで魔力を使うと魔力の昂りが収まらないときがある。遅れてくる場合もあるが。それを抑えるために騎士団管轄の娼館があるからそこへ行く」
「ということは、あなたも?」
「――どっちだと思う?」
正直、行っていても仕方ないとは思う。別に彼が他の人としてもそれは問題ではない。私だってそうなんだから。それに、女嫌いだとしてもそういったものとは別のものだろうし、私の貧相な体では満足もさせてあげられないだろうし?
でもなんだろ、やっぱり面白くないというか……その沈黙を彼はどう思ったのか、苦笑してから私の頬を撫でる。
「行くわけがない。俺は魔物討伐で許可もらっている数少ない例外だ」
「そ、そう……」
「いい機会だから俺が女嫌いになった理由を説明しておこう。それを聞けば疑うこともなくなる」
私と一緒に起き上がり、手を離さないまま隣に座り直した。それから彼から聞かされた話は思っていた以上にひどかった。まさか実の母親に媚薬入れられて嵌めらそうになるだなんてそりゃ嫌いにもなるわ。普通に婚約を結ぶだけじゃダメだったのかと不思議に思い聞いたら、彼自身が断固拒否していたらしい。
「嫌なこと思い出させてごめん」
思わずぎゅっと彼に抱きついてしまった。私からしたことがないからか彼は一瞬固まってしまったけど、すぐにきつく抱きしめ返された。
「俺にとってあなたがどれだけ特別なのか理解してもらえただろうか」
「正直、なんで私なのかっていう気持ちはずっと消えないと思うけど、特別なんだってことはわかった」
「いいよ、一生かけてわからせるから。というわけで、続きもできるんだけど?」
「や、それはちょっと待とう」
「それなら、あなたは約束を」
「約束?」
体を少し離した彼は、私の片手に自分の指を絡め、もう片方の手でそっと私の頬を撫でた。
「俺の前から勝手にいなくならないでくれ。俺は、あなたの願いはすべて叶えたいと思っている。あなたが家が欲しいならすぐに買うし、あなたがドラゴンが飼いたいというなら連れてこよう。あなたが俺に言い寄る人間が邪魔だというならすべて消そう。あなたが王妃になりたいというなら国を手に入れよう」
「い、言わないよ! そんなこと!」
ドラゴンには正直、ちょっと興味あるけど。
「ただひとつ、叶えられないことがある」
「なんでも叶えてくれるんじゃないの」
「あなたを元の世界に帰すことだ」
繋がれた手を握る力が強くなる。
「絶対に帰さない」
――私、とんでもない人に捕まったんじゃないだろうか。いや、私から運命の相手って言ってしまってはいたみたいだけども!
「……どうすればあなたは安心できるの、抱いたところで私は国を出るのをやめないわよ」
「そうだろうな。だからどの方法が確実か考えている」
彼は思案するようにネックレスの細いチェーンに指をかけた。
「俺の前からいなくならないとこの石に約束してほしい」
「その前にもうひとつ、話しておきたいことがある。これは一緒にいるならいつか言わないといけないと思ってたことなんだけど……」
「それはいま聞くべきこと?」
「いましか言わない」
「……わかった、話して」
一度、石から手を離した彼は横に座り、私が切り出すのを待っている。なんとなく目が合わせられなくて、私はラグの織り目を見ながら話し始めた。
こっちへ来る半年前に子宮がんで入院して、全摘出していること、そういった行為をしたとしても子どもはできないことを。
「あなたは、きっと貴族でしょう? 跡取りも必要だろうから言えなかった。それなのに中途半端に受入れてしまってごめんなさい」
「……いまは」
「え?」
「いまは、体は辛くないのか、大丈夫なのか?」
「え、うん。退院後、ゆっくりできるようにその前に仕事辞めてたから、仕事探さないとなって思ってたぐらいだし、元気だよ」
「そうか」
彼はさっきまでとは違う優しい微笑みで私を見ていた。
「怒らないの?」
「なにを?」
「その、黙ってたことを」
「俺から一歩引いているように常に感じていたのは、それも関係ある?」
「うん」
言葉のすべてを理解したわけではなかっただろう。けれど、私が何かを失い、それを理由に自分を遠ざけようとしていたことだけは、その聡明さで正しく汲み取ったようだった。
「それなら、俺だって謝らないといけない。貴族といっても騎士科に入るときに除名申請をしているんだ。未だに許可されないからそのまま伯爵家の次男になっているけど、次男だから跡を取ることもないし、取りたくもない」
「でも……」
「なに?」
「あなたの美貌を残さないと人類の損失な気がする」
「こんなのあってもなにひとついいことはない。そもそもあなたは思い違いをしている」
「思い違い?」
「俺のことは女嫌いだと聞いていたんだろう? そんな人間が、結婚や子どものことなんて考えると思うか?」
「だって、貴族は政略結婚が普通なんだから嫌だと言っていても仕方ないことだってあるでしょ。それにもし、私じゃなくても他の女性に運命感じたらその人との子どもがいたら良いなとか思うかもしれないじゃない」
「あなた以外はどうでもいいからそんなことは絶対に起きない」
「……いいの? 本当に。日本にいた頃だって結婚願望はなかったし、浮気されてさらになくなった。そんな時に病気がわかって自分でそれを選んだんだけど……ここにはそんな医術もないでしょう? 体の……臓器の一部がない人間なんて、受け入れられるわけないでしょ」
「俺が受け入れる」
そう彼が躊躇いもなく言った瞬間、時が止まったように感じた。私の聞き間違いとかじゃないよね?
「……いいの? 本当に」
声が震えてしまう。信じたい。でも怖い。もう一度、同じこと言ってくれるのだろうか。
「俺が受け入れる」
その言葉が、あまりにも簡単で、あまりにも確かで――
ブワッと一気に涙が溢れ出てくる。
きっと私は、話すことで否定されるのが怖かったんだ。
子どもが産めない女は必要ない、と。
それを、この人の口から聞くのが怖かった。
それなのにこの人は、責めるどころかまず体を心配してくれるし、簡単に受け入れるとか言うから、我慢していたものがとめどなく溢れ出てくる。大丈夫だと包み込むように背中を優しく撫でられ、涙はより止まらなくなった。
「どうじよ、どまんない〜」
「ハハッ、いいよ。好きなだけ泣いて。俺が側にいる」
「もう〜なんでまたそういうこと言うの〜」




