33話 この世界について③
大神官長様は静かに目を閉じて胸元で手を組んだ。
「神殿の神官たちが使う神聖力は、魔力とは全く違います。神聖力は、聖なる属性のエネルギーです。神殿の神官たちは、神への深い信仰によって、神から授かる奇跡の力だと教えていますけどね」
大神官長様は少し声を潜めて、悪戯っぽく笑った。
「実際は、生まれ持った魔力の波長のようなものだと言われています。特定の波長を持つ者だけが、聖なる力と同調し、癒しや浄化の奇跡を引き起こせる。……まあ、神殿の手前、表向きは信仰の証、ということになっていますけど」
「では、両方持つクィンさんは珍しいということでしょうか」
「我々も魔力は多少は持っています。でないと生活できませんからね。ですが、クィンのように魔力も神聖力も大きいというのは非常に珍しい存在です。この国でも一人の可能性が高いでしょう。彼は歴史ある家系ですから、これまでの一族に神聖力を持つ人間がいたと考えるのが妥当です」
身近がチートだらけだ。クィンさんも貴族だし、平民で王城で働いている双子君たちは本当に狭き門を潜り抜けているんだな。
「魔力は平民は主に生活に使うと聞いています。騎士は守るべきものに使うでしょう。貴族の方はなににお使いになるのですか?」
「貴族は、自分の利益になること以外に使うことはしません。貴族のなかでもクィンの実家などは、魔石を加工する事業も営んでいますから、そういった関わり方もあります」
「では、神殿は? そんな風に嘘を教えているのであれば、もし平民が癒しや浄化を求めた場合はどうなるのですか? 病院などがあるのでしょうか」
「神殿によっては護符を配布しているところもありますし、神殿直営の治療院もあります。これは全世界共通ですが、良い神殿に当たれば安く診てもらえますし、資本主義の神殿に当たれば平民をまず見ることはしないでしょう」
神殿によってそんなに差があるんだ。てっきりどこも同じように国民を救ってくれるものだと思っていたけど、ここも組織である以上、格差はあるってことね。
「私の世界では娯楽が豊富にありまして、その中にいま私がいる現実の異世界や魔法はないのに魔法の世界の物語があります。特にその異世界ファンタジーものでよく出てくるのが聖女様です。この世界にもそういった方はおられますか」
「この世界には現在、聖女様はいらっしゃいません。愛し子ですらあなた方が200年ぶりです。その200年前の方が最も新しい聖女様です」
「え、じゃあ、私も聖女様だと勘違いされたりしませんよね?」
「聖女様は治癒魔法に長けていて、短命です。反対に、愛し子は個々の能力は様々で長命という大きな違いがあります」
「勇者も?」
「勇者ですか、聞いたことがありませんね」
「そうなんですか。勇者と聖女様は物語ではよくセットで出てくるものですから。では、この国の騎士の方だけが、魔物と戦っているのですか? そもそも魔物とはなんなのでしょうか」
「魔物とは、いわば瘴気の沼が生み出す存在です。その沼のことは、もしかしたらすでにご存知かもしれませんね。……ヴェリタス王国とアニマーリア王国の国境地に、いまも残る沼のことです」
それは、創造神様からも聞いた話だった。魔族の侵攻、その置き土産。あのときは同じ話でも、いま大神官長様の口から聞くとまた違う重みがある。
「タチが悪いのは、そこが未開の地だということです。手前の境界線で命からがら拾われた薬草ひとつで、街の家が一軒買えるほどの値がついたこともあると聞いたことがあります。奥には、古代の遺物や見たこともない宝が眠っているという噂です。……まぁ、あくまで噂なんですけどね。欲に目を眩ませて森の奥へ入った者は、これまでの歴史でただの一人も帰ってきていませんから。そこは、現在も人間が住む領域から大きく外れた、不気味な未開の地となっています」
「そこの魔物たちが、各国へ散らばっているということですか? 他にも沼があるんじゃないんですか?」
大神官長様はほんの一瞬目を瞠ったあと、一呼吸してから続けた。
「良い質問です。結論から言うと、魔物を生み出す沼そのものは、あの瘴気の森の奥深くにあります。ですが、そこで生まれた魔物は、ずっと森の中に引きこもっているわけではありません。森の中で魔物が増えすぎると、彼らは住処とエサを求めて、森の外へとあふれ出します」
大神官長様は手元の古い地図をトントンと指で叩いた。
なるほど、コップの水があふれるのと同じ理屈か。森の境界線から、人間の住む領地側へと魔物の大群がなだれ込んでくる光景を想像して、モカやディルクさんたちはそんな危険と戦うんだと思うと、私は小さく胃のあたりが冷たくなるのを感じた。
私のそんな表情を見透かしたように、少しトーンを落として言葉を続けた。
「さらに厄介な事実があります。もともとは沼から生まれた魔物たちだが、彼らのうちいくつかは、外の世界の環境に適応し、魔物同士で子どもを産んで数を増やし始めている。つまり、沼がない場所であっても、一度住み着かれてしまった洞窟や深い山の中は、新たな魔物の巣になってしまうんです。騎士たちが戦っているのは、そうやって国内にできてしまった野生の巣の討伐でもあります」
諸悪の根源である沼を潰せば終わりだと思っていたのに、すでにこの国の山や洞窟そのものが、生きた脅威に変わっているというわけだ。私が思わず眉をひそめると、大神官長様はなぜか少し悪戯っぽく口元を歪めた。
「そして、あなたの言う通りまだ別の場所に沼があるのではないか?という懸念も、完全に間違いとは言えません。大戦時に魔族が作った巨大な沼は神殿がすべて浄化したはずだが、もしかしたら、人間の手が届かない未踏の地や誰も入らない地下の奥深くに、まだ見つかっていない小さな沼の生き残りがあるかもしれない。実際、安全なはずの場所で突如として不自然に魔物が大量発生した時は、騎士団と神殿が総出で隠れた沼を探す捜索任務が下ることもあります」
大神官長様はそこまで言うと、机の上の資料をまとめた。今日の講義はここまで、ということらしい。
国中のエリートである騎士団や神殿が総出で挑む、命がけの捜索と討伐。
誰も帰ってこない、最凶の瘴気の土地。
……まぁ、そんな恐ろしい場所にわざわざ行く大馬鹿者はいない、と大神官長様は思っているだろうな。
私は、自分の足元に視線を落とした。
「あの瘴気の土地を浄化してほしい」
創造神様の言葉を思い出す。瘴気はもう沼だけではなくなっていて土地全体の浄化が必要だということだ。モカが行くだけでほとんど解決すると言っていたけど……私は人知れず、そっと深い溜息を飲み込んだ。
誰もが恐れる絶望の地の浄化と引っ越しを、神様から直々に指名されているだなんて――絶対に大神官長様には言えない。




