12話 月
「ママー!」
少し漂っていた緊張感を破ってくれたのは、モカの明るい声と走り寄ってくる姿だ。ベンチに座ったままの私に抱き着いてくるのは構わないが、勢いがすごい。もうポメラニアンじゃないことを自覚して欲しい。主に私の身の安全のために。
「モ、モカ。大丈夫? 遊び疲れた?」
「大丈夫! でも、ロキもロクも魔力方向音痴なんだよ!」
「魔力方向音痴?」
「あぁ、彼らは魔力量こそ豊富だが制御が甘い。放った魔法がふらふらと蛇行してしまうんだ」
「そうなんだよ! だから、大変なんだよ!」
「モカ様が異常なんですからね!?」
ベンチに二人揃って来たけど、妙にくたびれてる。所々汚れてもいるし、もしかしてケガでもしているんだろうか。
「あの、モカがケガさせたりした?」
近寄ろうとしたけど、片手はディルクさんに繋がれたままだし、もう片手はモカを抱き締めたままで身動き取れないことに今さら気付く。
ディルクさんが離してくれるのが一番良いから、見上げてみても、可愛く首を傾げられれば手を離せなんて言えるはずもなく。昨日会ったばっかりなのにこの距離感合ってる!?
「この遊びは元いた国でもしていたのか?」
「こんな激しい遊びじゃないよ。この子は初日に見せたもっと体の小さな子だから普通にボール投げたりが多かったの。毎日朝晩の散歩して、休日に公園とかで遊ぶ感じだったな」
「こっちでは、フリスビーもできるよ!」
ポメラニアンにフリスビーは向いてないと言われたからやってなかったけど、モカが嬉しそうに言うのを見ると、本当はやりたかったんだろうなというのがわかる。
「ふりすびーってなんですか?」
ロク君が不思議そうに、慣れない発音で聞いてきた。
「フリスビーは、大きさはこれくらいのものが多くて、円盤型のおもちゃだよ。それを投げて、ジャンプしてキャッチして持ってくる遊び。投げ方によっては、ふらふらしてしまうの」
「これ以上ふらふらなのは、ボクも疲れるー」
「そこは、何とかなりますよ! たぶん!」
すごい。勢いだけでなんとかゴリ押そうとしている。きっと騎士団でもこんな感じで、ディルクさんに怒られているんだろうなと想像できて笑ってしまう。
そんな私を見ていたらしいディルクさんの顔に、小さな笑みが浮かんでいた。私から視線をはずしてなぜか嬉しそうにも見えたそのままの顔でモカを見る。
「その朝晩の散歩ですが、モカ様はこちらでも必要でしょうか」
「うーん、どっちかだけでもいいよ!」
「決まった時間はありましたか?」
「あ、それは最近だと朝は7時頃、夕方は17時〜19時頃にしていたかな」
「我々の朝稽古の時間だな。その時間ならここを使おうか」
「え、でも、私とモカの存在がバレて問題になったりしない?」
「そもそもそこの自宅は他の者には見えていないし、ここなら出ても良いと殿下が言ったのは、ここが結界が張りやすいからですよ」
結界をかけてもらうのも悪いし、そんなことまでしてもらって大丈夫かな。
「それなら、今日言ったように散歩のお礼にボクが魔力操作教えてあげる!」
「マジですか!」
「聖獣様に教えてもらえるなんて……!」
いやいや、モカは厳しいからねって言おうと思ったら、モカに口元をペロッと舐められた。
「余計なことは言うな」というモカからの合図だろう。視線を返すと、モカはしたり顔で顔で小さく頷いた。
これは双子君たち、相当しごかれるわね。
モカの額部分にチュッとしてから、ぐりぐりっと顔を抱きしめ思う存分モフる。あぁ、癒される。
その様子を隣の男がじっと見ているなんて私は全く気付いてなかった。
「そろそろ戻ろうか」
隣に立つ気配に視線をやれば、手を繋がれたままそっと立たせられる。
彼の顔を見るには眩しすぎるので、その肩越しに見える空を見上げた。
すると、よく知っているはずのものが、全く知らないものになっていた。
「月がふたつ……」
ぼそっと呟いたその小さな声も彼には聞こえていたのだろう。後ろを振り返ったあと、視線を向けられているのを感じる。
空に浮かぶ二つの月。それが、ここが日本でも地球でもないという現実を突きつけてくる。私のこれまでの28年間の人生が、足元からさらさらと崩れ落ちていくような感覚に陥った。
モカが勘づいたのか寄り添ってくれたけど、そのモカの大きさだって日本ではなかったものだ。
28年生きた日本で、大きな波乱こそなかったけど、普通に生きて勉強して就職して、職場仲間や友達にも恵まれていたほうだと思う。
いつもすぐ別れてしまってはいたけど、恋愛だってした。病気をしてもう得られないものだってあるけど、それも全て自分で選択したことだ。
でもここに来たのは、自分の意思ではない。モカのためを思えば、ここに来たことは良かったことだ。でも、その人生丸ごとなかったことにされるなんて思いもしなかった。
自分が本の主人公たちよりは運が良く、チートなのはわかってる。
でもこれは、現実で。
また一から人生始めないといけないなんて。
ここに私の居場所なんてあるんだろうか――
どんどん考えが悪い方向へ向かいだしたそのとき、繋いでいた手を優しく引き寄せられ、そのまま体がふわりと持ち上げられた。
「――えっ!?」
「今日はもう疲れただろうからこのまま戻ろう」
またもやディルクさんにお姫様抱っこされて、優しい顔でそんなこと言われると、我慢してた涙が出てくる。
「あ、団長が泣かせた!」
「いろんな意味で女泣かせだけど、これはダメなんじゃないですかねぇ」
横からその様子を見ていた二人がわざと明るい声でわちゃわちゃと賑やかしてくれるのもきっとこちらに気を遣ってくれた優しさなんだろう。
「いま、両手が塞がってるのが悔しいな……」
囁いたのはディルクさんで。
「す、すみません! 降ろしてもらえればっ」
慌てて彼の体に手を添えて離れようとするが、その厚みに驚く。え、この人、ものすごくマッチョじゃない!?
「そうではなくて、涙を拭ってやれないのが悔しいんだよ……まだそこまで許してもらえないだろうから」
さらにギュッと抱きかかえなおされ、耳元でそう囁かれる。
そこまで……って、そこまでって何!?
待て! やっぱり距離感がおかしい! なぜこんなことに!?
このままじゃ危険すぎる。ダメだ、この人は私の好みを凌駕する美しさだ。
両手で顔を隠して物理的に彼の顔を見えないようにすれば、上から「ふっ」と笑った雰囲気が伝わってきて、もういろいろ限界だ。
耳元で囁かれたあまりに過激な言葉に、頭が真っ白になる。それなのに、彼から漂う柑橘系の香りと力強い体温が、じわりと心の奥まで染みてくる。自分でもなぜこの人の腕のなかが安心できるのかはわからない。
気づけば、抗えない眠気が私をゆっくりと包み込んでいた。




