白石 紬 23
屈んでケーブルに触れようと手を伸ばしたとき、宍戸捜査官とわかる大声が耳に届いた。なんといったかまでは判断できなかったが、一階でトラブル発生のようだ。非常階段を駆け下り、通路へ続く扉を開くと、出入り口横の螺旋階段にみんなが集まっていた。計四人。そのうち二人は横になっていた。
「どうしたんですか?」表からの狙撃を怖れてゆっくり距離を縮めると、倒れているのは荒江さんと竹山さんであることがわかった。虚ろな目で宙を見つめる荒江さんは、意味不明な発言と床への嘔吐を繰り返している。階段上にうつぶせている竹山さんは、首があらぬ方向へと曲がっていた。螺旋階段の上方から落下したのだろうか?「どうしてこんな……だ、誰かに、誰かに突き落とされたんですか? ひょっとして〈アテナ〉で死亡している竹山さんの首を絞めた人物と同じ――」
「白石くん」眉間にしわを寄せた柏樹さんが、低いトーンで言葉を遮った。「君の悪い癖だ。気持ちはわからなくもないが、他者に与える影響も考えろ」
「え……なんの……」ことだろう。
「発言だよ。君は先回りして話したり、思い込みによる代弁を口にすることが多々ある。もしも、君が、ミステリー小説の語り部だったら、九割強はミスディレクションになってしまうだろうよ」
「……はい? あ、あの」
「おい、探偵。わけのわからねぇこといってんじゃねぇぞ。足のほうを持て。通路まで運ぶのを手伝え」荒江さんの肩を掴んだ宍戸捜査官が、ガラス越しに表の様子を窺いながらいう。
外から丸見えの位置だけど、いまのところ狙撃されていないし、外に動くものの姿は見当たらなかった。
「無理ですよ、僕は。この怪我ですから。代わりに小銃を持ちましょう」と柏樹さん。
柏樹さんに代わってぼくが足を持つ。「行くぞ、青年」表から撃たれちゃかなわないから低い姿勢を保って、必死に足を動かした。ホールの中ほどで荒江さんが嘔吐するような素振りをみせたけど、宍戸捜査官は気にかけることなくうしろ向きに進み続けた。
「捜査官、運び終えたら、さっき僕がいった作戦を実行しましょう」
「馬鹿野郎。まだいうか」言い返す宍戸捜査官が歩調を乱したので、躓くような格好になる。
作戦って?
「なんの話ですか」
「無茶苦茶なことをいいやがるんだよ、そこの探偵が」
「たしかに無茶かもしれませんが、ビルに留まり続けるよりはましです。表にいる奴らは連射できる銃を所持していないようですから、躊躇わず一気に走り抜ければ大丈夫ですよ。もし、はぐれてしまった場合には、春吉橋で落ちあいましょう。大丈夫です」
「馬鹿いうな。おい青年、よそ見するな。しっかり持って歩け」
「あ、はい。すみません」顔をあげて宍戸捜査官を見ると同時に、背後から差し込む青白い光が目をさした。通路奥の非常階段の扉が半分ほど開いていて、「……?」光を遮るように扉の向こうから人のシルエットが現れた。
「なんだ? どうした?」足をとめ、宍戸捜査官が、ぼくの視線を追って振り返る。
「あ、あの――」
登場したのは、長いこと姿を見せずにいた流地さんだった。流地さんは悠然とした態度で歩み寄り、左手の人差し指で自身の耳辺りを指すと、「塞ぎなさい」命令口調でぼくへ向けていった。
「ふさぐ?」
流地さんの右手は背中に回っている。
「いままでどこにいたんだ?」荒江さんを床へ下ろしつつ、宍戸捜査官が不機嫌そうな声で尋ねる。
腰を屈めて、ぼくも手を放す。突如、ホールに残っていた柏樹さんが声を荒らげてなにかを叫んだが、聞きとって、理解することなんてできなかった。
「耳を塞いで」そういって突きだした流地さんの右手に銃が握られていたから。
オレンジ色の火花が通路を明るく照らしだし、宍戸捜査官が大きく蹌踉ける。ぼくは反射的に両耳を塞いだが、ダメージは免れないほどの轟音だった。
流地さんが撃った。銃を。宍戸捜査官に向けて。
壁に背中をくっつけて、ずれ落ちる宍戸捜査官の腹部へと向け、流地さんはさらにもう一発撃った。初対面時に感じのいい笑顔と認識したその顔から表情は失せていて、二つ並んだ瞳は黒くて深い穴のようだった。
「立って」
「……え?」
「立ちなさい」硝煙を煙たがるように手を振ると、流地さんは耳栓らしきものを両耳から抜いて床に放り投げた。「案内するんだ、私を」
「あ、あの……」
わけがわからず、だけど言葉に逆らうわけにもいかなくて、ぼくは命令に従い、震える足と腰に鞭を打って立ちあがる。柏樹さんへ目を向けると、銃を床のうえに投げだして、ホールドアップの姿勢をとっていた。負傷している腕が中途半端な高さまでしかあがっていないので、妙な格好ではあったけど。
「利口な選択ですよ」口の端を少しだけつりあげ、流地さんは柏樹さんを見ながら僅かに頷いた。
「あの……」身体の震えがとまらない。
通路の床のうえに寝かせられた荒江さんが咳き込んで、嘔吐した。
宍戸捜査官は壁にもたれかかり、俯いて荒い息を繰り返していた。
どうしてこんなことに?
こんなおかしなことになったんだ?
救いを求めて柏樹さんへ視線を送る。
「――いっただろ。僕らは間抜けな勘違いをしていたと」重く、低いトーンで柏樹さんは嘆くようにいった。諦めにも似た表情を浮かべて、諭すように言葉を継ぐ。「僕たちはまだ会えていなかったんだよ。NICの本当のスタッフに」
流地さんの手が背中に添えられる。
目眩がした。
倒れてしまいそうだ。
ぼくは、まったく、状況を理解することができない。




