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白石 紬 20


          *


 五分。一〇分? もっと経過しただろうか。ホールに戻ってこない流地さんを心配して、竹山さんがソワソワしはじめた。通路奥の非常階段と、左手にはめた腕時計との間で、視線が何往復もしている。

「おい、青年」え? なんだ? 嫌な予感。「うえに行って様子を見てこい」

 どうやら宍戸捜査官も不安に思っていたようだ――っていうか、

「ぼくがですか?」

「ついでにカメラマンの様子も見てくればいい。そういえば、カメラマンに銃を渡したっていってたな」顎に手を添え、奸計をめぐらすような表情で宙を見る。「……俺も行くか。よし、青年、ついてこい。おい、眼鏡! 眼鏡はここで見張ってろ」眼鏡と呼ばれたのは、竹山さんだ。「勝手に歩き回ったりするんじゃねぇぞ。もし表に動きがあったら、大声で知らせろ」表にでるのは危険だし、流地さんからは待っているよういわれているので、この場を離れるはずないのに。

「なにやってんだ。早くこい、青年」

「は、はい」急かされた。もうすっかり定着してしまっているけど、とりあえずいっておく。「白石ですから」と。


 二階に着いて最初に目にしたのは、通路の先にいる荒江さんの姿だった。荒江さんは、驚いたことに、螺旋階段の手すりにもたれかかって煙草をふかしていた。危機感の足りなさを注意したかったけれども、言葉はのみこむ。

「おたくの医者はどこだ?」と宍戸捜査官。

「知らねぇよ」荒江さんは仏頂面で答えた。

「二階にはきてないのか」

「危ねぇだろ、銃を向けるな」

「きてないのか」

「向けるなって! きてねぇよ、あんたらと一緒じゃなかったのか」

 敵意むきだしの嫌な会話から逃げるようにして、柏樹さんが閉じこもっている〈セラミックガール〉の扉に手をかける。あれ? 開かない。内側からロックされているようだ。柏樹さん、ぼくです。白石です。呼びかけてみるが応答はなかった。まだぼくを疑って警戒しているのだろうか。

「どうした?」

「いえ、あの。鍵がかかっているみたいでして」

「鍵?」

 ドアノブを掴み、ガタガタと音をたてて、宍戸捜査官が扉と格闘する。扉はやっぱり開かなかった。まさかとは思うけど、ノブに向けて銃を撃ったりしないよな――なんて考えていると、宍戸捜査官は方向転換して、通路を挟んだ反対側の〈アテナ〉のノブを掴んだ。ぐん、と空気の圧が身体を揺らす。こちらの扉は呆気なく開いた。

「おい、大丈夫か!」

 え?

 大丈夫って、なにが?

「どうしたッ、大丈夫か?」

 慌てた様子で宍戸捜査官は〈アテナ〉店内へ入って行った。中を覗くと、白い布を被せられた長友さんらしき男性が真正面に見えるソファのうえに横たわっていて、その傍には仰向けになって倒れている竹山さんの姿があった。一階で見張っている竹山さんではなくて、もう片方の竹山さんのほうだ。駆け寄った宍戸捜査官が容態を確認する。だけど調べるまでもなく結果はわかっていた。だらしなく口を開けて、焦点の定まらぬ瞳で宙を見つめる竹山さんが、すでにこと切れているのは明白だったから。

「青年、その場を動くな!」

「あ、あの」

「動くなといっただろ。絞殺だ。誰かに首を絞められて、殺されてる」

「殺され……って」

「動くな!」

「はい」

 店内に、竹山さんを殺害した人物がまだ潜んでいると宍戸捜査官は考えているのだろうか。パーティションで区切られているが、死角はさほど多くない〈アテナ〉店内。立ちすくむぼくが状況把握に務めている間に、宍戸捜査官は店内を調べまわった。ボトルが並ぶカウンターに暖簾で仕切られたキッチンルーム。その奥の控え室らしき小部屋。どこにも潜んでいる者の姿はなかったようだが、

「出入り口は一カ所のみだな」

「一カ所? ここだけですか」

「あぁ。裏口はないし、窓も……おい、お前! 変な動きみせるんじゃねぇぞ!」

「やめろッ、銃を向けるなって!」叫ぶようなボリュームでいい返したのは、荒江さんだ。荒江さんはいつの間にか、ぼくのすぐうしろに立っていた。「な、なにもしてねぇだろうがッ」

「お前、ずっと螺旋階段の手すりのところに立っていたのか」

「向けるんじゃねぇよ!」

「質問に答えろ」

「あ、荒江さんッ。店の中で、竹山さんの兄、か、弟のほうかはわかりませんが、首を絞められて殺されているんです」喧嘩寸前にしか聞こえないやり取りに堪えられなくて、ぼくは会話に割って入る。「店に出入りした怪しい者の姿を見ていませんか」

「怪しい者って、なんだよ。そんなやつ――ちくしょうッ、銃を向けるなっていってんだろうがッ」

「大丈夫ですよ、撃ちません。撃つはずありませんから、落ち着いて、落ち着いて聞いてください! 出入り口はこの扉一カ所だけらしいんです。荒江さんが誰も見ていないとなると――」あり得ない。あり得ないけれども、荒江さんが誰も見ていないのなら、これって密室殺人ってやつじゃないか!「え? ま、待ってください、荒江さんッ」

「捕まえろ! そいつを逃がすな」

「はい! あ……いえ、階段のほうに行かれただけでした」突然走りだした荒江さんは、数メートル先で立ちどまって、恨めしそうな目でぼくを見た。そもそも、この建物からぼくらはでられないのだから、逃走しようにも行き場所がない。「あの、宍戸捜査官、このビルの中に竹山さんを殺害した何者かが潜んでいるってことですよね」

「明らかに他殺だからな」

 出入り口はひとつ。

 出入り口の扉は、荒江さんによって監視されていた。

 と、なると、

 これは密室殺人事件だ。推理小説にでてくるような謎に満ちた密室殺人。名探偵の推理を持ってしか解けないような、複雑怪奇で、難解な。

「柏樹さんを呼んできます!」

「柏樹ィ?」

 宍戸捜査官が訝しげに首を傾げたのは無理もないことだ――柏樹さんの過去の活躍を知らないのだから。

 ぼくは駆けた。

 短い距離ながらも全力で駆けた。

 いまこそまさに柏樹さんが必要なときだ。いくつもの難事件を解決へと導き、関係者を一堂に会しての推理ショーまで開いたという名探偵なくして、この境地を乗り越えられるとは思えない。

 通路にでたぼくは、すぐさま〈セラミックガール〉の扉を叩いて、大声で呼びかけた。大変です、柏樹さん、密室殺人事件です! 宍戸捜査官と荒江さんから向けられる〝なんだこいつ?〟的な視線は無視して呼びかけ続ける。

 柏樹さん、柏樹さん、柏樹さん。開けてください!

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