白石 紬 18
「あ、あの……」なにか口にしなきゃって焦りが募るばかりで、言葉は全然でてきてくれない。
「……!」
そのときだ。
出入り口の扉に取りつけられたウインドチャイムがチリリンと鳴った。振り返ると同時に、柏樹さんが扉のほうへ銃を向けたのがわかった。銃の先には驚いた顔で立ち尽くしている荒江さんの姿があって、
「危ないッ!」思わず叫んだ。「逃げて、逃げてくださいッ!」さもなくば、撃たれる。荒江さんへと向けて、柏樹さんが誤って引き金を絞ってしまう確率が高いように思えたから。
「な、なにが、一体」
「荒江さんッ!」
理解してくれたのか、それとも単に気圧されただけかはわからないが、荒江さんは慌ただしく扉を閉めて、ぼくらの前から姿を消した。チリリリリリンと癇に障る馬鹿でかい音が室内に響き渡った。
「柏樹さん、銃を――」おろしてというつもりが、すでに柏樹さんは銃口をさげていて、顔を歪め、呻き声をあげていた。
「いッ痛ゥ……痛たたたた。ちくしょうッ、どうして。どうしてこんな目に」
「あ、あの、柏樹さん」
「誰だ、次は」
「次?」
「また誰かきたみたいだぞ」
出入り口の扉越しに複数の声が聞こえた。乱暴な口調からして、その中のひとりが宍戸捜査官であるのは間違いない。
「おい、中にいるのか?」と扉越しに声。もう勘弁してほしくて、扉へと向けて駆けた。
「すみません、います、います。大丈夫ですから!」
勢いよく扉が開かれ、姿を現した宍戸捜査官と正面からぶつかりそうになった。
「なにがあった」
「なにって――」通路には宍戸捜査官と流地さん、少し離れたところに荒江さんが立っていた。宍戸捜査官の息があがっているのは、非常階段を駆けてきたからのようだ。ぼくの発した声があまりに大きかったので、なにごとかと心配して見にきてくれたのだろう。「すみません、大丈夫です。大丈夫ですから」
「中にいるのはカメラマンだけか」
「カメ……あ、はい」通路にでて、うしろ手に扉を閉めた。柏樹さんが銃を構えていなかったことを祈るばかりだ。
「ほかの奴らは一緒じゃないのか」
「こちらです」問いに答えたのは流地さんだった。通路を挟んだ反対側のクラブ〈アテナ〉の扉を指差し、「中で、長友くんを診ています」疲れた声で告げた。
「長友?」
「あなたのせいで、負傷してしまった彼ですよ」
「……あ。なんだと?」
え?
ちょっと。ちょっと待った。こっちもこっちで不穏な空気が漂い――
「俺のせいってなんだ。なにいってんだ、お前」
「長友くんは非常に危険な状態に陥っています。あなたが発砲しなければ、こんなことにはならなかったのに」
「あァ?」
「警告なしに撃ったそうですね? 人の命をなんだと思っているんです。異常としかいいようが――」
「おい、いま、なんていった」
「敵とみなせば撃って当然ですか。法に反するものは殺して当然ですか。それが広域捜査官のやりかたですか」
「黙れ」
「あなたが相手にしているのは生きた人間なんですよ」
「大概にしろよ、おい」
「なん……です。やめなさい。放しなさい」
まずい。
まずいぞ、どうして。どうしてこんな争いばかり。
「放せ。放しなさい」
「黙れ! 黙らねぇか。いいか、おい、よく聞け。俺がいなきゃお前らはとっくに死んでるんだよ!」
「は……放せ」
「くだらねぇことほざいてんじゃねぇぞッ。弱者は物陰にでも隠れてろ。黙って店の中に……あ? 待てよ、おい、待て。どういうつもりだ。断りもなく、お前らなに勝手に二店舗も使ってんだ?」流地さんを突き飛ばして、宍戸捜査官は〈アテナ〉の扉を勢いよく開いた。
鼻腔を刺激するアルコールと血の臭い。仄暗い〈アテナ〉店内は数本のロウソクの灯りで影が揺れていた。真正面に見えるソファのうえに長友さんが横たわり、左右を竹山兄弟が囲んでいる。両者の手は血に赤く染まっていた。もちろん、長友さんから流れでた血だ。
「どこからロウソクを持ってきた?」
宍戸捜査官が問い、
「隣の店からに決まってるだろ」
いつの間にかぼくのうしろに立っていた荒江さんが答えた。ロウソクは、柏樹さんがこもっている〈セラミックガール〉店内で灯されていたものを運んできたようである。それにしても――宍戸捜査官が疑問を抱いているように、ぼくもまた不思議に思う。
「お前らどうして二店舗にわけて診てんだ? 一箇所で充分じゃねぇか」
「隣の彼が騒がしかったから、部屋をわけたんです」会話に割り込んだ流地さんが〈セラミックガール〉を指差して答え、喉の辺りをさすりつつ〈アテナ〉店内へ入って行く。
「隣の彼って……」無意識に、ぼくは口にだして呟いていた。宍戸捜査官が各フロアを見回っていた間に、隣の彼――つまり柏樹さんが騒いで迷惑をかけていたようだ。「あの、すみません。すみませんでした」柏樹さんに代わって謝罪する。おそらく痛いと連呼して暴れたのだろう。
「ドクター」ふいに店内から発せられた声のほうへ顔を向けると、竹山兄弟の片方が口の端を歪めてかぶりを振っていた。
ゆらり。
ロウソクの灯りが、完全なる沈黙を保っている長友さんの影を揺らす。
「あ、あの、ひょっとして、長友さん……」流地さんの背中を追ってぼくも〈アテナ〉店内へ足を踏み入れると、出入り口そばの枯れた観葉植物の横に、通路で柏樹さんを撃った男が運び込まれていて、血に塗れて横たわっていた。「う、うわぁああ」驚いて壁に背中をぶつけてしまう。ぶつけたのと同タイミングで、
「おい!」
「なんだ?」
「なんだ、いまの音?」
これまで何度も耳にした恐怖の音が、空気を揺さぶる禍々しい爆発音が、
「銃声?」
立て続けに鳴った。それも何度も。
「ちくしょう! おい! おい、青年、ついてこいッ!」
「え、あ、あ。はい?」ぼくのことだろうとは思うけど、
「なにやってんだ、早くこい!」激しい剣幕で宍戸捜査官に怒鳴られた。
「俺も見てきます」竹山兄弟の片方が流地さんに告げてソファを離れ、非常階段へ向けて駆ける宍戸捜査官のあとに続く。
仕様がない。
ぼくもあとを追う。
耳にした銃声は四発だった。最後の一発は少々遅れて鳴った。大きな音だったが、遠くで鳴ったように感じたので、恐怖よりも好奇心の方が少しだけ勝っている。もしかしたら通報を受けた捜査官が――二宮さんが、助けにきてくれたのかもしれない。耳にしたのは援軍の放った銃声ではなかったのか。それとも臥せていたNICスタッフが事態に気づき、応戦してくれているとか。
なんにしろ銃声がしたのは一ブロックほど先だ、きっと。きっとそうだ。そう信じて。自分にいい聞かせて、もたつく足を必死に動かした。
喜ばしい展開を期待して。




