白石 紬 11
撮影場所に選ばれたビルは〈NTプラザ〉という名称で、地上九階、地下二階。四階まではワンフロアに二店舗入っているが、それよりうえの階は区分が異なっているらしく、いかにもスナックっぽい店名が多数、建物脇の壁に設置された看板に記されていた。
ビルは曲線が多用されたデザインで、広場側の外壁は最上階までガラス張りだ。隣接する〈クリスタルビル〉よりも、〈NTプラザ〉のほうが、クリスタルという名称が似合うように思う。
建物に入るなり出迎えてくれたのは、緩やかな曲線を描く階段と、シルバーの郵便受けが並んだエレベーターホール。ホールには乗用車が三、四台駐車できるんじゃないかってくらい広くて、天井も高かった。
奥へ伸びる通路の左右に店舗の扉があり、突き当たりにもまた扉――こちらは非常階段への扉だろう。僅かに開いた扉の隙間からは、冷たい色の人工的な光がもれていて、床のうえを黒々としたケーブルが這っていた。多分、電源ケーブルだ。屋上に設置された太陽光発電装置と繋がっているに違いない。
一、二、三、四本。
四本か。数えなきゃよかった。四から〝死〟を連想してしまって、ちょっとだけ気分が下降してしまった。
「電気が使えるのですね?」と、柏樹さん。
「使えますが、どこでも利用可能というわけではありません」答えたのは長友さんだ。「自由に使えるのは、NIC事務所の入った一部のビルだけです。ですが、必要とあらば直接送電ケーブルに繋いで使用できます」
「直接繋いで、ですか」と、柏樹さんが呟いた次の瞬間、
非常階段の扉が大きく開かれて、光の中から竹山兄弟が姿を現した。
続けて宍戸捜査官も顔を見せる。その手には変わらずライフルが握られていたが、緑色のリュックサックはどこかに置いてきたらしく、なくなっていた。
「ドクター、どうかしましたか」先頭に立つ竹山さんが質問した。ぼくらが揃って建物の中へ入っていたので、驚いている様子だ。
「噴水を高所から撮影したいそうだ。このビルなら、うってつけだろう?」
質問に答えたのは流地さんではなく、またも長友さんだった。
「高所からですか」もう片方の竹山さんが言葉を返す。兄か弟か判断つかないが、いま喋った竹山さんのほうが落ち着いた雰囲気を兼ね備えている。「たしかに、このビルが一番撮り易いでしょうね。階段のところがガラス張りになっていますし」
竹山兄弟と宍戸捜査官が、ゆっくりした歩調で近づいてくる。三人がビルの中でなにをしていたのか気になったものの、流地さんが、「それでは行きましょう」と呼びかけたので、質問するのは自粛しよう。
重い鞄を担ぎ直して階段の上方を見あげ、静かに鼻から息を抜く。
かつては人で賑わい、お酒や化粧や香水の匂いで満ちていたのだろうが、いまはうら寂しくて埃っぽくて、鼻がムズムズする。通りの手入れを欠かさないNICの人たちは、建物内部に関しては、さほど関心がないらしい。
階段を一段のぼるたびに靴の裏でジャリジャリと音が鳴った。
手すりには塵が積もっていた。
や、考えてみれば、普段使用していない建物の手入れをする必要はないや。NICの事務所が入ったビルのほうは、きちんと、綺麗に掃除されているのかもしれない。
「ところで、みなさんは大丈夫なのですか」
先頭を行く長友さんへと、柏樹さんが問いかけ、
「なんのことでしょう」振り返った長友さんが問い返す。どことなく険のある声だったが、表情を窺うと平穏な様子だった。
「インフルエンザですよ。流行っているのですよね」
「ご心配なく」大丈夫です、と口にしたのは、ぼくと並んで階段をのぼっていた流地さんだった。
カメラバッグを逆の手に持ち替えたくて、ぼくは立ちどまる。直後、うしろにいた竹山兄弟に追い抜かれた。横を過ぎる際に、彼らが手に持っていた革製の鞄がカメラバッグにあたった。
「接触を完全に絶っているので大丈夫です。幸い、私たちはインフルエンザ感染を免れましたが、ほかのものはみな、臥せてしまいまして……」
「ここにいらっしゃらないかたは、全員、ですか?」
「えぇ。本来ならば代表が応対すべきところ、このようなかたちになりまして申し訳ありません」
「いいえ、そんな」移動をはじめてから、おそらくひとことも声を発していない荒江さんがぼくを追い抜き、階段をのぼって行く。「みなさんもお気をつけて。真綿代表には宜しくお伝えください」柏樹さんの声と姿がカーブする階段の先に隠れる。
振り返ると、不機嫌そうな表情で階段をのぼってこようとしている宍戸捜査官の姿が目にとまった。
「…………」
どうしてついてきているのだろう。
単なる写真撮影にこれだけの人数で移動しているのも妙な感じだけど、集団行動をとって当たり前のような雰囲気ができあがっているので、変に目立って場の空気を乱さぬよう、発言は控えておく。
宍戸捜査官の鳴らす靴音が、もうすぐそこまで。ライフルはできるだけ視野の外に置いておきたいので、追い抜かれまいと足を動かして前へ――
「……!」あれ?
いま、ガラス越し、屋外に、なにか動くものを目にしたような気がしたけど、気の所為だろうか。
「おい」
「…………」
「おい、お前だよ」
「…………」
「お前だよ、青年」
「じゅ、銃を向けないでくださいよッ」
「聞こえてるなら返事しろ」
「青年って呼びかた、やめてください。白石です」
「俺と会うまでに何体のグールと出会った?」
「はい?」
「聞こえただろ。何度もいわせるな」
「グール……ですか」
「上陸したのはどこだ。門司港か」
「え、えぇ」
「門司から香椎までの間で、何体のグールと出会った?」
「…………」なんだ、なんなのだ、この威圧的な態度。二宮さんと同じ広域捜査官なのに、この違いはなんだ。
「一体です」
「あ?」
「一体だけですよ。あなたが殺した一体だけです」
吐き捨てるようにいい、背を向けて階段を駆けあがる。先を行くみんなとの距離が開いてしまったのではないかと危惧したが、意外にも柏樹さんたちはすぐそばにいた。カーブを曲がったすぐそこ。二階ホールに。
「なんと……」
「――誰です?」
「こんなところで――」
複数の声が耳に届いた。柏樹さん、長友さん、流地さん、荒江さん、そして竹山兄弟。前を歩いていた全員が二階ホールで足をとめて、揃って同じ方向を見つめていた。
ホールの奥、非常階段へと繋がる薄暗い通路。
「……え?」
そこに〝見知らぬ男性〟が立っていた。




