聖遺物とは
結局、エリサに見つかったことから、深夜に抜け出すことはできず。もう一度、寝床に着いた。
翌朝、客間を出た俺を待っていたのは、完璧に整えられた旅支度だった。
玄関脇の台に、俺の荷物と、もう一組の小さな革袋が並べて置かれている。そして白い外套を羽織ったエリサが、その前で静かに立っていた。
「おはようございます、ユーリュ様」
「……同行する気、ですよね」
「はい」
反論の糸口を探す俺に、エリサは穏やかに続けた。
「救世主様のお導きには、同伴者が一人あるべきだと聖典にも記されております。ご迷惑はおかけいたしません」
「迷惑というか、俺は救世主ではなくて――」
「承知いたしております」
いつもの微笑みのまま、彼女は頷いた。承知しているなら何故ついて来るのか。問い返す前に、エリサは俺の荷物を持ち上げて先に歩き出していた。
♢♦︎♢
街道を歩き始めて半刻も経たないうちに、野盗が出た。
四人組だった。汚れた革鎧を身につけ、鉈のような刃物を手にしている。いかにも街道沿いの食い詰め者だ。
「旅の兄さん、積荷を置いてってくんな」
俺は庇うように前に出ようとした。が、その肩を白い手がそっと押し戻した。
「下がっていてくださいませ」
エリサが微笑んだまま、ゆっくりと前に進み出る。外套の下から、細身の剣が抜かれた。あの華奢な体のどこに隠していたのか、見当もつかない長さだった。
「救世主様に刃を向ける者には、慈悲を」
次の瞬間、先頭の男が仰向けに倒れていた。
俺には何も見えなかった。風が一つ吹いたのと、鉄同士の擦れる音が短く鳴っただけだ。残りの三人が構え直すより早く、二人目が膝から崩れ、三人目が剣を取り落とし、四人目が地面に這いつくばっていた。
全員、生きていた。急所は外されている。ただし、立ち上がれないように関節か筋を断たれていた。
「――ご無事ですか、皆様」
聖女の微笑みのままエリサが言う。這いつくばった男が震えながら頷いた。
「ふ、不敬、でした……お許しを」
「お許しは神がなさいます。あなた方の悔悟を、オーリンジ教は記録いたします」
彼女は懐から小さな帳面を取り出し、羽ペンで何かを書き始めた。野盗たちの顔と特徴を、ひどく手慣れた筆運びで記していく。俺は声をかけることもできず、立ち尽くしていた。
やがてエリサは帳面を仕舞い、俺の方を振り返った。
「お待たせいたしました、ユーリュ様。参りましょう」
「……大丈夫でしたか」
一瞬、エリサの表情が止まった。
見間違いかと思った。だが、次の瞬間、彼女の頬にうっすらと赤みが差し、海の色の瞳が揺れていた。
「その、ユーリュ様は、私のご無事を……ご案じなさるんですか」
「いや、エリサさんは、旅の連れなので、危ないことになったら困るなと」
エリサの両手が剣の柄の上で小さく震えた。下を向いた彼女の耳が、茹でた海老みたいに赤く染まっていた。
「……勿体ないお言葉、にて……ございます……」
さっき四人を一瞬で沈めた同じ口が、声を震わせていた。
♢♦︎♢
隣町に着いたのは、日が傾き始めた頃だった。
親方の知り合いの雑貨屋に荷を降ろすと、店主は俺の背後に立つエリサを見て、一瞬息を呑んだ。
「……オーリンジ教の、お方で」
「よくご存じで」
「近頃、この界隈でも信徒が増えておりますでな」
店主の手が震えていた。値札を何度も読み違え、算盤の玉を落とした。
いつもより三割は高く買い取ると言い出したので、俺は慌てて辞退した。
店を出ると、広場を歩く人々の視線がおかしかった。エリサを見た若い母親が、子供を引き寄せて裏道に入っていく。
果物売りの老人が、無言で一番良い林檎を差し出してきた。代金を拒まれた。
俺の聞いたオーリンジ教は、忘れ去られた教団のだったはずだ。信徒が増えているというのは、どういうことだ?
♢♦︎♢
宿は部屋を別に取った。エリサは何も言わず「瞑想の時間ですね」とだけ微笑んだ。
夜、手洗いに立った帰りに、俺はエリサの部屋の前を通った。扉が細く開いていた。
覗くつもりはなかった。ただ、灯りの色が妙だった。
部屋の中央に、小さな祭壇のようなものが組まれていた。旅の鞄の中身を全部出して、布を敷き、蝋燭を並べて作った簡素なものだ。その上に、老神官らしき男性の肖像画と、古い経典が置かれていた。
そして、その隣には、見覚えのあるものが並べられていた。
昨日、俺が神殿で使ったカップがあった。小さな包みには、俺の金色の髪が数本入っていた。
板切れには、俺が触れた扉の取っ手らしき金具が巻き付けてあった。
すべてに、日付と場所を記した小さな札が、丁寧な字で貼られていた。
「――ユーリュ様?」
振り返ったエリサと、目が合った。
彼女の頬が、一気に赤くなった。両手で口を覆い、祭壇と俺を交互に見て、目を泳がせた。
「あっ、あの、これは……その、見苦しいものをお見せして……申し訳ございません……!」
恥じらう十八歳の少女の顔だった。さっき野盗の名前を帳面に書いていた同じ手が、口元で震えていた。
俺はしばらく言葉を失って、やがて、努めて平静な声で聞いた。
「エリサさんの教団、信者は他にどれくらい、いるんですか」
少女の顔が、ゆっくりと、聖女の微笑みに戻っていった。
「私一人でございます」
「さっきの街で、信徒が増えていると」
「皆様、自発的に悔悟なさいました」
笑顔だった。
扉を閉め、自分の部屋に戻ってから、俺は長く息を吐いた。
師が一年前に他界したと言っていた。
この子は、一年間、本当に一人だったのか。
そして、祭壇の上に並んでいた「聖遺物」は、俺と出会ってから、たった一日で集められたものだった。




