8.燃やされたドレス
ヴィクトル騎士団長は、わたくしが泣き止むと、貧民窟に向かって馬を走らせてくれた。
国王陛下は善政を敷いておられるけれど、貧富の差はどうしても生まれてしまう。
その場所は王都の外れにあって、石畳は割れて土が見えているところが多かった。
石造りの家々もひび割れたところが多くて、中年の男性が家の壁に寄りかかって酒瓶から直接お酒を飲んでいた。まだ昼間なのに……。
「おい、そこの貴族! 仕事を寄越せ!」
中年の男性が怒鳴ってきて、わたくしは驚いてしまった。あの方は、なんのお仕事ができるの……?
その中年の男性がいた通りは、なんだか臭かった。なにかの腐ったような嫌な臭いと、お酒の匂いが混じりあっていたわ。
ヴィクトル騎士団長は、小さな教会にも連れて行ってくれた。孤児院が併設されていて、ボロボロの服の子供たちがいた。頭もボサボサよ。
「あの子供たちの識字率は、どのくらいなのかしら……?」
「識字率ですか……。高くないでしょうね……」
「そうですわよね……」
読み書きや計算ができないと、あまり良い仕事にありつけないらしいのよね……。なんとかしなくては……。
識字率以前に、食事はどうなっているの? みんなすごく痩せているわ。
将来の夢はあるのかしら? よく物語に出てくる『死んだ魚の目』みたいな、なんとなく濁った目をしているわ。
明るい未来を夢見ているようになんて、一切見えない……。
孤児院の近くには貧困者救済病院もあったけれど、まったく救済されているように見えなかった。平日の午後一時から三時までの二時間しか診察していないのよ。
病院の前には、咳き込んだり、顔が真っ赤でふらふらしていたり、頭や腕から血を流していたりする人々が、大勢並んでいた。
きっと二時間では治療できないと思うわ……。
ここには、聖女様としてやるべきことが山積みだった。
「ヴィクトル騎士団長、連れてきてくださって、ありがとうございました」
わたくしがお礼を言うと、ヴィクトル騎士団長は、ほっとしたような笑みを浮かべられた。
「場所がわかったからといって、一人で来てはいけませんよ」
「そうですわね」
わたくし一人では、どうにもできないほどの状況よ。
仕事をどうにかするには……、公共事業かしら……。
孤児院は……、寄付とか、教師とかね……。
病院のこともなんとかしないと……。
明日、王立学院に行って、お友達の令嬢たちと話さないと……。
わたくし一人の力は小さいけれど、わたくしは一人じゃないわ。
ヴィクトル騎士団長がいて、お姉様がいて、お友達の令嬢たちがいる。
王立学院には、他にもたくさんのご令嬢やご令息方がいるわ。
ヴィクトル騎士団長のお母様の病弱なアンナ様や、レオニード殿下のお母様でピンクブロンドが素敵なマリア王妃殿下もいる。
病院やお医者様のことは、きっと病弱なアンナ様が詳しいと思うわ。
――一つ一つ片付けていけば、きっとなんとかなるわよ!
ヴィクトル騎士団長はまた馬を走らせて、わたくしの屋敷へと向かってくれた。
わたくしの屋敷が見えてくると、庭園に煙が上がっているのが見えた。
――焼き芋大会をしているの……?
焼き芋大会というのは、異世界から連れて来られた聖女様の物語に出てきたの。お芋をアルミホイルという銀紙で包んで、焚火に投げ込んで焼くスイーツイベントよ。
ヴィクトル騎士団長は馬を飛び降りて、屋敷の門を開けてくれた。そして、また馬に乗り、庭園を走って煙が上がっている場所に行った。
お父様とお母様が、燃えるドレスの山の向こうに立っていた。
二人の後ろには、恐怖に顔を引きつらせ、震えている使用人たちがいる。
「カーネリア侯爵、これは一体? なにをしているのでしょうか?」
ヴィクトル騎士団長がお父様に問いかけた。
「あら、ヴィクトル騎士団長?」
返事をしたのは、お母様だった。お母様の目は、据わってしまっている。
「わたくしの……、わたくしのドレス……」
わたくしは小さな声で言った。
お母様は、なんでこんなことをするの……?
お父様も、どうしてお母様を止めてくれなかったの……?
お姉様はご無事なの? まだ王宮にいるかしら? ああ、帰って来ていないといいんだけど……。
「ニーナ嬢のドレスが……、燃やされているのですか……?」
「ええ……」
わたくしは、なんとかヴィクトル騎士団長にお返事をした。
「頭がおかしすぎる……」
ヴィクトル騎士団長が、とても正直な感想を言った。
お母様は、もうずっと前から頭がおかしかったのよ……。
すぐにお姉様を叩くのだって。
お姉様のアクセサリーを取り上げて、わたくしのアクセサリーボックスに入れていたのだって。
わたくしばかりかわいがるのだって。
――みんな、みんな、おかしかったのよ!
わたくしが叫び出しそうになった時、馬車が近づいてくる音がした。ふり返って見ると、キートパー筆頭公爵家の儀礼用馬車がやって来る。その後ろには黒い馬がいて、レオニード殿下とお姉様が乗っていた。
「カーネリア侯爵家では、なにをしているのかっ!?」
レオニード殿下が怒鳴りながら、わたくしたちの横にやって来た。
いつもなら『レオニード殿下って気が荒くて嫌だわ』なんて思うんだけど……。今はなんだかちょっとだけ……。ほんのちょっぴりだけだけど、レオニード殿下が素敵に見えた。
「お姉様……、わたくしのドレスが……、燃えちゃったの……」
「ああ、ニーナ……。そうみたいね……」
お姉様は、『ピカッと光ったらドレスを元通りにできる』とは言ってくれなかった。
キートパー筆頭公爵家の儀礼用馬車からは、キートパー筆頭公爵ご夫妻と、国王陛下が降りて来られた。
「伯父上!?」
「父上!?」
ヴィクトル騎士団長とレオニード殿下が叫ばれた。
「アンナが心配で来てしまったが……。これは一体……」
国王陛下がアンナ様を溺愛され、いつも優先されてきたことは、噂では聞いたことがあった。
噂は、どれも信じられないような、変な話ばかりだったけれど……。
国王陛下がこうしてここまで来るなんて、みんな本当の話だったんだわ……。
「わたくしも来たわよ!」
馬の蹄の音がして、元気な声がした。みんなが一斉に声のした方を見た。
ピンクブロンドの愛らしい女性が、白馬に乗って駆けて来る。
「母上!?」
レオニード殿下が目を見開いておられる。
「ここでヒロイン登場よ!」
マリア王妃殿下は、ご自分がなにかのヒロインだと思っておられるの。だいぶ変わった方なのよ。
「すっごい燃えてるじゃない!」
マリア王妃殿下は呆れたように言った。平民の出なので、平民訛りがひどいのよ……。これでもだいぶ直ったらしいわ。
「あれってニーナ嬢のドレスよね?」
「そうよ」
返事をしたのは、アンナ様だった。
「ニーナ嬢、このヒロインが来たからもう大丈夫よ!」
「どっちかっていうと、『ざまあ』される側だけどね!」
「ちょっと、やめてよ、アンナ!」
マリア王妃殿下とアンナ様が笑いあう。
ああ、こんなに大勢の味方が来てくれたわ!
わたくしは一人じゃない!
勇気を出すのよ!




