10.聖女様のお言葉が世界を変える
わたくしはただの侯爵家の次女だから、王妃殿下と会えることなんて滅多にないの。この機会を逃してはならないわ!
「王妃殿下に申し上げたいことがございます」
わたくしはマリア王妃殿下に近寄り、ひざまずいた。
「あら、わたくし!? いいのよ! 立って立って!」
マリア王妃殿下は、わたくしの手をとって立たせてくれた。すごく気さくな方だわ。
「なにかしら!? ニーナ嬢って、本当にかわいいのね!」
「お褒めいただき、ありがとうございます。わたくし、聖女様なので、貧民窟をなんとかしたいと思っているんです……」
わたくしは顔が赤くなるのを感じた。聖女様だと名乗れるほどのことは、まだ一つもやっていない。それなのに聖女様を名乗るのは、だいぶ恥ずかしいわ……。
「貧民窟?」
「王都の外れの孤児院があるあたりです」
ヴィクトル騎士団長が説明してくれた。
「とっても不潔な人が多くて……。ちょっと臭うんです……。だから、みんな、お風呂に入ったりできたらって……。不潔にしていると、病気になりやすいらしいんです。それに……、お仕事がない人もいるみたいで……。大きなお風呂を作って、そこで働いてもらったらどうかなって……」
わたくしが自分の考えを言うと、マリア王妃殿下は真剣な顔をされた。
「つまり、わたくしに温泉を作ってほしいということよね?」
「温泉……?」
初めて聞く言葉だわ。
「いえ、ニーナ嬢は、公衆衛生や雇用創出について話しています」
ヴィクトル騎士団長が難しい言葉で説明してくれた。
「そうそう、そういうことを考えているんです」
わたくしも一生懸命にうなずいた。
「温泉かあ……! そうね! そういえば、そんなものもあったわ! わたくしの守備範囲外だと思っていたけれど……。思えば、王立学院を卒業して王妃になってからは、ずっと退屈だったのよね……」
「それはどういう……?」
国王陛下が心配そうにマリア王妃殿下に訊いた。
「困っている民を助ける話よ! わたくし、温泉を作るようなスローライフ系って、辺境に行かないとできないと思っていたわ! わたくしはヒロイン! 王都にいたって、やればできる! やる気がみなぎってきたわ!」
マリア王妃殿下がなにを言っているのか、さっぱりわからないわ。わたくしは助けを求めてヴィクトル騎士団長を見た。
ヴィクトル騎士団長もわからないようで、困惑した顔をしてマリア王妃殿下を見ていた。
マリア王妃殿下は興奮した様子で、わたくしの両手を強く握った。
「聖女様のお言葉に従い、民のために温泉を作るわ! この人生、まだまだ面白くなりそうよ!」
マリア王妃殿下は国王陛下のところに行くと、王都の貧しい民のために働きたいというお話をしてくれた。
マリア王妃殿下のお話を聞いた感じ、どうやら温泉というのは、地面からお湯が湧き出てきて、そのお湯で大きなお風呂を作ることみたい。
「温泉が完成したら、名前は『聖女ニーナちゃん温泉』にするわね! 辺境でエカテリーナが温泉を作っていたわ。エカテリーナを王都に呼び寄せて、温泉の作り方を聞いてみる!」
エカテリーナ様というのは、辺境伯夫人のことよ。
エカテリーナ様は、マリア王妃殿下とは王立学院の同級生だったの。元は国王陛下の婚約者だったのだけれど、国王陛下が妹のアンナ様ばかり優先するから、怒って辺境伯家に嫁いでいってしまったのよ。
「私の妻となる方の名前を冠されるのは……、ちょっとどうかと……」
ヴィクトル騎士団長が、とても嫌そうになさっているわ。
わたくしも、いくら聖女様とはいえ……。自分の名前が温泉に付けられるのは、ちょっと恥ずかしいわ……。
「嫌なの? じゃあ、温泉の名前は、完成してから考えるわ!」
マリア王妃殿下はそう言い残し、元気に白馬で王宮に帰って行かれた。
国王陛下も、お父様とお母様を連れて、騎士団の詰所に行かれるらしい。
「アンナ、レオニード、キートパー筆頭公爵、後は任せたぞ」
国王陛下は、護衛騎士の馬に乗って帰って行かれた。
――国王陛下も、王妃殿下も、あれでいいのかしら……?
ちょっとわからないけれど、ご本人たちが好きでやっているんだもの。いいのよね。
キートパー筆頭公爵閣下がカーネリア侯爵家の使用人たちに、次々と指示を出してくれた。わたくしのドレスは、洗って片付けてもらえるみたい。
お姉様のことは、レオニード殿下がまた黒い馬に乗せて、王宮に連れて行った。
そして、わたくしも、キートパー筆頭公爵ご夫妻とヴィクトル騎士団長と共に、キートパー筆頭公爵家のお城に行ったのだった。
◇
わたくしは、キートパー筆頭公爵家から王立学院に通うことになったの。ヴィクトル騎士団長の婚約者として、キートパー筆頭公爵家で行儀見習いをしているという設定よ。
温泉という大きなお風呂作りは、マリア王妃殿下が張り切って進めてくださっている。思い切ってお願いしていてみて良かったわ。
わたくしは、お父様とお母様の行く末について考えていた。
お母様は、辺境医療修道院で治療してもらっているから良いとして……。
鉱山のお仕事って、すごく大変らしいのよね……。
お父様は罰として送られたのだから、劣悪な環境で働かされても仕方ないと思うんだけど……。
元から鉱山で働いている方々って、鉱山のご近所に住んでいる普通の民よね?
『罰を受けているから』とかで働いているんじゃないと思うの。
それなのに、劣悪な環境なのは問題だと思うわ……。
――鉱山にも、聖女様の助けを必要としている民がいるんだわ!
わたくしは居ても立っても居られなくなって、ヴィクトル様に相談することにした。
王立学院での授業が終わると、すぐに教室を飛び出して、馬車に乗り込む。
そのまま、まっすぐ騎士団の詰所に行ったんだけど……。
ヴィクトル様はいなかったの……。王女殿下に呼ばれて、王宮に行ったんですって……。
王女殿下というのは、レオニード殿下の妹のカタリナ殿下よ。
ヴィクトル様とは従兄妹同士だから、仲が良いのかしら……?
わたくしはマリア王妃殿下から、『いつでも王宮に遊びに来てね!』というお手紙をもらったの。今では王宮への出入りが自由なのよ。
わたくしは鉱山にいる民がとっても心配で、馬車を王宮に向かわせた。
わたくしが王宮の正門に到着すると、ヴィクトル様は白馬の横に立ち、騎士団の詰所に戻ろうとしているみたいだった。
「ニーナ嬢!? なぜこちらへ!?」
ヴィクトル様はとても驚いて、わたくしのところにいらした。
そんなヴィクトル様のお隣には、カタリナ殿下が立っておられた。金髪に青い瞳で、とっても美しい王女殿下よ。レオニード殿下とお顔が少し似ているの。
ちょうどいいわ。カタリナ殿下にも、相談にのってもらえるじゃないの。
「わたくし、心配なことがあって……。居ても立っても居られなくなって、来てしまったんです……」
わたくしは鉱山で苦しんでいる民のことを考えて、目がウルウルとしてきてしまった。
飲み水はたっぷりあるのかしら……? 食事はきちんと取れているの……? 休憩時間はたくさんある……? 排泄物の処理は……?
「それはその……、どういった内容でしょうか……?」
ヴィクトル様はわたくしに問いかけながら、心配そうにカタリナ殿下を見た。
カタリナ殿下がヴィクトル様の腕に抱きつく。
「やめてください、カタリナ殿下! 私はニーナ嬢を大切に思っています! もうニーナ嬢に悲しい思いも、不安な思いもさせたくないのです!」
ヴィクトル様はカタリナ殿下の手をふり払った。けれど、カタリナ殿下はまたヴィクトル様の腕に抱きついた。
「アンナ様に無理強いされたんでしょう?」
「最初はそうでしたが、今は違います! 私はやめてくれと言っているのです! ニーナ嬢を傷つけたくない!」
お二人は何回も同じことをくり返した。そして、ついにヴィクトル様は疲れた顔をして、カタリナ殿下を腕に抱きつかせたままにした。
「素直になりなさいよ、ヴィクトル!」
お二人はとっても仲良しなのね。どちらも遠慮なしで言い争っていたわ。兄妹同然というのは、こんな感じなのかしら?
……ああ、でも、今は、そんなことどうだっていいのよ!
わたくしには、守るべき民がいるんですもの!
「あなたがニーナ嬢ね。急に横から出てきて、ヴィクトルの婚約者ですって?」
カタリナ殿下が質問してきた。まるで今になって、わたくしがここにいると気づいたみたいなご様子よ。
それにしても、横って?
どこなのかしら……?




