3.女神さまの祝福
――異世界生活二ヶ月と二十五日目。
朝食後、アウラがやって来ると荷馬車にアウラとビアンカを乗せた。
「先生、行ってくるっす!」
ビアンカがいつもと同じ様にモーガン先生に声を掛けて、アウラと一緒に手を振る。
俺はモーガン先生に頭を下げると、街へ向かって出発した。
(結局、アリーシャは、昨晩から顔を見せなかったな……)
昨晩の事をモーガン先生に話して、出発前に声を掛けに行こうとしたが、先生に止められた。
ずっと会えない訳ではないし、転移魔法があると言われて納得したのだ。
それから、今回はカトレアさんの屋敷にも寄らないことにした。
荷馬車の足では、時間的な余裕がないからである。
――ヘーベルタニアの街。
街に入ると、アウラとビアンカはローブで顔を隠して大人しくなった。
「確かに村よりは人が多いけど、俺もすっかり顔が知られているから心配いらないぞ」
「そういう問題じゃないわ! は、恥かしいものは、恥かしいんだから……」
「そうっす! 王都よりも賑やかに感じるっす! しかも、視線を感じるっす!」
アウラは関係ないと言わんばかりに返事をしたが、ビアンカの返事は何となく腑に落ちる。
王都は色んなヒトがいて、街よりも殺伐とした雰囲気を漂わせていた。
でも街は長閑だが活気もあり、知り合いの俺が怪しいふたりを荷馬車に乗せているので余計に目立っている。
――教会。
荷馬車は一時的なので教会の前に停めた。
「折角だから、ふたりとも俺がお世話になっているヘーベに会うぞ。ヘーベは教会を管理している方だが、ふたりとも会ったら驚くぞ! アウラと同じくらいか、もっと綺麗だからな。性格は同じくらい豪快で変わっているが……」
俺は得意気にふたりに話したが、アウラは柳眉を寄せて、ビアンカは尻尾を左右に振る。
アリーシャは水色の瞳を輝かせ、笑みを浮かべた。
「何だか、気になるわね。それから、その言われようは腹立たしいわ」
「アタシも気になるっす! カザマが良く叱られているっすよね」
「私もです。以前から度々カザマの話題に出ていましたからね。何でも女神さまと同じくらい綺麗な方みたいですよ」
「そうだな。アリーシャの言う通りだから、みんな楽しみにしておけよ」
俺はみんなの返事を聞きながら、教会の扉を開ける。
そして、みんなを連れていつもと同じ様に礼拝堂へ足を進めた。
――礼拝堂。
祭壇の横にエリカとレベッカさんが立っている。
祭壇の前には、本人と同じ姿をした女神像を背景にヘーベが立っていた。
「皆さん、よくぞ参られました。いつも私の従者カザマがお世話になり感謝します」
ヘーベの姿を見たみんなは呆然と女神像とヘーベを見つめている。
(ああ、やっぱりこうなるよな。俺も初めは騙されたんだ。それにしても、アリーシャは兎も角、世俗に疎いアウラとビアンカがここまで驚くとは……)
「三にんとも、驚くのは分かるが、もう少し近づいても大丈夫だぞ」
俺が声を掛けると三にんとも黙って頷き、俺の後に続く。
俺がヘーベの前で腰を落として膝を着けると、三にんが後に続いた。
ヘーベは俺たちの顔を見渡すと、順に声を掛ける。
「ビアンカ、これまで毎日の様にカザマを鍛えてくれてありがとう。あなたは自分が楽しんだだけと言うかもしれませんが、それでもお礼を言いますね」
「ヒィイイイイ――!? そ、そんなことないっす!」
ビアンカは余程緊張していたのか、尻尾を逆立たせると声にもならない様な悲鳴を上げて答えた。
「アウラ、カザマがよく言ってましたよ。私に良く似た綺麗なひとの話を……それから、強力な精霊魔法を使いカザマを助け、明るい人柄で元気づけてくれましたね。時々カザマが、如何わしいことをした様ですが、よく叱っておきました。これからも仲良くしてあげて下さいね」
「は、はい。勿体無い言葉を掛けて頂き、感謝致します」
アウラは顔だけでなく耳まで赤くして、コテツやリヴァイと出会った時の様に節度ある挨拶をする。
俺と一緒にいる時の姿を見せてやりたい気がしたが我慢した。
「コテツとリヴァイもよろしくお願いしますね」
「うむ、私は好きな様にやるだけだ」
「おい、お前、俺はお前に配慮しているだけだからな……勘違いするなよ」
コテツとリヴァイの返事を聞き、俺は慣れていたが三にんは急に青褪めた表情に変わり、顔を引き攣らせたまま動きを止める。
「私はあなたたちと契約していませんから、お気遣いなく……うふふふふ……」
ヘーベが大人の対応を見せて、三にんは安堵して動き出す。
「最後になってすみません、アリーシャ姫。危険を承知で、カザマのためにやって来てくれてありがとう。それからカザマをいつも優しく、時には厳しく支えてくれて感謝します」
「はい、既に庶民になりましたが……お会い出来たばかりか、声を掛けて頂きお礼申し上げます」
アリーシャは他のふたりとは違い、ヘーベの話を落ち着いた態度で聞き、静かに返礼をした……。
「はっ!? ああああああああああああああああ――っ! ちょっと、待って下さいよ! い、今、何て言った? アリーシャを、姫とか言わなかったか? ……!? ちょっと待てよ! 何でアリーシャが、普通に俺たちに混ざってるんだ? あ、朝居なくて……俺は凄く心配して……!?」
俺は驚きと突っ込みどころが多くて大混乱したが、途中で意識を失ってしまう――。
遠くから俺を呼ぶアリーシャの声が聞こえる。
「……マ……。カ……マ。カザマ……。カザマ……!? 目が覚めましたか?」
目が覚めると、アリーシャに膝枕をされていた。
「あれっ!? 俺はどうして……」
「おい、お前、お前があまりにも喧しいからだ。あまり煩いと、また引っ叩くぞ」
頭を押さえながらリヴァイの方に顔を向けたが、それどころはないと声を上げる。
「はっ!? そうじゃなくて、アリーシャが……」
俺が興奮して声を上げるのを、途中でヘーベが遮った。
「カザマ、私が認めました。これ以上の口答えは許しませんよ」
「でも、今回は旅ではなくて、危険な任務なんですよ!」
「ベネチアーノまでは、このメンバーなら安全です。それ以降も転移魔法で帰ることが出来ます。道中、色々考えて決めると良いでしょう。カザマだけが、青春を謳歌して良い訳ではありませんよ」
俺はアリーシャのために必死になっているのに、今日のヘーベは余所行きの態度なのか、いつもと違う。
俺はそんなヘーベを相手に向きになり、三人は困惑しているのか、そわそわして落ち着きがない様子である。
エリカとレベッカさんが険しい表情をしていたが、ヘーベが静かに口を開く。
「そういえば……今回は懺悔の時間がまだでしたね」
「えっ!? 何を急に……!? 時間がないので、そろそろ……」
俺は嫌な言葉を聞き、全身から汗を噴き出し身体を震わせながら答えたが。
「聞えませんでしたか?」
ヘーベの表情から笑みが消えている。
真っ直ぐ俺を見つめていた視線を俺の目の前に落とした。
俺はヘーベの言いたいことをすぐに理解する。
ゆっくりともう片方の膝も床に着けて正座をした。
「……コホン。では、初めに王都へ出発前と移動中の二回、アウラに拳をチラつかせて脅しましたね? フィレンツーノの街では、ビアンカとアウラを左右に抱きしめる様に歩きセクハラしましたね? それからカジノでは、コテツに五千万ゴールド程稼がせて自分の物にしましたね? しかも大赤字になり、困り果てた店員が泣きついてきたのを無視して、店を半壊させましたね? リヴァイに叱られて気絶させられた際に、介抱してくれたアウラに寝惚けてキスしようとしましたね? また、その際に注意してくれたビアンカに逆切れして困らせてましたね? はーっ……段々イライラしてきてきたわ。王都では、アウラとビアンカ、アリシャーに洋服をプレゼントしましたね? その際、アリーシャには、自分好みのメイド服をプレゼントしましたね? 王宮では、レベッカさんの顔に突然近づいてセクハラしようとして、リヴァイに叱れたわね? はーっ……本当に毎回懲りずに良くもこれだけ……。昨日は同意を得ずに、突然アウラとビアンカに抱きついた……」
「イヤ――っ!! も、もう止めて下さい!! ごめんなさい! ごめんなさい……」
俺は次々とヘーベの口から、俺が行ったことを暴露されて耐えられなくなり、ヘーベが話し続ける途中で発狂する。
そして、俺が悪くないこともあったが、それでも謝り続けた。
「ほ、本当は、今度こそビンタのひとつも……私の従者として恥かしいわ……。まあ、今回も、このまましばらく反省してもらいましょうか……!? 私からはこのくらいにして、お友達も何か言いたいみたいですよ……」
いつもは独りぼっちになる筈が、今回は同行した五にんが立ちはだかる。
「カザマ、毎回こんなに色々な悪さをして叱られているっすか?」
「カザマ、私だけなら仕方ないけど、他の人にまで……」
「カザマ、あなたという人は如何わしいことばかりか、コテツにギャンブルをさせて……わ、私には、綺麗な洋服だと思っていたのに、メ、メイド用の服を……」
「カザマ、コテツとリヴァイを使ってお店を半壊させていたのね? カザマの口座のお金で謝っておくわ」
「マー君、私がいながら他の子たちにセクハラばかりして……しかも王都では、私に何もプレゼントしてくれなかったわ」
ヘーベの話が終わるとビアンカ、アウラ、アリーシャ、レベッカさん、エリカの順に叱られた。
ビアンカは不思議そうに見つめているだけだが……。
俺はみんなの言っていることは、ほとんど自分が悪くないことだと思った。
ただ、お互いに嫉妬しているというか、ヤキモチを焼いている様に感じられる。
レベッカさんの言っていることは明らかに濡れ衣だが、そんなに大金を持っていても仕方ないと思っていたので気にしないことにした。
要するに、俺は悪くないのだ。
だが、余計なことを言うと面倒なので、いつも通り我慢することにした。
ヘーベはみんなを連れて礼拝堂を後にして、俺だけ取り残される――。
食堂からみんなの笑い声と楽しそうな声が聞えてくる。
しばらくして、扉が開いた。
「カザマ、初めてカザマが友達を紹介してくれたので、色々と話を聞かせてもらったわ。さあ、気を取り直して頂戴」
ヘーベは先程までの女神さまらしい威厳のある姿から、悪戯っ娘の様な笑顔に戻っている。
「カザマ、カジノの件はコテツから話を聞き、カザマは関係ないと分かりました。お店の修繕費だけ引かせてもらいますね」
レベッカさんは王宮から俺のことを誤解していたが、頬を赤くして用件だけ伝えた。
俺は誤魔化したと思ったが、出発前の上疲れていたので聞き流す。
俺たちは教会の外に出て、荷馬車に乗り込んだ。
俺の疲れた表情を見たヘーベは顔を顰めると、
「カザマ、元気を出して下さい。今回も頑張ったらご褒美をあげるから……ね」
アルヌス山脈のクエストの時と同じ様に、乙女の様に恥じらった。
俺はこの前のご褒美を思い出し、一気に気持ちが高揚する。
しかし、その様子を見ていたみんなの視線が冷ややかになり、目を逸らした。
「やっとやる気になった様ですね。やっぱり、ご褒美が目当てなのかしら……。それでは我が従者、カザママサヨシとその仲間たちに青春を!」
俺たちは帝国に向かって出発した――。
俺たちの荷馬車が小さくなった頃、ヘーベたちの背後にはいつも通りグラッドが立っていた。
「あいつが大騒ぎして、外まで声が聞こえてきましたよ……。今回は難しい仕事ですが、大丈夫でしょうか……」
「ええ、きっと大丈夫です。頼もしい仲間たちも付いていますから」
ヘーベの返事を聞いて、グラッドは微笑を溢す。
「兄さんはカザマが出発すると、いつもこうして後から現れていたの? 初めから顔を出して、カザマに声を掛けてあげれば良いでしょう?」
「えっ!? そうなの? グラッドも結構シャイな所があるんだ……」
グラットはいつも通り格好良く締めくくったつもりが、レベッカさんから突っ込みを受け、エリカからも冷やかしを受けた。
グラッドはレベッカさんから顔を背けると頭を掻く。
そんな様子を見ながら、ヘーベは笑みを浮かべていた――。
俺たちは街を出て、ボルーノの街を目指している。
「なあ、アリーシャ。お前、隣の国のお姫さまだったのか……」
「!? 駄目です! 誰が聞いているか分かりません。それに私は、正式には……そういう立場ではありませんでした。ただ、帝国の領内に住んでいたことがあるだけです……」
アリーシャは驚いて、荷馬車の荷台から御者台にいる俺に抱きつくと、後ろから両手を回して俺の口を塞いだ。
(アリーシャの手が俺の唇に触れている……。小さくて柔らかい手だ……。アリーシャの甘い香りがする。アリーシャの息が首筋に当たって……)
「アリーシャ、気をつけて! カザマが如何わしいことを考えているわ! 顔を赤くして鼻の下を伸ばして、本当にだらしない表情をしているわ……」
「カザマ、アリーシャと乳繰り合っているっすか?」
俺はアリーシャの温もりを感じて呆けていたが、アウラからイラっとする言葉を掛けられ、ビアンカからはまたも意味を間違えた突っ込みをされた。
「あーっ! ビアンカ、前にも教えたが言葉の意味が間違ってるし、女の子がそんな言葉を使っては駄目だ! アウラはあまり酷い事ばかり言ってると引っ叩くぞ!」
ビアンカは不思議そうに首を傾げて、アウラは両手で頭を押さえて目を閉じる。
「カザマ、あまり女の子に乱暴なことを言うと、教会に戻った時に叱られますよ……でも、本当に驚きました。以前から、たまにカザマが可笑しなことを言ってると思っていましたが、本当の事だったとは……うふふふふ……」
アリーシャは女神さまの様な自愛に満ちた笑みを浮かべ、俺を見つめた。
「アリーシャ、分かったから……それより、余計なことは聞かないから、アリーシャも気をつけてくれよ」
俺は口元を引き攣らせながら、アリーシャに愚痴を溢す。
荷馬車は足取りを緩やかに東へ向かっていく。
――異世界生活二ヶ月と二十七日目。
俺たちはベネチアーノの街で、食料など最後の補給と休息を終えた。
ボルーノの街では、みんなを一度アウラの転移魔法でモーガン先生の家に帰らせている。
アリーシャが荷馬車の積荷に隠れて出発したので、モーガン先生に心配を掛けない様にしたのだ。
結局先生が許可したのか、それ程時間を掛けずに戻って来た。
それからは国内のため、旅行の様に移動していたが。
これから帝国領内に入っていく。
俺はアリーシャに何度も帰る様に説得したが、同じ様に何度も言い返される。
「アリーシャ、本当に危ないぞ!」
「分かっています! それなら、ビアンカもアウラも同じではないですか?」
「おい、お前、俺が特別にアリーシャを保護してやってもいいぞ。コテツはビアンカを眷属にしただろう。俺がしばらく守ってやっても構わない……」
俺は、アリーシャとリヴァイが仲良く手を繋いで歩く姿を想像したが、姉弟の様で思わず笑いそうになったが我慢した。
「どうしたんですか? リヴァイはこういう性格ではなかったと思っていましたが……」
「おい、お前、余計なお世話だ! 俺がついているのだから、問題ないと言っているんだ! いい加減、喧しいぞ! それから、アナスタシアが会いたがってる……」
「えっ!? 本当にどうしたんですか? リヴァイは他人のために、何かする様な性格では……」
「おい、お前、喧しいぞ! 何度も頼まれて仕方なかったこともあるが、アイツに事情を説明すれば、万一海の方から支援が必要な時に、役に立つだろう! お前は少し頭を使え!」
俺が言い過ぎたためか、リヴァイは大声を上げて怒ってしまう。
しかも、あまり賢くないと思っていたリヴァイに、頭を使えと説教までされる。
俺たちはアナスタシアさんに会い、帝国の事を聞いたが特別な情報は聞けなかった。
それでも何かあれば、リヴァイ経由でお願いすれば手助けをしてくれるらしい。
俺たちはベネチアーノの街から国境を越えて、東へ旅立った――。




