1.もうじき一ヶ月
――異世界二十八日目。
墓地での出来事から二週間が過ぎた。
未だに悲しみを拭い切れていなかったが、周りがそれを許してくれない。
まるで、弱い自分を許してくれないかのように。
そして、ヘーベは益々感情を表す様になっている。
初めはつまらない設定だと思った。
だが、今では本当に宝石を奪われて、感情を失っていると疑っていない。
何故なら、宝石を嵌める度に、ヘーベの身体が大きくなっているからだ。
それに、精神的にも成長していると感じる事がある。
そんなヘーベが朝食の途中で、唐突に言い出す。
「モーガン先生のお弟子さんには作ったわよね……私には、その……」
ヘーベは俯き、上目遣いで俺を見つめている。
俺は小首を傾げるもすぐに気づく。
「もしかして、ホットケーキのことですか?」
ヘーベは花が開くような笑みを浮かべる。
「そ、それよーっ!」
俺は目を細めていたが、ふとした出来心で口端を吊り上げる。
「食べたいのですか?」
「私は贅沢がしたい訳ではありませんよ……ただオヤツというものが、どの様なものか興味が沸いただけですから……」
(おやおや、感情が戻ってきて、思ったことを話す様になったが……まだ素直じゃないな。ここは、もう一声を……)
「私は決して羨ましいとか、思っていませんから……」
(また俺の心を読んでいるのか、ならば……)
「ヘーベ、ホットケーキも作るけど……プリンを作ろうか? 勿論、プリンは一番初めに、ヘーベに食べてもらうつもりです」
俺は悪戯で意地悪をした事を反省しつつ、謝罪を兼ねて提案した。
しかし笑みを漏らしたのは、失敗したかもしれないと天罰が気になる。
ヘーベは先程から笑みを浮かべたり、萎めたり、そっぽを向いたりしていたが、
「えっ!? ほ、本当……!? わ、私は決して、催促してる訳ではありませんから……」
とうとう頬を膨らませ、剥れてしまった。
「も、もう良いですよ。切りがないので止めましょう」
俺は慌てて会話を終わらせるが、ヘーベは怒っている訳ではない。
ヘーベには、怒りの感情はないのだから……。
「そうね、考えが分かってしまうというのも、一緒に暮らしていると不便があるわね」
(い、一緒に暮らす!? お、俺は教会で寝泊りしているが、ヘーベと一緒に暮らしているのか……)
俺は想像を膨らませてしまい、頬が薄っすらと染まる。
ヘーベは目を細めて、俺を見つめる。
「……また、何か嫌らしい事を考えているのかしら?」
「えっ!? 今のは別に嫌らしくないでしょう? 俺にはまだ先の話ですが、結婚とかすると、こんな感じなのかなって思っただけです」
「へっ!? へー、へー、そうなんだ……別にそういう事なら、考えても良いのかもしれませんね……」
以前からたまに感じたが、ヘーベも何となく分かる程度で、俺の考え自体が分かる訳ではないらしい。
勘違いしたせいか、ヘーベの頬が赤く染まり目が泳いでる様に見える。
女神さまでも、こんな一面があって、一緒に生活していて楽しい。
今日の夕食をホットケーキにして、食後のデザートにプリンを作ることにした。
――モーガン邸。
いつも通りの時間に着いたが、この時間はアリーシャしかいない。
色々と暴走しがちな面々が来る前に、今朝の事をアリーシャにだけ話す。
「そうですか。教会で司祭を……しかも、女性で任させるくらいですから、色々と苦労も多いと思いますよ。本来、そういう方は、そう言ったことを話さない筈です。カザマは余程、信頼されているのですね」
「そ、そうなのかな? ヘーベは教会を任せれているみたいだが、司祭という感じではないしな……」
そんな大層なものではないとばかりに、失笑しかけた。
アリーシャは、思わず口にした俺の言葉を聞き逃さずに、瞳を丸める。
「えっ!? 偶然ですね……この国の女神さまと良く似たお名前なのですね?」
失笑しかけた口が驚きから開いてしまうが、
「……あっ!? い、いや、そうなんだ! 良く間違えられるみたいだぞ! 見た目は女神さまだし……」
咄嗟に誤魔化そうとした言葉は、更なる追い討ちを受ける。
アリーシャは、微かに懐いた違和感を驚きに変えたように、顔を近づけてくる。
「はあーっ!? 見た目が女神さまって……どうして見た事もないのに、そんな事が言えるのですか?」
俺は完全に狼狽してしまい、近づくアリーシャに照れながらも、身近な存在を話題に出して言い訳を繰り返す。
「ち、ち、違う! 興奮するなよ! それくらい神々しいという意味だよ。アウラとかも、そんな感じに見えるだろう……」
アリーシャは、俺が照れているのを怒っているのと誤解したのか、顔を赤く染めて眉を寄せる。
「興奮しているのは、カザマではないですか! しかも、何故ここでアウラの名前が出て来るのですか?」
俺は言い訳したのが裏目に出てしまったと、更なる言い訳を重ねる。
「ごめん……お、お前の名前を出そうとしたけど……本人の前で恥かしいだろう。それにアウラでなくて、アウラとかも……と俺は言ったぞ」
アリーシャは自分の名前を出されて満更でもないのか、俺の屁理屈に呆れたのか、頬を膨らませたまま黙ってしまう……。
(まさかヘーベの名前だけで、落ち着きのあるアリーシャがここまで興奮するとは……やっぱり、ヘーベのことは秘密にした方が良いようだ。特に他の方々には……また、教会に帰ったらヘーベに叱られそうだな……)
アリーシャとの言い合いの中で貴重な情報を得たが、胃が痛くなる思いがした。
それでも最近はアリーシャと二人でいる時間が多いせいか、以前にも増して互いに気兼ねなく話す様になった。
「ところで、今の話は内緒にしてくれないか? そのー……他の人に、特にカトレアさんに知られると色々とまずいだろ? それに俺は、教会に寝泊りをさせてもらっているが、断じて邪な思いを持ったり、行動したりはしてないぞ。ここでの折檻も死にそうになったのに、罰が当たったりとか……それなりに根拠もあるんだからな」
「うふふふふ……分かりましたよ。私にお世辞を言ったり、色々と言い訳を考えたりカザマは忙しいですね」
アリーシャは既に怒ってなくて、寧ろ機嫌が良くなっている。
女心は分からないが、取り敢えず助かった。
――昼食。
午前中の修行をいつも通り終えて、俺たちは四にんで昼食を楽しんでいる。
「明日は以前ホットケーキを作ったが、今度はプリンを作ろうと思っている。以前はここで下宿していたから食事も作れたが、最近はそんな余裕もなかったからな」
「「本当!?」」
ビアンカとアウラは驚きの声を上げ、笑みを浮かべる。
「あれっ!? アリーシャは嬉しくないの?」
アウラが独りだけ反応が薄かったアリーシャに訝しさを覚えたようだ。
「そ、そうではないのです。朝、カザマから何となく話を聞いていたので……」
「独りだけ知っていたなんて、何だかズルイわ!」
アウラは柳眉を寄せているが、決して怒っている訳ではなく、ヤキモチを妬いているだけであろう。
女の子はどこの世界でも甘いものに弱い。
「まあ、少し早く知っていただけで、食べるのはみんな同じっすよ!」
アウラを宥めようと笑みを浮かべるビアンカは食べるという結果を重視して、過程に興味がないのだろうか、大人の対応である。
俺もビアンカの言葉の便乗するように、アウラを諭す。
「そうだぞ。まだカトレアさんやエドナは知らないし、アリーシャは毎日みんなのために食事を作っているだろう。料理の相談をしても可笑しくないだろう?」
見目麗しい美貌のアウラも精神年齢は幼いのか、それとも感情の起伏が激しいのか、みるみる萎れていく。
「確かに、そうね。少し興奮したみたいだわ……アリーシャ、ごめんなさい」
アリーシャは、アウラに小さく笑みを浮かべ大人の対応をする。
「別に気にしてないですよ。それよりカザマは、カトレアさんやエドナにもご馳走するのですか?」
みんなの中で一番年下だが、精神年齢は一番年上に感じさせられた。
「ああ、みんなで食べた方が楽しいし、後で内緒にしていたと勘違いされたら……」
俺はアリーシャに返事をしつつ、冷や汗を流し言葉を濁す。
「なるほどっす! それじゃあ、仕方ないっすね」
ビアンカの言葉を聞いて、ふと以前からの疑問を投げかけた。
「なあ、ビアンカがカトレアさんを苦手なのは何となく想像がつく。だけど、何でエドナと、あまり仲が良くないんだ?」
「べ、別に苦手じゃないっす……ただ、貴族さまとか、そういうのが苦手なだけっすよ」
ビアンカの笑みが消えて、苦虫を噛み潰すような渋い表情に変わる。
俺は拳に顎を載せて少し考えた。
「うーん……確かに分かる気がするが、基本的には少し情熱過ぎるだけの普通の女の子だと思うぞ」
ここぞとばかりに我ながら格好良いセリフを吐いたが、ビアンカは顔を赤く染めて声を荒げた。
「なんすか? カザマ、いきなり女を語り出すっすか? しかも自分より年上の人相手に、女の子なんて!」
ビアンカは感情を顕にして怒り、その姿を見て驚いた俺だったが、本来の疑問に戻す。
「ち、違う……それより、何でエドナとはあまり仲が良くないんだ?」
ビアンカは口を尖らせていたが、渋々のように話し出す。
「……前にアタシの事を体力バカみたいに言って、馬鹿にしたっす! あっちは脳筋バカのくせに……」
大体察しはついていたが、予想通りの事を耳にした俺は、口元を引き攣らせて謝罪する。
「す、すまん。大体事情は分かった。少し聞いただけで、その時の光景が思い浮かぶよ」
「分かったらいいっす。だけど……つまらない話は止めて欲しいっすよ」
ビアンカの力強い瞳に、本当に嫌だという意思を感じる。
(きっと、お互いに誤解しているだけだろうに……何か切っ掛けがあればな……)
俺はビアンカとエドナの関係を、いずれは何とかしたいと思った。
――青空教室。
俺はエドナとアウラに相変わらず算術を教えている。
今は割り算に入ったところだが、掛け算を教えた時に筆算を知らない様だったので教えたが、これで足し算や引き算の幅が広がった。
最近では俺の評判を聞いたのか、エドナの友達もたまに顔を出す様になり、九九を覚えている最中である。
勿論、それだけを勉強している訳ではない。
俺はカトレアさんとエドナに声を掛けた。
「昼食の時間にも話しましたが、明日は久々にオヤツを作ることにしました。ちなみに、今度はプリンにしようと思ってます」
「まあ、それは楽しみだわ。何かお礼をしないといけないわね……!? 以前本を貸してから、ひと月くらい経つわね。別の本を貸してあげるわ」
カトレアさんが妖艶な笑みを浮かべ、顔を近づけてくる。
俺は額に汗を浮かべつつ、仰け反り視線を逸らす。
「えっ!? いや、最近忙しくて、ですね……まだ一冊しか読んでないので……」
「そ、そう……では、他のものを考えておくから楽しみにして頂戴」
カトレアさんは落胆した表情に見えたが、すぐにいつものクールな表情に切り替える。
俺は何とか誤魔化して、あのシリーズの続編から逃れることが出来た。
それよりも、また俺の事を貴族と誤解して、ヒステリックモードにならなくて良かったと安堵する。
俺は先程からこちらを見つつも、声を出すのを躊躇っているエドナに声を掛ける。
「エドナも食べるだろう? 楽しみにしてくれよ」
「うん、ありがとう! そういえば刀が出来たから、見に来て欲しいって言われていたのを忘れてたわ」
俺はエドナの言葉を聞いて、
「えっ!? 本当かよ! これから見に行っても良いかな……」
興奮を抑え切れずアリーシャの方を見る。
「はー……分かりました。夕食の買出しですが、早めに出掛けましょうか」
アリーシャは溜息を吐いて頷いた。
「おう、急かしているみたいで悪いな! では、皆さん、明日を楽しみにして下さい」
俺はみんなに挨拶の言葉を掛けると、主に青空教室の指導者であるカトレアさんに頭を下げた。
――エドナの家の鍛冶屋。
「カザマから聞いて刀のイメージを考えたが、一般的なソードより柔軟性があるのだろと思った。だが、今回のカザマの注文は少し短めという事だったので、それよりも硬い作りにした」
エドナの父親は俺に説明しながら、拘って鍛えた刀を見せてくれた。
「お、おーっ! 良い感じじゃないですか! 想像より遥かに良いですよ。早速試し切りをしてみたいのですが……」
興奮した俺を先頭に外に出ると、巻藁の様な物はないので、適当な木の枝を立ててもらう。
背中に背負っていた刀を腰に差し直して、居合い抜きで枝に向かい刀を抜く。
「……」
この地方の一般的なソードのような、風を切る音はしない。
豪快に木の枝が切れて飛ぶようなこともない。
ただ、音もなく木の枝は綺麗な断面を見せて、ズレ落ちた。
「うん、とても良い感じです!」
俺はエドナの父親の手を握り喜びを顕にする。
アリーシャは俺の喜ぶ姿を見て、保護者の様な自愛に満ちた笑みを浮かべた。
その後で砥ぎ石の使い方を一通り教わる。
基本的にはメンテナンスをしてくれるが、刃が繊細なためだ。
その後、終始気分良くアリーシャと買い物をして街への岐路に着いた。
――教会。
教会に着くと、早速ホットケーキとプリン作りに掛かる。
要領良く料理を終えると、ホットケーキをヘーベの席の前に置いた。
プリンは後で食べるが、固まるのに時間が掛かるため、先に作っておいたのである。
ヘーベはホットケーキを見ると、目を閉じて大きく息を吸い満面の笑みを浮かべ、子供の様な喜びの声を上げる。
「わあーっ! ……はっ!? 私は決して浮かれてなどいませんから……」
ヘーベはツンデレを思わせる口ぶりをしているが、俺は気を利かせてスルーした。
「はいはい、後からプリンもありますからね」
ヘーベは頬を膨らませたが、
「何だかその言われ様は腑に落ちませんが、まあ良いでしょう……では、お祈りをしましょう」
敢えて自分の感情を見せないように努めているのだろう。
俺は、刀の出来栄えを思い出しながらお祈りをした。
「……そんなに刀が嬉しかったのですか?」
「えっ!? ああ……分かりましたか? これは、本当に良いものなのです」
ヘーベはいつもの様に俺の考えている事に気づいたが、こういう時に共感しれくれるのは嬉しい。
「「いただきます」」
二人で一緒に頂きますを言うのが日課になっている。
「わーっ! 美味しいわ! 生地の柔らかさとハチミツとバターが醸し出すハーモニー……はっ!? 私は決して、浮かれている訳ではないですからね」
ヘーベは大輪の花が開く様な笑みを浮かべ、料理評論家の様に語り出す。
そして、先程と同じ様にツンデレっぽい仕草をして誤魔化した。
「はいはい、後からプリンもありますからね」
「何だかその言われ様は腑に落ちませんが、まあ良いでしょう……何だかさっきも同じ様な……」
ヘーベは余程嬉しかったのか、俺を巻き込んでコントのような真似をしている。
俺は、ヘーベがはしゃいでいる姿を見て、今回も料理作りに充実感を覚えた。
しばらくしてから、プリンをヘーベの前に置いた。
「……わーっ! これも美味しいわ! この口の中で蕩ける様な触感と、何よりこの甘く香ばしいソースみたいのが……」
ヘーベは先程と同様に料理評論家の様に語り出す。
余程嬉しかったのだろうと思い、俺は気を利かせて聞き流してあげた――。




