三十八話「収穫祭」
この日が来ることを、今か今かと待ち望んでいた。長年、手を焼いていた魅了魔石は見事に破壊され、魔力を勝手に吸われる心配も、魅了される不安もなくなった。
手巾を開いても、砕けた石は輝いてはおらず、試しに王太子を魅了しようとしたものの、虚ろな目になることはなく普段と変わらない様子だ。効力は完全に消滅している。悩みともこれでおさらばだ。
「お疲れさま、エリスティア。ところで、その欠片はどうするんだ?」
「村に戻ったら、兄たちに協力を仰いで適切に処分します。それより、体調はどうですか?」
「問題ない」
菫色の瞳とは視線が合うし、体調も悪くなさそうだ。魅了されていた間の記憶はどうだったのか、好奇心が刺激されるけれど、今はそれよりも優先するべきことがある。
「それならよかった。さて。村にエリーゼとルシフェルを置いてきちゃったから、どうにかして戻らないと……兄さんに頼もうかな」
「心配しなくても、キミのことは責任を持って婚約者の僕が連れて行く。けど、その前に、家に顔を出さなくていいのか?」
せっかく王都ヴァランクールに戻ったのだから、オッペンハイム公爵邸に顔を出すべきだと背中を押された。エリーゼとルシフェルを連れていないので、寄らずに帰るつもりでいた。
あまり気が進まなかったが、一緒に行くというので公爵邸に足を運んだところ、公爵夫人は在宅しており、いつ頃、この家に戻るのか尋ねられた。一言も相談せずに勝手に家を出たのに、そんな恩知らずな私を、また迎え入れる準備をしているとは思わなかった。王太子は、自分の行いのせいで王都を離れることになったのだと、私の代わりに頭を下げていた。あくまで王都を離れることを決めたのは私だと訴えても、王太子は頭をさげることはやめなかった。
王都を離れたのは、聖女に心酔した王太子を見限って婚約を破棄し、自由に暮らすためだった。でも真相は、聖女に心変わりしたわけではなく、私の呪いを解こうと必死になっていただけだった。私のためだった。
王都から距離を置く理由がなくなってしまった。だが、世話になった司祭や村民に挨拶していないので、公爵夫人には近日中に戻ると伝えて公爵邸を後にした。
王太子に連れられ村に戻った私の目の前には、不安そうな面持ちをしながら洗濯物を干していたエリーゼと、剣の手入れをしていたルシフェルの姿があった。こちらに気がつくなり駆け寄ってくる。
「あ……お嬢様! おかえりなさい、心配しましたよ!!」
「……エリスティア!!」
「遅くなってごめん。すぐに戻るつもりだったんだけど、王太子がどうしても、公爵邸に寄るべきだって言うから……」
包み隠さず打ち明けると、エリーゼとルシフェルは、すぐさま王太子に視線を向けた。無表情だ。二人の様子から、呆れていることだけは伝わってくる。
「……アルディオン様」
「……殿下」
従者二人の視線に耐えきれなかったのか、王太子はいきなり声を荒げた。
「そ、そんな目で僕を見るな! 十歳の娘が、二か月も家に戻っていないんだから、ご家族に会わせたいと思うのは人として当然だろう!?」
「なんてね、わかってますよ」
「右に同じく」
王太子を揶揄してすっきりしたらしく、また普段通り笑みを浮かべたエリーゼは、今度は私に視線を向けた。
「それで、どうだったんですか? 成果は」
王太子と二人で村に戻ったので、勘のいいエリーゼなら察しているだろうに、それでも聞いたということは本人の口から言わせたいんだろう。
「うん。もうなにも心配いらないよ」
「ほ、本当ですか!? よかったですね、お嬢様!!」
「ありがとう」
自分のことのように、飛び跳ねて喜んでくれるエリーゼの気持ちが嬉しかった。
「それでね、そろそろ王都に戻るつもりなんだけど、どうかな?」
今すぐ帰りたいと言われれば、すぐに応じるつもりだ。
「明日、収穫祭を行うと言っていましたよ。出席されてからでもいいのでは?」
「誘われているのなら、そうだね。王太子もそれでいいですか?」
「もちろん。ああ、でも、僕はこの村とは関わりが少ないから、宴は遠慮した方がいいかもな」
王族というものは、王妃のように威張り散らかすものだと思っていた。現に、この村についても、地に足をつけながら不快そうな表情をしていた。その点、弁えている王太子を見ていると不思議だ。そこが彼のいいところでもあるけれどもね。
「なにを気遣っているんですか? 狼を撃退したのは王太子なんですから、堂々と私の隣にいたらいいじゃないですか。婚約者……ですし」
「そ、それもそうか」
「お嬢様……!」
村人を脅かす狼を追い払ったのは事実だ。王太子という身分は明かしていないが、狼を撃退した坊ちゃんとして知れ渡っている。あれ以来、遠吠えが聞こえるようなことはなくなった。
「でも、寝泊まりは、兄たちが建てた家でお願いしますね。私は村での生活には慣れてますけど、王太子はそうではないので」
「いや……案外僕も、キミと同じかも……」
「え? 同じ? けど、アーノルドは裕福では……」
アーノルドとは王太子の前世の名前で、伯爵家次男だった。王都ではないが、それなりに栄えた街に住んでいた。村には慣れていないと思ったので、ついうっかり名前を出してしまった。エリーゼは聞き逃さなかった。
「アーノルドって、どなたですか? 新しく入った使用人ですか?」
「し、使用人って……ふふ」
公爵家でメイドをしていたというのに、アーノルドは分け隔てなく誰にでも親切だった。そんな彼を、自由奔放な放蕩息子だと言う人もいれば、貴族なのにお人よしすぎると苦言を呈する人もいた。でも、実際は、人から頼まれれば断ることのできない、優柔不断すぎる性格をしていただけだった。それを知っていたので笑ってしまった。
「……笑わないでくれ」
「ごめんなさい」
私が笑っているので王太子は、唇を尖らせて拗ねたような表情をして見せた。過去の自分と関わりのある人のことを、こうして揶揄する日が訪れるとは想像していなかったので、不思議だ。でも楽しかった。
「だ、誰なんですか!? そのアーノルドって人は!?」
「秘密だよ。私と王太子だけの」
「ずるいですよ、お嬢様ァ! 私も仲間に入れてく~だ~さァ~い~!!」
エリーゼは知りたがっていたが、二人だけの秘密だ。笑って誤魔化した。
***
九月上旬、収穫祭──当日。この村に辿り着いてからは二か月。近いうちに村を去ることは、世話になりっぱなしだった裏手の奥方や司祭、村長に伝えている。村長の長男であるアルベルトと、妻のエイミーは残念がっていたが、子どもが生まれたら顔を見にきてほしいと言われているので、また訪れる予定だ。
年に一度の無礼講とのことで、村民は続々と村の中心部に集まってくる。広場で宴を開くという。
週に一度の『焼き日』に、有料で開放している大型オーブンを今日だけは無料にし、収穫した野菜や果物、まるまると太った鶏に豚、羊、牛など贅沢に使った手料理を大量生産する。老若男女問わず調理をするので、焦げていたり、逆に生焼けだったり、形が不揃いだったり、味がしなかったりと様々だが、みな和気藹々と楽しそうだ。定番のローストチキンやローストビーフ以外にも、大鍋を用意し、豆と野菜、一口大に切った肉、スパイスを放り込み、たっぷり牛乳を注いでから煮たり、焼き立てでふわふわしたパンを配ったり、ポークパイにアップルパイ、ジンジャーブレッドもある。
それらを食べつつ、大人はビールやエールを浴びるように飲み、子どもはヤギのミルクで喉を潤していた。
暇だったので手伝おうとしたが、村長からは座っているように言われた。入れ替わり立ち代わり村人たちが、料理に菓子に飲み物にと運んでくれるので、私や隣に座る王太子は最大限にもてなされた。
「エリスティアさん。王都に帰っても、この村のことは決して忘れずに……その」
「うん。困ったことがあれば、鳩を飛ばしてほしい」
「あ、ありがとうございます!」
村長の意図することはすぐに理解できた。だから、村人総出で丁重にもてなしているのだろう。別にそこまでしなくても、時々様子を見にくるつもりでいた。狼の件が心配だからだ。
教会の隣にある石造りの建物は、オッペンハイム公爵家の別荘としてそのまま残すことが決まっている。家の管理は村人がしてくれるという。
十分すぎるほど飲み食いをして、収穫祭は大いに盛り上がった。村で過ごす最後の夜は、火を囲んで歌い踊る婦人を眺めながら更けていった。
2026/5/3 とうとう50話の冒頭に入りました。推敲は38話までです。
本文は145800文字くらいで残り3000文字で終わりです。
明日からは1日に2話更新できたらな、と思ってます。
5月中に50話まで書けるように頑張ります。
推敲は一度しただけなので、タイトルやらなんやら後から色々と直す場合もございます。
よろしくお願いします。




