三十七話「魅了魔石」
茜色をした夕日がゆっくり沈む中、教会の庭先で司祭の手伝いに勤しんでいた。時間を潰すためだ。夕方四時を告げる教会の鐘が鳴ってからしばらくすると、待ち侘びていた人物が、なにもない空間から閃光とともに現れた……かのように思われた。
「……アルディオン様?」
目の前に佇むのは、今日一日、待ち望んだ王太子などではなかった。真紅のベルベッド生地で、丁寧に縫われた艶やかなドレスを着こなした王妃と、水色という控えめな色のコタルディを着た聖女セラフィナだ。裏切られた気分だ。
こっそり王妃を盗み見ると、白い羽根のついた値の張りそうな扇は手にしているが、宝石は持っていなかった。魅了魔石を奪い返す必要があるのに、どこかに隠しているのかもしれない。
「……王妃様。それから、聖女セラフィナ様にご挨拶申し上げます」
ひとまず、スカートの両裾を摘まんで挨拶した。王妃は、余裕しゃくしゃくといった笑みを浮かべ、私のつま先から頭のてっぺんまで、ゆっくり眺めてから口を開いた。
「あら、オッペンハイム公爵令嬢じゃない。探す手間が省けたわ。王太子から、あなたに話があるそうよ。一緒に城まで来てくれるかしら?」
十中八九、離縁の宣言と、聖女セラフィナとの婚約を取りつけるためだろう。王妃の魂胆は見え見えだ。城に移動し、国王陛下の前で終わりにしたいらしい。
聖女セラフィナの様子を窺うと、終始俯いていた。王妃に弱みを握られているのか、はたまたほかに事情があるのか、一言も発さず大人しくしていた。
「……わかりました。行きます」
「お、お嬢様……!」
「心配しないで」
不安そうな顔をしたエリーゼに声をかけられたが、大丈夫だと力強く頷いてみせた。このまま村で待っていても、王太子は二度と戻ることはないだろう。魅了魔石に惑わされ、城のどこかで足止めを食らっているはずだ。
それならば、自ら王都に出向くしかない。でなければ、私が命を落とすまで会う機会は奪われてしまうし、王太子の命も無事とは限らない。
「そこのあなた。私たちを、さっさと王都に戻して頂戴」
「御意」
「こんな田舎臭い村、靴が汚れるからもう二度と来ないわ」
王妃と聖女セラフィナを村まで運んできた従者は、私に向かって手招きしたので一歩近づいた。すると、周囲は瞬く間に眩い光に包まれた。触れることなく、範囲内にいる人間を引き連れて移動できるらしい。
村からは約八十キロとだいぶ距離があるというのに、一度に四人もの人間を移動させる従者の魔力量に感心しつつも、目を開けると、シルヴァーフォード城の玉座に続く扉前にいた。こんな形で王都に帰ることになるとは……。
従者が扉を開けたので、先に王妃が足を踏み入れ、挨拶をしてから国王陛下の隣に腰かけた。次に聖女セラフィナが歩き出したので、遅れないように続いた。
ジェフリー国王陛下は、普段と変わらぬ朗らかな表情を浮かべて出迎えてくれた。オッペンハイム公爵の末娘だからか、いつもこうして歓迎してくれる。
聖女セラフィナが国王陛下と王妃に挨拶をしてから王妃の前に立ったので、私も先ほど王妃にしたように、スカートの両端を摘まんで挨拶した。
「国王陛下、それからアルディオン殿下。エリスティア・オッペンハイムでございます。ご挨拶申し上げます」
「うむ。よくきた。楽にしなさい」
「はい。ありがとうございます」
国王陛下の前には、きちんと正装した王太子が待機していた。彼の隣に立ち、横顔をちらりと窺ったものの、今朝方、見かけた時と同じように虚ろな目をしていた。魅了魔石の影響に違いない。声をかけても反応はなく、こちらを気にする素振りは一切見せない。
「国王陛下、それから王妃様。アルディオン殿下に、私からお話があります。先にお話してもよろしいでしょうか?」
「かまわない」
「まあ。手短に済ませて頂戴ね?」
先手必勝とばかりに切り出すと、王妃は不快そうに眉を顰めたが、ジェフリー国王陛下は快く頷いてくれた。一呼吸おいてから切り出した。
「アルディオン様。こちらを見てくれますか?」
「…………」
視線は合わないし目は虚ろなままだけれど、声は届いているらしく、体を少しだけ傾けてくれた。
「昨日の私との会話を覚えていますか? 私の命と、王太子の命についてです」
反応はなくとも、一方的に語りかける。
「あ、あなた、一体なんの話を──」
「黙りなさい」
「……はい」
私の問いかけを耳にした王妃は、慌てて阻もうとしたが、国王陛下に咎められて押し黙った。
「あれから考えました。どうして王太子があんな発言をしたのか……。でも、考えてもわかりませんでした」
上手く話せるか自信はないけれど、エリーゼに背中を押してもらったことを思い出して切々と訴える。
「ですが、これだけははっきりしています。私も、自分の命よりも、王太子の命の方が数百倍惜しいです。私のせいで命が危ぶまれるのなら、もう一緒にはいられません」
「…………」
一瞬、虚ろだった王太子の菫色の瞳が、微かに揺らいだような気がした。効果はあるのかもしれない。
そんな私の言葉に、王妃が間髪入れずに反応した。
「そ、それなら、今すぐ婚約破棄を発表して、セラフィナを……!」
「──ですが。聖女セラフィナ様と、王太子が結婚する姿は……見たくはありません。それは望んでいません」
「なっ……!!」
王妃が呆れていてもかまわない。王太子の身が危ぶまれるのも嫌だし、聖女セラフィナと結ばれる姿も目にしたくはないんだ。
男爵令嬢リーリエの時も、あまりいい気持ちはしなかった。でも、自分が身を引けば、二人が幸せになれると信じていたから、今までの人生のように譲ることができた。
でも、私が諦めた途端、命を脅かされるという真実を知ってしまった以上、自我を通そうとはどうしても思えなかった。そうしたくなかった。
「アルディオン様と生きていきたい、と思っています」
十回目の人生で、初めて気づかぬ振りをしていた本心と向き合った。王太子の菫色の瞳と視線が合った。
「…………本当か?」
「……うん」
「本当に、本当か?」
「うん」
しつこいな、なんて思いながらも頷くと、いきなり王太子に抱きしめられた。十歳の誕生日にもらった、ユリの花のような甘い香りがした。
「……苦しいな」
「わざとだ」
こんなに力強く、誰かに抱擁されたことはなかったので、息苦しさを感じた。でも、その息苦しさが、なんだか心地よい気がした。生きているという実感が、また湧いた。
「──だ、そうだ」
黙って眺めていた国王陛下は、隣にいる王妃を諭すように話しかけた。聖女セラフィナと結婚させたいと何度も訴えられたからだろう。
「こ、こんなの間違っているわ!!」
ところが。納得できない様子の王妃は、叫びながら立ち上がると、どこから取り出したのか魅了魔石を掲げた。
「これを見なさい!!」
紫色の怪しい光が不気味に輝き、その場にいる全員が吸い寄せられるように視線を向けてしまった。国王陛下も従者も、そして王太子までもが注目してしまった。魅了魔石は半強制的だ。
「み、見ちゃだめだ!!」
また王太子の菫色の瞳が虚ろに変わってしまい、私の肩に回されていた腕が弛んだ。傍にいるのに、名前を呼んでいるのに、反応はない。魅了魔石に囚われてしまった。こっちを向いてほしいのに、宝石をぼーっと眺めている。
宝石の持ち主は私なのに、どうして、どうしてこうなっちゃうんだろう。
王太子は、私の傍を離れて一歩、また一歩と王妃に近づいてゆく。腕を引いて阻止しようにも、強い力で振り解かれてしまった。
「アルディオン……」
私にはどうにもできないんだろうか。ただ見ていることしかできないんだろうか。魅了魔石を手にしている王妃には絶対に抗えないんだろうか……。
なんというものを作ったんだ、魔女ドラヴェナは……。
私を呪った張本人のことを、恨みはしなかったけれど、今回ばかりはそうも言ってられない。毒々しい、なんとも言えない感情に支配されそうだ。
王太子は、王妃の持つ魅了魔石に魅入られている。椅子から腰を上げた国王陛下も、従者も視線を逸らせずにいる。
その時。挨拶を交わしてから黙っていた聖女セラフィナは、小さな声でなにかをつぶやくと、辺り一面が眩い光に包まれた。魔石が放つ、紫色の煌めきを凌駕する勢いだ。屋内にいるというのに、燦燦と降り注ぐ太陽が、目前にあると錯覚するほど強烈な光だ。私は我慢できずに目を閉じた。
「セ、セラフィナ!?」
すると、次の瞬間。王妃が手にしていた魅了魔石が手元を離れ、地面に転がり落ちた。目の前にいた王太子がいち早く反応し、魅了魔石を素早く拾い上げ、腕を振り上げる。
「ふん。壊そうったって無駄よ。木槌で打っても割れなかったんだから────え?」
王太子が思い切り地面に叩きつけると、なんと魅了魔石は呆気なく砕け散った。紫色の怪しい輝きは瞬く間に失われた。
そんなに簡単に壊れるの……!?
私も、何度か破壊しようとしたことならある。金に困ればそこそこの値で売れるものの、魔力を勝手に吸い取ったり、不特定多数の人間を魅了したり、強制的に惚れさせるなどの効力に恐ろしさを感じたからだ。
金槌で叩いたり、炎の中で衝撃を加えたり、燃やしたり、高いところから落としたりと試みたけれど、傷一つつけられなかった。それなのに、今目の前に広がっているのは紫色の宝石の無残な姿だ。
「そ……そんな……」
王妃はすっかり脱力して地面にへたり込んだ。意気消沈としている。
聖女セラフィナが、どうして力を貸す気になったのか。心当たりはない。王妃に背を向け、こちらに近づいてきた。
「エリスティアさん。あなたの呪いは……うん、今のところは消えていますね」
「助かった」
「いいえ。では、私はこれで」
含んだ物言いをされたけれど、ひとまず消えたのならなによりだ。私よりも先に王太子が礼を告げると、お辞儀をした聖女は玉座を後にした。
床に散らばった宝石を片づけたいのか、箒片手の使用人がいそいそと近づいてきた。それをやんわりと手で制した。
「ここは私が片づけるから、下がって」
「わ、わかりました!」
このまま使用人に片づけを任せてしまうと、悪用を企てる誰かの手に渡らないとも限らない。不安の芽はできるだけ摘んでおきたい。拾い集めて溶かして固め、魔女ドラヴェナを真似て魔力を注ぎ込むものが出ないとも言い切れない。そうなる前に、適切に処分することにした。
私は手巾を取り出すと、散らばっていた魅了魔石の欠片を一つ一つ拾い集めた。それに気づいた王太子もすぐに協力してくれた。
だいたい回収したと思ったが、なぜか一つ足りない気がした。あちらこちら確認しながら歩いても出てこない。宝石の破片だけではなにもできないだろうと、それ以上探すのは断念した。
2026/5/2 49話の冒頭です。推敲は37話までです。
本文は143000文字くらいで残り7000文字くらいです。
50話まで到達できたら、1日に2話更新できたらな、と思ってます。
5月中に50話まで書けるように頑張ります。
推敲は一度しただけなので、タイトルやらなんやら後から色々と直す場合もございます。
よろしくお願いします。




