三十六話「エリスティアの願い」
王太子の手から戻った魅了魔石は、借りている家の寝床に敷かれた藁の中にあるはずなのに、いつの間にか家に侵入した何者かに盗まれたらしい。これが目的だったんだ!
魅了魔石という、誰でも簡単に魅了することのできる宝石の存在は知らなくとも、王太子の行動を逐一張っていれば、金融商人に辿り着くし、そこから不気味な光を放つ宝石の情報を得たとしても不思議ではない。宝飾品にまったく興味のない王太子が、高額すぎる宝石を買い取れば、それを関係修復のために利用することは、王妃でも想像できるはず。
もっと厳重に保管するべきだった。魅了魔石を売っても、第三者が悪用したことは一度もなかった。油断してしまった。
「まずい……あれを早く取り返さないと……!」
すぐさま走って向かおうとしたが、紫色の光を浴びてしまった王太子は、王妃の『跪きなさい』という一言に、苦悶の表情を浮かべながらも地面に膝を突いた。額には汗が浮かんでいる。
「すごいのね、この紫色の宝石。禍々しい魔力を感じるわ。直視をしないように言われていたけど、まさか自尊心の高いあなたが、私の命令に従うなんてね」
王妃は愉快そうにしている。王太子の菫色の瞳は、虚ろになっていた。魅了されてしまった証拠だ。
「お嬢様……どうすれば……」
「魅了魔石を、なんとか奪い返すしかない……」
けれど、相手はこの国の王妃だ。水魔法を使い、万が一にも怪我をさせてしまえば、オッペンハイム公爵家は非難を浴びるし、爵位は剥奪され、領地や私財もすべて没収されるだろう。まさに一巻の終わりだ。どうにか穏便に済ませるしかない。
「さあ、アルディオン。ここで、聖女セラフィナと婚約することを誓いなさい」
「……おばさま……いえ、王妃様。私は、別に……」
「あなたは黙ってなさい! 王太子妃になれば、一生安泰するのよ。姉も喜ぶわ。悪くないでしょう?」
「…………」
そんな会話がこちらの耳にも届く。聖女セラフィナの顔色は心なしか曇っていた。なにか事情がありそうだ。
王太子はというと、王妃の目の前で跪いたままだ。なんとかやめさせたいけれど、このタイミングで私が飛び出ても、仲裁できるかどうかはわからない。
「なんの騒ぎですか? 一体」
その場に現れたのはオーガストだ。まだ王立魔導騎士学校に登校していなかったのか、全身を紺色でまとめた装いをして、迷惑そうに眉を顰めながら出てくる。
「……あら、オッペンハイム卿。ごきげんよう」
王妃は、オーガストを一瞥するなり引き攣り笑いをした。ジェフリー国王陛下が信頼を置いているオッペンハイム公爵の嫡男ゆえに、気を遣う必要があるからだろう。
「王妃様。こんな辺境地なのに、この数の兵士が出動しているのは、ちゃんと国王陛下の許可を得ているのですか? まさか……独断じゃないですよね?」
「そ、そんなことないわ」
「では、確かめに向かわせてもいいですか?」
「そ、そんなことする必要はないわ! 今すぐ下がらせるから、ね?」
そう告げるなり、背後にいた侍従に指示を出した。ずらりと並んでいた兵士は、五、六人まとめて転移魔法で次から次へと姿を消してゆく。助かった。
「アルディオン様。いつまで膝をついているつもりですか? 立てないのなら、俺が手助けしましょうか?」
「……結構だ」
「学校に遅れるので、俺たちは先に失礼しますね。王妃様、それから聖女セラフィナ様。またお会いしましょう。それでは」
「……失礼します」
魅了は解けてはいないが、オーガストは王太子の肩に手を乗せて転移魔法を使った。瞬く間にいなくなった。
その場に残された王妃は、腹が立つのを抑えられないのか盛大に舌打ちした。寸でのところでオーガストに阻まれてしまったのだから無理もない。
「……王妃様」
「ふん……仕切り直しよ」
「……わかりました」
王妃と聖女セラフィナの二人も、転移魔法で村から立ち去った。
魅了魔石を回収しなければ、また王太子は魅了されてしまうだろう。一旦、その場を離れたとはいえ、また見せられればどうなるかはわからない。
「なんかよくわかりませんでしたけど、オーガスト様のおかげで助かりましたね」
「……そうだね」
「私たちも、戻りましょうか」
「……うん」
今回は、オーガストの機転のおかげでなんとかなったが、次も切り抜けられる保証はどこにもない。おそらく、近いうちにまた現れて、ここから魅了したまま王都ヴァランクールに連行されることになるだろう。
魅了魔石を奪い返すか、破壊しないと……。
魔女ドラヴェナがリヴェリアのために生成したものだ。どうすれば壊せるのか、ドラヴェナとの会話を思い出そうにも浮かばない。魔女の名前ですら、王太子に言われなければ忘れたままだった。
このままでは、王太子は聖女セラフィナと結婚することになるだろう。私の婚約者じゃなくなるのなら、もしかしたら呪いも作用しなくなるのでは……。
一瞬だけ思考が傾いたが、男爵令嬢リーリエの時は、妹に婚約者を譲ったというのに、私よりも少し遅れて亡くなったと聞いた。それではだめだということだ。つまり、聖女に譲ったとしても、私の呪いを解かない限り、王太子は死んでしまう……。
「お嬢様……急に立ち止まってどうしたんですか? 大丈夫ですか?」
道端で足を止めたので、エリーゼは心配そうに声をかけてきた。悩み過ぎて頭がおかしくなりそうだ。私がちゃんと管理していれば、こんなことにはならなかった。自業自得だ。王太子を巻き込んで話をさらにややこしくしてしまった。
「……わからない」
「なにがわからないんですか?」
「……王太子と、聖女セラフィナの結婚を阻止する方法だよ」
王妃の手から魅了魔石を回収することなど、不可能に近い。私は水魔法しか使えないからだ。王妃の従者が常に守っているし、近づくことすら容易ではない。そんな人間から回収するには、奪い取って転移魔法を駆使して逃げるほかないだろう。でも、オッペンハイム家にはこれ以上迷惑をかけられない。詰んでしまった。
「本気で言ってます?」
「……え?」
「お嬢様が、少しだけ素直になればいいだけですよ」
「素直に……?」
「そうです。そのまま伝えるんです。聖女セラフィナと結婚してほしくない、と。そうすれば、気持ちは伝わりますよ」
本当にそうなんだろうか。王太子にそれを告げるだけで、本当にいいんだろうか?
もっとなにかあるはずだ。王太子に伝えたいこと──。
「……あ、浮かんだ」
自分の命は惜しくない。十回目の人生だ。
でも、王太子を巻き添えにしてしまうのだけは、どうしても嫌だった。それを本人に伝えたくなった。王太子が、私の命は自分の命よりも数百倍も惜しいと言ったように、私も、彼の命が惜しいんだ。自分と同じように、死んでほしくない。長生きしてほしい。ただそれだけだ。
ようやく自分の願いがわかった。十回目にして、初めてなにかに気がついた。
「ふふ。今日、授業を終えて戻られたら、お嬢様の気持ちを伝えましょう。こういうのは、早い方がいいんですよ」
「……伝わるかな」
「伝わりますよ! 絶対! 私は今まで、間違ったことを言ったことがありますか?」
「……ないね。一度も」
「でしょう? 一番に出迎えましょうね」
「……う、うん」
「そうと決まれば、今から準備しましょう!」
エリーゼは、漁港で入手した派手な生地で、新たにコタルディを仕立ててくれたので初めて袖を通した。ぴったりだった。明るい服装に合わせて、髪を梳かして二つ結びにする。気が引き締まる。
見送ってから一時間も経っていないのに、なんだか待ち遠しかった。
2026/5/1 47話の冒頭です。推敲は36話までです。
本文は139300文字くらいで今日はあまり進んでいません。
50話まで到達できたら、1日に2話更新できたらな、と思ってます。
5月中に50話まで書けるように頑張ります。
推敲は一度しただけなので、タイトルやらなんやら後から色々と直す場合もございます。
よろしくお願いします。




