三十二話「アルディオン様にデートに誘われました……?」
王都を離れ、北方の村で暮らし始めて一か月半。雨は時折降るし、汗ばむ陽気が増えて心地よい。
オーガストや王太子に居場所を把握されてしまったというのに、強制的に連れ戻される心配は今のところ皆無だった。ふと、王都での私の扱いがどうなっているのか知りたくなったので、朝食持参で顔を出した王太子に尋ねることにした。
「アルディオン様。一つ、質問してもいいですか?」
「ああ、かまわない」
「王都での私は、行方不明扱いになっているんですか? それとも家出ですか?」
「どちらも違う。キミは療養していることになっている」
オッペンハイム公爵は、末娘である私を自然の多い農村地帯に預け、ゆっくり英気を養っていることにしたらしい。虚弱体質な令息や令嬢が、王都以外の場所で過ごすことは珍しくないという。私以外にも、伯爵令息が親元を離れ、湖畔にある別荘で悠々自適に過ごしていると王太子に教えられた。健康面だけでなく、素行で懸念点があると、更生を促すために送り出す場合もあるようだ。
あまり問題になっていないのは、王家と懇意にしている公爵家なのと、三兄弟が村に滞在しているので、うまく立ち回っているのだろう。
「聞きたいのはそれだけか?」
「ここと王都を何度も往復しているようですけど、また倒れませんか?」
「キミには格好悪いところを見せたが、もう心配はいらない。魔力消費を極力抑えて、移動する実験をしている最中だから、僕の鍛錬にも一役買っている」
「そうなんですか」
私が村の広範囲に水を降らせたように、王太子も転移する際の魔力を抑える練習をしているのかな、とぼんやり考えた。
魅了魔石が手元にない今の私では、馬の速足でせいぜい一時間ほどの距離しか移動できない。消費を抑えるコツを伝授してもらえれば、もしかするともう少し先まで伸ばせるかもしれないが、私の魔力は王太子やオーガストらの四分の一かそれ以下だ。
成長すれば多少は増えるものの、私を捨てた母親は、魔力をほぼ持たない庶民だろうし、父親は、おそらくどこかの子爵か男爵の端くれのはずだ。子の魔力量は本人の並々ならぬ努力と、遺伝もあるので、年齢を重ねても、そこまで増えることはないだろう。
「……キミがいない王都は息が詰まる。ここでは呼吸ができる……」
「え? なんですか?」
考え事をしていたのではっきりとは聞こえず、すぐに聞き返したが、王太子は笑みを浮かべるだけだった。
「これから少し出かけないか?」
「学校は?」
「またそれか。今日は休日だ」
焼き日は週の真ん中にある。それからそんなに経っていない気がしたけれど、王太子が休日と言えば休日なんだろうね。もしも学校があるのならば、つい先日、倒れてからは彼の側近が頻繁に顔を出すようになったので、なにか言うはずだ。
「出かけるって、どこに行くんですか?」
「そうだな、また漁港に行ってもいいし、馬を借りて遠乗りや、雉を狩るのはどうだろうか。キミはどうしたい?」
「散歩しながら相談しましょうか」
「わかった」
「支度をしてくるので、待っていてください」
外にある炊事場に、パンやチーズなど食料を保管しているので、その辺にあるものを適当に柳で編まれた篭に詰めた。ジンジャーブレッドも忘れない。
「僕が持つ」
「え? ありがとうございます」
外で掃き掃除をしていたエリーゼに出かけることを伝えると、にこにこしながら見送ってくれた。
肩を並べて歩いていると、ほとんどの家庭ではもうすぐ収穫を終える頃合いだが、畑にいた夫人が「あら、まあ、どうしましょう」と溜め息を吐いている時に通りかかってしまった。
「どうしたの?」
「あらエリスティアさん。それから坊ちゃん」
念のために王太子という身分は明かさず、いいところの令息だと紹介したので、村人からは親しみを込めて『坊ちゃん』と呼ばれている。
「昨日まではなんともなかったのに、虫が大量に発生してしまって、困っているの」
青々としたリーキに、小さな害虫がついていた。一匹や二匹どころではない。しかも、ほぼすべてのリーキに付着していた。
「私でよければ水で流そうか?」
「あら、お願いできる?」
「いいよ。そこで見てて」
水量を上げてしまうと野菜を傷つけるので、弱くなるように調節しながら魔力を放出する。近づいて確認したところ、まだ虫がついていた。
水圧を強めようとした私の隣で、王太子も魔力を静かに放出して、私の水にかぶせるように出した。まとわりついていた小さな害虫は、一匹、また一匹と勢いよく流されてゆく。しばらく続けると、あれだけいた虫は綺麗さっぱり消えていた。
「ありがとう、二人とも! おかげで虫がいなくなったわ! 傷もないし、出荷できそうよ!」
「よかった」
「あとでお家まで、お裾分けを持って行くわね!」
「ありがとう!」
笑顔で手を振る夫人と別れ、また歩き出すと、すぐ隣にいた王太子に尋ねられた。
「こうやってキミは、この村で過ごしていたのか?」
「ええ、そうですよ。最初に来た時は、二週間も雨が降らずに困っている様子だったので、何度も水を降らせたり、枯れかけた井戸を満たしたり、村の子どもたちの水遊びに付き合いました」
魔力調節には少しだけ苦労したけれど、王都ではできない経験ばかりだった。それなりに充実した日々を過ごした。
村長の息子と婚姻を結ばされそうになり、恋人とくっつけた話や、村長の家が火事になり夜通し消火活動に当たったこと、オーガストに注意されたことなど色々あった。思いつくまま話していたところ、王太子は不意に立ち止まった。
「私の話、退屈でしたか?」
根っからの口下手なので、誇張することなく淡々と一方的に話してしまった。つまらなかっただろうかと尋ねると、王太子は小さく首を振った。
「違う。キミに渡すものがあることを思い出したんだ」
「……なんですか?」
渡すもの、と言われて思い当たる節はなにも浮かばなかった。家に置いてきたリボンやブローチなど小物の類いではないだろうし、何度か受け取ったことのある花でもないだろう。
期待と不安の眼差しで王太子に注目すると、彼が懐から取り出したのは、中くらいの箱だった。婚約継続のために指輪を渡すにしても、このひと汗流したタイミングでは不自然だ。そのつもりがあるのなら、朝食を取る前に実行しているだろう。一体なにが入っているのか。
王太子がゆっくり箱を開くと、その中に収められていたのは、怪しく光り輝く紫色の宝石──そう、私が手放した《魅了魔石》だった。




