Main Ingredient A
【side:ミンヒョク】Timeline[十一月上旬 一三時・・・場所:ギランにて]
時間は一か月遡る。全てはここから始まったのだ。ミンヒョクは息を吐き、肩を回した。
彼は今、世界最大のフリーマーケット、『ギラン』の中にいる。一×一メートルしかない小さなテントが黄色く荒れた大地にぎっしり並べられている。その中の一つのテントの中であぐらをかいて、かき集めたゴミスクロール百枚に視線を寄せた。
テントはつまり、貸店舗である。ギランに訪れた商人を志すものが最初に行う事。それが転売だ。より安い商品を買い、ギランの中で高く売る。そしてこのギランではあらゆるものが売られている。ギランへの入場代金、一万ゴールド、貸店舗であるテント代金の一万ゴールド、総額二万ゴールドが豪商の夢への初期投資だ。
雲一つない青空の下、円状の広場はその周囲を鉄製のメッシュフェンスで覆われている。初めての入場の際、彼はそこをまるで「闘技場」のようだ、と思った。中で行われているのは資本主義の異種格闘技戦、なんでもあり、の殺し合い。彼はそこにたった一つの魔法を持って入場したのだ。ゴミスクロールを一枚手に取り、それをじっと眺め始める。
集中した。ピンクチラシが一万ゴールドの価値を持った時、あの時はそれを握りしめて何かしらのトランス状態に入ったと思う。左胸の痛みが兆候だ。それはわかった。だから祈るようにそれを見て念じた。時刻は昼の十三時、太陽と気温が高くなる頃だ。乾燥地帯にあるギランは冬、十月後半から十一月初旬でも、最高気温は三十一度を超す。太陽は激しくミンヒョクの黒い髪を焼き、こめかみから汗を滴らせる。狭い通路では騒がしくひっきりなしに人が行き交っている。ポーションを値切る声、薬草を売る女性の甲高い声、手を叩きながら果物を売る男性の大声・・・。集中を乱されて、ミンヒョクは頭を振る。静かにしてくれ。だが、声を荒げたところで意味がない。だからもう一度、手の中のゴミスクロールに意識を集中する。
高級だ。高級になってくれ。下唇を噛みながら彼は祈った。高級スクロールになってくれ。変化がない。腹の中が焦燥で焦れる。終わるんだ。高級になってくれなきゃ終わるんだ。俺の人生は終わるんだ。華国の南、華南のシャンダル地方に無理やり連れてこられ、華国のマフィアに腕を切られた。
石は血液に反応するんだよ
狐目の女はゲタゲタ笑いながら自分の腕を切りさいた。隣の男は右足首を切り取られた。
さあ、探せ。ここにあるはずだ、エノクだよ。そいつを見つけりゃ一攫千金、大金持ちさ、嘘じゃない。
痛みにのたうつ体は、女の足で蹴落とされた。川の水だ、冷たくて暗い。目の前に落ちてくるのは人の背中、その背中を貫く無数の銃弾。
嫌だ。ミンヒョクの記憶が震えた。あんな思いはもう嫌だ。左胸がじわじわと発光し始める。金を稼がないと、ああなるんだ。水の中に蹴落とされて、ゴミみたいに殺される。嫌だ、嫌だ!嫌だ!
左胸がにわかに発光し始める。その光はミンヒョクの腕を通じて羊皮紙にうつる。羊皮紙自体が微かに発光し始めた。なんとなくだが、ミンヒョクはその一枚を、砂の大地に直置きした。そうして次の一枚を手に取る。これがなんなのかわからない。間違っているかもしれないが、これ以外に頼る方法がないのである。羊皮紙を睨む時間がどれぐらいが適切なのかわからない。これが本当に高級になっているかどうかもわからない。だけど頼む。俺にはもう、後がないんだ!
「おい」
顔を上げたらそこには高級そうな鎧を着込んだ、恐らくは冒険者、ファイターの姿があった。
彼はミンヒョクの前に並んでいるゴミスクロールを指差し、言ったのだ。
「高級スクロールだな。幾らだ?」
思わずしそうになったガッツポーズをどうにか押さえ込んだ。はやる気持ちを抑えながら、市場を調査する。
「駆け出しでね。詳しくないんだ。大体相場はいくらぐらいだ?」
ファイターは口の端を歪めながら、二十五万ゴールドだ、と答えた。信用なんてしていないが、それでいい。そもそも原価は二十ゴールドだ。
「二十万ゴールドでいい。買うかい?」
それを聞いたファイターが目を向いて、即答した。「買った」
並べていた三枚全てを買い込んで、ファイターが笑う。「ありがとよ、いい買い物だ。これからも利用させてもらうぜ」
そしてミンヒョクは日没までの四時間で、二千万ゴールドを売り上げる。日没のマーケット閉鎖時間まで客足は途切れなかった。閉店前には人集りができたし、客は皆ミンヒョクの名前を聞きたがった。求め続けた承認欲求は完璧な形で解消される。ただ、ミンヒョクはまだ知らないのだ。彼の商品を求める人集りの奥、じっとりとした他店舗の嫉妬の眼差しに隠れるよう、ヒジャブで顔を覆った狐目の女が彼を観察していた事を。
* * *
[Timeline 十二月三日 午前十一時。メノークタワーにて]
一ヶ月後、ミンヒョクの資産は十億をこえた。
着る物も食うものも、住む場所も変わった。高級ブランド「デリアン」には手が出なかったが、若年層向けの「ヴァルノ」でレディメイドのスーツを買う。ギラついていて、服の線がシャープだ。それに純金のチェーンネックレスを合わせる。家は誰もが羨むメノークタワー、単身者向けの分譲マンションの一つを五億で購入した。地上六十八階、カリフが見た眺望。そんな文句に誘われての即決だった。そして、自宅を購入した前後からミンヒョクには様々な声が掛かるようになる。投資、コンサル、共同経営の誘い、或いはメノークタワー上層に住む人々との交流を持つためのパーティー。ミンヒョクはその全てに積極的に参加した。今までの自分と決別する意味もそこにはあった。俺は金持ちだ、俺は有能だ。そして上層で出会う人々の誰もが、それを否定しなかった。それもまたミンヒョクの増長に拍車をかけた。言われるままに高級車を倍の値段で購入し、誘われるままメノークタワーの地下にあるカジノで散財した。そしてカジノ周辺にあるバーで、ボトルガールの胸元にチップを埋め込んだ。
その日も、そんなパーティーの帰りだったのだ。投資の儲け話に誘われて、いつものバーで商談をした。相手の態度がどことなく自分を小馬鹿にしていて気に入らなかったので、小難しい話の間は、ずっと隣に座った金髪の美女(ピンクのスパンコールの、まるで下着みたいな服を着ている)の盛り上がった乳房の間だけを見ていた。彼女が笑う様が可愛くて、商談はそっちのけで、彼女を口説く。商談は流れて、証券屋は席を立った。なんだか悪漢をやっつけた気持ちになったミンヒョクは、出されたレモーニのカクテルを一気に煽る。金髪の美女の肩に手を回したけれど、商談が終わった瞬間からその手を振り払われた。
釈然としない心持ちで地下のバーからエレベーターに乗り込む。ポケットに手を突っ込んで、ガニ股で歩いたのは、少し酔っていた所為もあった。広いエレベーターの壁に背中をつけて、68階まで上昇する箱の浮遊感に酔っていると、地上10階でベルが鳴った。黄金の扉が観音開きに開いて、四人の男が乗り込んできた。
まず飛び込んできたのは若い金髪の美少年と派手なサーカス衣装を纏った男だった。二人でメノーク週間の話をしている。そういえば一二月に入ったんだったな、と五月蝿そうにミンヒョクは体をエレベーターの端に寄せた。観光客だろうと思ったのだ。だがその後ろに、赤いマントを羽織った青年が一人。それから、更に奥にいた190は近い金髪の大男がゆっくりとした歩みで箱の中に乗り込んできたのでミンヒョクの居場所が小さくなる。彼らは随分と焦ったい動きだったので、ミンヒョクは苛立つ顔を隠すよう足元を見た。先日買った革靴が照明を受けて黒く輝いていた。
扉が閉まる。相変わらず金髪の美少年とサーカス野郎はメノークの話題で持ちきりだ。男四人での観光とは珍しい。観光だけではない気がする。特に、とミンヒョクは彼を見ずに彼を観察する。
気配がするのだ。これは値踏みの気配だ。底辺から上流に登ったミンヒョクが、全く慣れないのがこの値踏みの視線だった。この大男、何かを見ている。多分、俺を見ている。そうミンヒョクは確信した。視線を流さないのは見ている証拠だ。何人かこういった観察をする人間をミンヒョクは見てきたけれど、どいつもこいつも化け物級の商人だった。着ている物は手が出なかったデリアン。ジャケットを小脇に抱えたベスト姿。燻らすタバコも高級品だ、その全てがしなやかにその大男にハマっていた。少しだけ目立つ無精髭と、実に整った顔の形、高い鼻と、切れ長の目と甘いマスク。肩はシャツの皺を伸ばし盛り上がっている。商人というより、格闘家のような肉体だった。
くそ。
焼け付くような嫉妬を覚えた。その瞬間ベルがなった。だから足早に、その小うるさいエレベーターから逃げ出した。振り返らなかった。彼らが更に上に行くこともわかっていた。かつての自分なら不平不満を言っただろう。けれども必ずひっくり返せる。それをミンヒョクはすでに行動で証明している。
部屋の扉を開けた。と同時に、口を塞がれ、喉笛にナイフが回された。
「動くなよぉ?抵抗したら容赦なく首を掻っ切る。切られる痛さ、知ってるだろお前」
耳元でねばつく女の声がした。開かれた自室は監獄になった。ナイフの冷たさを首に感じながら、背中から室内へ入るよう体を押された。恐怖にもたつく足取りで、ミンヒョクの足が自室玄関へと歩いていく。背後で扉が閉まる音がした。途端に背中を強く押され、バランスを崩したミンヒョクは玄関口にへたり込む。顔を確認しようとして必死で背後を振り向く。そこには先ほど会員制のバーで自分の隣に座って微笑んでいた、あの女性がいた。金色の長い髪、人種は白人。随分と舌足らずの受け答えをする呑気な女だったはずだ。その女が今や狂気の笑みを浮かべ、ナイフを突きつけ、自分を見下げながら笑っている。
「お前の顔を覚えてるよ?ゴミ。ゴミは臭いで選別するんだ、お前からは裏切り者と嘘つきの臭いがする」
何がおかしいのか、女は喉の奥を閉めたまま、ケケケケ、と特徴的な笑いを放った。その笑い声がミンヒョクをあの夜の記憶に誘った。声すらあげれず、抜けた腰をどうにか立ててミンヒョクは走る。走ろうとする。磨かれた大理石の床を革靴が掻く。その腹に、女のヒールのつま先が食い込んだ。胃液が上がる。自慢げに飲んだレモーニのカクテルが戻って口の中を酸っぱくした。口の端から漏れた胃液が頬を濡らす。女はミンヒョクの整えられた前髪を片手で掴み、ミンヒョクの前に顔を近づけた。
「覚えてないか?折角私のご尊顔を晒してやったのに、失礼なゴミだ。そういや名乗ってなかったな」
そういうと女はミンヒョクの前で、顔を左右に素早く振った。女のどこかにくっついていたのだろう、鈴の音が鳴った。直後、ミンヒョクは目を見開いて絶叫した。目の前にいたのはあの女。左右に丸く髪を結い、そこから血のように紅いリボンが垂れ下がっている。金色だった髪は一瞬で黒くなり人種はアジア人になった。両目を細く狐目に吊り上げたそいつは、あの女だ。あの夜、彼女は笑いながら男達のあらゆる場所を切り裂いて、川の中に蹴り落とした。
「摆烂公社の蘭玉だ。ウチとの契約はまだ有効だよ?貧乏人。仕事を途中で放り出したカスには相応の懲罰が必要だ」
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次回更新:【10月25日 21:10】
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