Love bomb C
裏口の扉を開けて力強く店の中に入ってきたのは、顔を腫らして口の端を切ったボロボロのミンヒョクだった。その後ろには用心棒の男が満足そうに微笑んでいる。眉を下げたまま口を開けた親父の前に真っ直ぐに歩いてきたミンヒョクは、手の中のピンクチラシを一枚親父に突き出した。
「・・・これは、何に見える?」
店の親父はミンヒョクとピンクチラシを交互に見返して、信じられないとでも言う様に彼に言った。
「・・・一万ミスカルだ。どこで手に入れた?」
やっぱり、とミンヒョクは切れた口の端を上げて笑う。
「ツケは完済だな?」
ミンヒョクの言葉に面食らった親父は、下げた眉を今度は高く上げた。への字だった口は逆方向に曲げられて、親父の得意技である皮肉になった。
「汚え金じゃあねえんだな?この数分で誰かから金をかっぱらえるなら、それはそれで才能だ」
続けて体を捻った親父が年季の入ったフライパンを手に取って、ミンヒョクへ笑いかける。
「さあ、何を食いたいか言ってくれ」
数ヶ月ぶりの店のカウンター、小さな丸椅子に腰を据え、大好きだった焼き飯とクルゥの卵焼きを注文した。それから酒。先ほどぶん殴られた用心棒への牽制と買収も忘れない。親父にも酒を振る舞った。ひっきりなしに店にやってくる貧乏人たちのために、ミンヒョクは飯を注文して、それを全部ピンクチラシで支払った。
酒盛りが始まる。
ミンヒョクの周りに酔っ払いが集まり笑い合う。泣きながら感謝を述べる人もいる。そんな奴らを前に、いいってことよ、助け合わなきゃな、なんてどこかで聞いたような薄っぺらい訓示を述べる。最高に気持ちが良かった。自分は求められている人間で、愛されている人間である証明の様に感じた。ミンヒョクの膨れ上がった承認欲求は更に質問で突かれ肥大する。
「一体どうやってあの金を稼いだんだ」
みんな知りたいのはそこだ。飯にありつけりゃ万々歳じゃあない。貧乏人の貧乏人たるは楽して金を稼ぎたい、その根性にある。同じ側に立つミンヒョクが、より高い承認を得るために、必死に引っ張り出したのが慣れない横文字だった。
「・・・強いていうなら革新、かな」
含みを持たせて呟いた。含みというのは虚飾の膜だ、中身は見事な伽藍堂。
「俺の名前には、革新の革って字が入ってる。これがイノベーションって意味だ」
見慣れないオリエンタルに、酒場の無教養達が群がった。これはいい文字だ、クールだ。そんな中、いい感じに酔っ払った店の親父が口を出す。
「いいねえ。革新か。クソみてえな世の中をいっそのこと全部破壊してくれよ、坊主。もしかしたらお前にならできるかもしれねえ」
破壊。革新による破壊。それはできるかもしれない、とミンヒョクは愛想笑いのまま考え始める。酒を口につけ少し飲む。喉が焼けるような熱さが腹の中に流れ込んでくる。今度は用心棒が言った。
「金があるならギランで一旗あげるのも悪くはないぜ。あそこは誰でも一万《《ゴールド》》払えば店を出せる。犯罪者だろうが、人殺しだろうが、誰でも、だ」
ギラン。この国がギランと呼ばれているのは、そのフリーマーケットが由来である。オアシスの一部を切り開いて作られた広大な円形の広場は、世界共通券であるゴールドにて、一万払えば誰でも入場でき、なんでも売買ができる。合法から非合法、殺人の依頼から奴隷、禁止薬物まで。だから世界中の商人は一攫千金と夢を求めてギランに来る。カウンターにばら撒いていたピンクチラシをもう一度見た。何度見てもピンクチラシだ。それがミンヒョクに一つの不安を抱かせた。
そしてミンヒョクは一気に酒を飲み干した。腹を焼く熱は何も安酒のものだけではない。飲み干し乾いたグラスの底を木のカウンターに打ち付けて、快い音を出した後、ミンヒョクは立ち上がり皆に告げる。
「今日はありがとう。金を稼いでくるよ、またみんなで酒を飲もう」
店の中がまた騒がしくなる。誰かが肩を叩いてくる。口々に感謝の言葉が述べられる。店の奥の親父がなんだかとてつもなく柔らかい笑顔を向けてくれていて、それが何よりも誇らしかった。店を出る足取りは少し軽い。だが、しっかりとしていた。
店を出る。昼過ぎのこの街はやはりどこかしみったれていて情けなかった。遠くに臨むのはギラン中心部に聳え立つメノークタワー、黄金色の、虚飾の、資本の色をこんな場末まで届けてくる。そしてミンヒョクの足はそのメノークタワーに向かっていった。黄色のブーツが砂を踏むその振動に合わせて彼の脳が回りだす。
価値を書き換えた、と言ってもこれはピンクチラシ。この方法が明日も通用するとは限らない。もし、この瞬間にもピンクチラシがただのゴミだとバレたなら?そうしたら自分は一貫の終わりだ、次は必ず殺される。ならこのピンクチラシを、本物の紙幣に変えればいい。ピンクチラシは賭け事で言うところの種銭、これを踏み台にして本物の金を稼ぐのだ。
本物の金を稼ぐ方法。そいつは多分ギランにある。
ギランで最も安いもの。価値のないゴミとされている何か。それをまずピンクチラシと交換する。そいつには数ゴールドでも値が付いている。そのゴミの価値を書き換える事ができたなら。コストは数ゴールド、利益は無限大。儲けが膨らめばリスク、命を奪われるというリスクは回避できる。金を配ればみんなそうなる。あの親父だって、金を支払った瞬間笑顔になった。ブーツの先が砂を蹴った。
世界を変えてやる。
俺を呪った世界を、バカにした、殴った世界を変えてやる。この能力のような何かが、どうやって俺を祝福したかは知らない。だがそいつは現実としてそこにある。名付けるなら、とミンヒョクは歩みを止めずに宣言した。
「・・・イノベーション・デストラクション《革新的破壊》・・・」
言葉と視線、ミンヒョクから発される全ての衝動は今、メノークタワーに向けられた。そのお綺麗なツラ、必ずぶっ飛ばしてやる。
『イノベーション・デストラクション』をお読みいただき、ありがとうございます。
本日は第1話~第3話を一挙公開しています。
ここから先は【隔日21:10】更新予定です。
貧困から這い上がろうとするミンヒョクと、彼を取り巻くギランの人間たちの行く末を、最後まで見届けていただければ幸いです。
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次回、第4話【10月21日 21:10】更新予定です。




