第四章 蝦夷共和国の空の下で
五稜郭の旗
蝦夷地に上陸した日、空は澄み渡り、冷たい風が頬を刺した。五稜郭の星形の城郭が、雪の中に静かに浮かび上がっている。
恒太郎が息を呑んだ。
「とと……これが五稜郭ですか」
「ああ。異国の築城術を取り入れた、日本で唯一の城だ」
「まるで……海に浮かぶ船のようです」
三郎助は微笑んだ。
「海を守るために造られた城だからな」
英次郎が駆け寄ってきた。
「とと!榎本様が演説を始めます!」
五稜郭の中心で、榎本武揚が声を張り上げた。
「諸君!我らはここに蝦夷共和国を建てる!幕府は倒れた。だが、我らの義は倒れていない!」
兵たちがどよめいた。恒太郎が小声で言う。
「とと……本当に国を作るのですか」
「国というより……志を守る場所だろうな」
榎本は続けた。
「中島三郎助殿!」
突然名を呼ばれ、三郎助は前に進み出た。
「あなたには、箱館奉行並・砲兵頭並を任せたい。蝦夷共和国の海と砲台を、あなたに託す!」
三郎助は深く頭を下げた。
「身に余る大役ですが……お受けいたします」
榎本は満足げに頷いた。
「あなたの義は、我らの柱となる」
その言葉に、三郎助の胸は静かに熱くなった。
千代ヶ岡陣屋の覚悟
数日後、三郎助は千代ヶ岡陣屋の視察に向かった。雪を踏みしめながら歩くと、恒太郎と英次郎が後ろからついてくる。
「とと、ここが陣屋なのですか」
「そうだ。五稜郭と市街地の中間にある前線基地だ」
「前線……」
「つまり、最も危険な場所だ」
英次郎が不安げに言った。
「とと……怖くはないのですか」
「怖いさ」
三郎助はあっさりと言った。
「だが、怖いからこそ、ここを守らねばならぬ」
陣屋の兵たちが三郎助を迎えた。
「中島様、ようこそ!」
「砲台の整備は進んでおります!」
「兵の士気も高うございます!」
三郎助は一人ひとりに声をかけた。
「寒い中、ご苦労。海風は厳しいが、砲はよく響く。ここは、我らの“盾”となる場所だ」
恒太郎が小声で言った。
「とと……まるで、ここが自分の家のように話しますね」
「家ではない。だが……死に場所にはなるかもしれぬ」
英次郎が息を呑んだ。
「とと……そんなことを言わないでください」
「英次郎。武士はな、死に場所を選ぶものだ。私は、この陣屋を選んだ」
恒太郎が震える声で言った。
「とと……私たちも、ここで戦うのですか」
「戦うかどうかは、お前たち次第だ。だが、私はここで義を尽くす」
その言葉は、静かだが揺るぎなかった。
妻への最期の手紙
明治二年四月。新政府軍の総攻撃が迫る中、三郎助は五稜郭の一室で筆を取った。
「登喜……」
紙に向かうと、胸の奥が締めつけられた。
そこへ恒太郎が入ってきた。
「とと、何を書いているのですか」
「……母上への手紙だ」
「手紙……?」
「最期になるかもしれぬ」
恒太郎は言葉を失った。
「とと……そんな覚悟で……」
「恒太郎。私は、逃げるわけにはいかぬ。幕府に育てられ、海に生かされた。その恩に報いるのは、今しかない」
英次郎も入ってきた。
「とと……母上に、何と書くのですか」
「『子らを頼む』と。そして……『私の死を悲しみすぎるな』とな」
英次郎は涙をこらえながら言った。
「とと……死なないでください」
「死ぬために戦うのではない。義を貫くために戦うのだ」
三郎助は筆を置き、二人を見つめた。
「恒太郎、英次郎。そなたたちは、私の誇りだ。だが、無理に死ぬ必要はない。生きて義を貫く道もある」
恒太郎は首を振った。
「ととが戦うなら、私も戦います」
英次郎も続いた。
「私もです。ととを一人で死なせません」
三郎助は目を閉じた。
「……そうか。ならば、共に行こう」
その声は、父としての愛と、武士としての覚悟が混じり合った、深い響きを持っていた。




