↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/6

第五章 五月十六日、血を吐く思い

夜明け前の包囲


明治二年五月十六日、午前三時。  

千代ヶ岡陣屋の空はまだ深い闇に沈んでいた。だが、遠くから響く足音と鉄のきしむ音が、夜の静寂をじわりと侵していく。

「とと……音がします」  

英次郎が震える声で言った。

三郎助は耳を澄ませた。  

「来たな。新政府軍だ」  

「三方から……?」  

「北、西、南。包囲された」

恒太郎が刀の柄を握りしめた。  

「とと、どうしますか」  

「どうもしない。戦うだけだ」

その言葉は、まるで潮が満ちるように静かで、揺るぎなかった。

陣屋の兵が駆け寄ってきた。  

「中島様!敵が土塁に迫っています!」  

「砲を準備せよ。焦るな、狙いを定めろ」  

「はっ!」

英次郎が不安げに言う。  

「とと……怖いです」  

三郎助は息子の肩に手を置いた。  

「怖くてよい。怖さを知る者の方が、強くなれる」

恒太郎が弟の肩を抱いた。  

「英次郎、俺たちはととと一緒だ。大丈夫だ」  

「兄上……」

三郎助は二人を見つめ、静かに言った。  

「恒太郎、英次郎。今日が、我らの“義”の最終日だ」


父の最期


砲声が闇を裂いた。陣屋の砲台から放たれた弾が、敵陣に火花を散らす。

「よし、もう一発だ!」  

三郎助は砲兵たちに指示を飛ばした。

恒太郎が叫ぶ。  

「とと、敵が土塁を越えます!」  

「わかっている。砲撃はここまでだ。刀を取れ」

三郎助は刀を抜いた。その刃は、月明かりを受けて静かに光った。

英次郎が息を呑む。  

「とと……本当に、ここで戦うのですか」  

「ここが我らの死に場所だ」

恒太郎が叫んだ。  

「とと!死ぬために戦うのではないと言ったではありませんか!」  

「そうだ。義を貫くために戦うのだ。だが――義を貫けば、死は避けられぬこともある」

敵兵が雪崩れ込んできた。三郎助は一歩前に出た。

「来い!」

刀が閃き、敵兵が倒れる。その動きは、若い頃と変わらぬ鋭さだった。

だが――銃声が響いた。

「……っ!」

三郎助の身体が大きく揺れた。胸に赤い花が咲いたように血が広がる。

「とと!!」

恒太郎と英次郎が駆け寄る。

三郎助は膝をつき、息を荒げながら言った。  

「恒太郎……英次郎……」  

「とと!しっかり!」  

「とと、死なないでください!」

三郎助は二人の手を握った。  

「よいか……義は……生きて守るものだ。だが……時に……死をもって示すこともある」

恒太郎は涙をこらえきれず叫んだ。  

「とと!まだ戦えます!立ってください!」  

「もう……よい。お前たちが……いる。それで……十分だ」

英次郎が震える声で言った。  

「とと……私たち、どうすれば……」  

「好きに……生きよ。だが……義だけは……捨てるな」

その言葉を最後に、三郎助は静かに目を閉じた。

「とと……」  

「とと……!」

親子三人の声が、砲煙の中に消えていった。


子らの殉死


恒太郎は震える手で父の刀を拾った。  

「英次郎……行くぞ」  

英次郎は涙を拭い、頷いた。  

「兄上……ととを無駄にしないために」

恒太郎は叫んだ。  

「中島恒太郎、参る!!」  

英次郎も続いた。  

「中島英次郎、参る!!」

二人は敵陣へ駆け込んだ。刀が閃き、敵兵が倒れる。だが、数は圧倒的だった。

恒太郎が叫ぶ。  

「英次郎、下がるな!」  

「兄上こそ!」

銃声が響き、英次郎が倒れた。  

「英次郎!!」  

「兄上……ととに……会えるでしょうか」  

「会える。すぐに行く」

恒太郎は最後の力で敵に斬り込んだ。銃弾が彼の胸を貫いた。

「とと……英次郎……私は……誇りです……」

その言葉を残し、恒太郎も倒れた。

こうして、千代ヶ岡陣屋はわずか一時間で壊滅した。だが、その一時間は、義を貫いた父子の一生分の輝きに満ちていた。

三郎助の辞世――  

ほととぎす われも血を吐く 思い哉  

その句の通り、彼らは血を吐く思いで義を貫き、同じ場所で、同じ空の下で散っていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。