4
しかし案の定、老御者は冷たかった。
「薪だぁ? はぁ、そんなもんで俺たちのご機嫌を取ろうとか、安く見られたもんだね」
もちろん、礼のひとこともない。それでも薪は使うつもりらしく、老御者は枯れ枝の山の前に座り込んだ。
「あーあー、世間知らずだねえ、芯がこんな青い木なんか燃えないよ。こっちは細すぎだ。まあ、炊き始めのホダギには使えるだろうが、すぐ燃え尽きちまうだろうに、全く無駄な仕事をしたもんだな」
流石の真由もこれにはムカついた。いや、薪の大部分を集めたのはセバスチャンなのだが……だからこそ自分自身が貶されるよりもムカつく。
「ちょっと、おじさんさぁ!」
文句を言ってやろうと一歩を踏み出した真由の前に、若い方の御者が素早く立ちはだかった。
「あ、あの、すみません、ありがとうございます。薪は大事に使わせていただきますね」
老御者はその様子を横目でチラリと見て、「ふん」と鼻を鳴らした。しかしそのあとは、これ以上何かを言うつもりもないようで、黙々と薪をえり分け続ける。
「うー、クソおやじ!」
真由が地団駄を踏むと、若い御者がこれを宥める。
「本当にすみません、おやじさんに代わって、俺が謝りますんで、ね、おさめてください」
若御者は二十歳に届かないような年頃である。顔立ちもあどけなさを残して可愛らしい。
そんな少年に必死な声音で謝られては、真由もこれ以上の怒りなどわかない。
「もういいよ、別にあんたをいじめたいわけじゃないし」
「わぁ、ありがとうございます!」
「あんた……自分の可愛さの使い方を心得ているわね」
「え、なんです?」
「なんでもない、もういいから」
真由は若御者を追い払おうとしたけれど、彼は人懐っこく、目を輝かせてついてくる。どうやらこの若御者は、老御者とは違ってユーリウスに興味津々らしい。
「ねえねえ、今からユーリウス様のところへ行くんですか?」
「そうだけど」
「あの……ユーリウス様はお腹の中に宝石を隠しているって本当ですか?」
「なにそれ……」
あまりにメルヘンな話題に、真由は笑おうかとも思った。しかし、ここが自分にとってはファンタジーの世界であることを思い出して真顔になる。
思えば魔法が使える世界なのだし、自分の世界の常識では通じないことがあるのかもーーそう考えた真由は、もっと詳しいことを聞こうと口を開きかけた。ところがその時、薪をえり分け終わった老御者が厳しい声で若御者を叱りつけたのだ。
「いつまでサボってんだ、仕事しろ、仕事!」
若御者はピョンと飛び上がって親方に駆け寄ろうとする。しかしふっと足を止めて、真由に確かめるのを忘れなかった。
「本当に宝石があるのかどうか、聞いてください。もし本当なら、僕も見てみたい!」
老御者は重ねて怒鳴る。
「なにグズグズしてんだ、ウスノロ!」
「はい、すみません!」
若御者は真由に向かってペコリと頭を下げてから、走って行ってしまった。
その後ろ姿を見送りながら、真由は思う。
「なるほどね」
ユーリウスは必ずしも屋敷の全ての人間から嫌われているわけではないようだ。あの若御者のような歳若い世代は、むしろ屋敷の奥に隠れ暮らす病弱なぼっちゃまと顔を合わせる機会などなく、噂や想像の中で『ぼっちゃま』を思い描いては好奇心を膨らませているのかもしれない。
対して、あの老御者のように長年屋敷にいるものは、きっと病弱なぼっちゃまを嫌っているに違いない。それはユーリウスの病弱さに心を痛める家族を間近で見守ってきた故であろうし、決して彼らに人の情がないというわけではないはずだ。
それでも古株の使用人たちは、若い世代の使用人がユーリウスに近づくことを快く思わないだろう。時には仕事にかこつけて、ときには叱責して、若者たちをユーリウスから引き離してきたーーちょうど先ほど、老御者が若御者にしたように。
「そうね、やっぱりあのおっさんとは仲良くなれそうにないかも」
でも、ユーリウスを好意的に見ているあの若御者なら……。
とりあえず彼が気にしていた『ユーリウスが腹の中に隠している宝石』の話を聞いてやろうと、真由は馬車に戻った。
ユーリウスは、相変わらず馬車の中で横になっていた。その傍らではセバスチャンが小さなナイフを握ってリンゴをむいている。
ユーリウスはまゆのことを心配していたのだろうか、少し眉根を曇らせて聞いた。
「どうでした、仲良くなれそうですか?」
真由は、わざとみたいにとぼけた返事を返す。
「誰と? あのおっさんと?」
「『おっさん』なんて言ってはいけませんよ、彼は代々うちに仕えてきた御者頭です」
「それでも、おっさんはおっさんだもん。私、あいつ嫌い!」
「困りましたねえ……では、ネロリ……若い方の御者の子はどうです? 彼とは仲良くできそうですか?」
「あー、あの子、ネロリっていうんだ」
「御者頭には子供ができなかった、だから自分の技術の全てを教え込み、後継ぎにするために貰った養子です。だから、似ていないでしょう?」
「そこまでしっかり見ていなかったけど……あの子、ユーリウスさんがお腹の中に隠している宝石っていうのを気にしていたよ」
ユーリウスも、そしてセバスチャンもキョトンとした顔をする。
「宝石?」
「その、ネロリ君が言ってたのよ、ユーリウスさんはお腹の中に宝石を隠しているって」
「いやいや、普通、生きている人間のお腹の中に宝石はないでしょう……それとも真由さんの世界では、人間のお腹は宝石を隠す場所なんですか?」
「そういうわけじゃないけど……」
その問答を見ていたセバスチャンが「あ」と声を上げる。
「宝石ではなく、『あの石』のことではないでしょうか」
「あー、『あの石』か」
真由が身を乗り出す。
「なあに、『あの石』って」
2人が声を揃えて言った。
「胆石です」
「ですね」
真由がぽかーんと口を開く。
「胆石……」
「はい、私は数年前に大きな胆石を出しまして、そのことに尾鰭はひれがついて使用人たちの間に広まったのでしょう」
「ていうか、こっちの世界にも胆石ってあるのね」
「それはありますよ」
「でも、それ……あの御者の子に言うのはちょっと……」
「そうですね、彼の夢を壊してしまうのも忍びないですし、『秘密を教えてもらえなかった』ってことにしておいてください」
「なるほど、夢は夢のままにしておけば、誰も傷つかないってことね」
「そういうことです」
「ていうか、ユーリウスさんって、いい上司になれそうなタイプだよね、部下に対する気遣いはできるし、何か間違いがあっても馬鹿にして笑ったりしないし」
セバスチャンが深く頷いて同意する。
「そうなんです、ユーリウス様は人の上に立つ者としての気遣いのできるお方……屋敷の使用人全ての顔と名前を覚え、その職務に支障のないようにと自分の行動を律することのできる……いわゆる人の顔色を伺うことのできる良い子なのです!」
「つまり、本当は有能なのに昼行灯のフリをして陰から部下たちを気遣う上司!」
「そう! でもそういうのって他人からは理解されにくいじゃないですかー、だから大抵の使用人はユーリウス様のことを『他人のご機嫌取りばかりしている卑屈な坊ちゃん』として扱うのです」
「いる、そういうタイプのキャラ、よくいる! 人に馬鹿にされて無能だと思われてるけどうちに秘めたポテンシャルが高くて、有事の際にはめっちゃテキパキ動くタイプ!」
「そう、今まではその有能さを発揮するチャンスがなかったってだけで、ユーリウス様はやればできる子なんです!」
「わーかーるー」
突然の褒め合戦に、ユーリウスは目を白黒させるばかりだ。
「いや、私はそんな凄い人では……」
目を白黒白黒……と、その白黒させている目の横にポンと花が咲いた。花咲病の発作だ。
「ユーリウス様!」
駆け寄ったセバスチャンが小さな魔法の火で花を焼く。
「ユーリウスさん!」
少し遅れて真由が回復魔法を打ち込む。
「かはっ!」
大きく息を吸い込んで、ユーリウスが回復する。
「誰か顔の見えない人が手招きしている夢を見ていたよ……」
ふうっと小さく微笑んで、ユーリウスは自分の手元に目を落とした。
「あまり恥ずかしいことを言わないでおくれ、本当の私はこうして、君たちが手伝ってくれなければ自分の命さえとどめておけないほど、そんな情けない人間なんだ」
ただでさえ細いなで肩が、さらに疲れ切ったように落ちているのが寂しく見える。青白い顔は日の光に溶けてしまいそうなほど儚くて、そこに乱れた前髪が流れ落ちているのがまた、美しい。
「だから私は、私を生かしてくれる者たちにいつも感謝を、そう心がけているだけであって、君たちが言っているような気遣いができる人間ではないのだよ」
声音は静かで、息苦しいのか語尾にはふうっとため息が混ざる。
まさに絵に描いたような病弱っぷりであり、それに坊ちゃん育ちであるという気品がミックスされているのだから、悩ましげに顔を伏せた姿は聖人君子を思わせる。
真由は思わず跪き、ユーリウスを拝んだ。
「ああ……尊い……」
「だから真由さん、そういうのはやめてください、私は拝まれるような人物ではないのですから」
「いいえ、違います、いや、違わないけど、これ、ユーリウスさんが凄い大人物だからとか、尊敬しているからとかではなくて……なんていうか絵面が尊い」
「……はい?」
「あ、えっと、こういうの、なんていうんですか……ねえ、セバスチャンさん?」
返しに困った真由は、ついに会話の尻をセバスチャンに投げた。もちろん急に話題を振られたセバスチャンはほんの一瞬だけ戸惑いの表情を見せたが、真由の言語センスに難ありと見たのだろうか、すぐに会話の続きを引き受けてくれた。
「ユーリウスさま、マユさまがおっしゃりたいのはおそらく……自分が完璧ではないことに悩むそのお姿が尊いと……そういうことかと思われます」
「それって尊いのかい?」
「はい、尊いです、とても……」
「なるほど、わかった、つまり真由さんは気配りのできる優秀な私でなく、そんな大人物だと評価されて戸惑うありのままの私を評価してくれたということだね」
「さようでございます」
さすがは弁の立つ男、セバスチャン! 真由は同意を示すために大きく頷くだけでほとんど何もしていないというのに、『尊い』という概念を見事ユーリウスに理解させたようだ。
ユーリウスははにかんだ笑いを浮かべて言った。
「別に、尊くはないと思うけど……病弱だし、胆石持ちだし、喘息持ちだし、水虫持ちだし……」
「あ、水虫は絵面的に尊くはないかと」
「そうかい?」
「ともかく、私もマユさまも、あなたが神の如き人物だからお仕えしているのではなく、むしろ虚弱で人の手助けを必要とするほど弱くて、だけどとても美しい人間性をお持ちであるからこそ、こうして心を尽くしてお仕えさせていただいているのです」
真由がガバッと立ち上がる。
「そうそう、だからあんまり気にしないで。なにしろ『尊い』なんて、私たちの世界では『はぁ……しゅき♡』程度のノリで使われる言葉なんだから」
ユーリウスがけげんそうな顔をした。
「好き……?」
「あ、違う違う、恋愛的な好きじゃなくて、可愛いから好きーとか、美味しいから好きーみたいなあれよ!」
「そうですか、少し……残念です」
「ん?」
何か気になる言葉が聞こえたような気がして、真由はユーリウスの横顔を見た。しかし彼は、視線をさりげなく宙に向けて、どこか遠くを見ている。きっと空耳だったに違いないーー真由はそう思った。