5
そもそも、真由は男にモテない――というか二次元の推しに愛情と財力のほとんどを注いでしまっているのだから、着るものは実用一辺倒の量販店、化粧っ気もほとんどなく、ましてや『オトコのいる飲み会』などには参加せず帰宅途中に立ち寄る場所は都内某所のアニ○イトという生活を送っていたのだから、ともかく恋愛というものに縁がなかった。
だから、よもや超絶美形の、しかも『推し』が自分に好意を寄せるはずがないと本気で思い込んだわけだ。
しかしユーリウスのほうは、どうやら軽い気持ちでコナをかけたわけではないようで……夕食時、彼は真由の隣に座った。
夕食はたき火を囲んで、メニューはネロリが大鍋で煮てくれた野菜のスープと乾パンである。
老御者は自分のぶんをさらに取り分けると、さっさとテントの中に引っ込んでしまった。ネロリはこの時がチャンスとばかりにユーリウスの隣につく……まさかこの主がいまから真由を口説こうとしているとは夢にも思わずに。
「ユーリウス様、ユーリウス様、こちら、野菜のスープです!」
無邪気な笑顔で椀を差し出す彼には悪意の欠片もない。ただ、空気が読めていないだけだ。
「ねえ、ユーリウス様っていつもお部屋にこもっておいでじゃないですか、で、時間がいっぱいあるから、人情本なんかを書いているって使用人たちの間でうわさになってるんですよ、これ、本当なんですか?」
ユーリウスにとってはどうでもいい話題だ。しかし人のいい彼は、ネロリを冷たくあしらうことができなかった。
「ああ、うん、そうだね、何しろ時間だけはたっぷりあるから、ちょっとした物語を書いているよ」
「や、やっぱり本当なんですね!」
「もういいかな、私は少し、真由さんと話がしたいのだが……」
ユーリウスは、ちらりと真由の横顔を盗み見た。
真由は年の割に童顔であり、ほとんど化粧っ気もない。そのかわりに健康的で、頬は血色よくほんのりとバラ色に色づいている。
何よりも美しいのは屈託のない笑顔だ。彼女が笑うとあたりが明るくなる。曇っていた空がぱあっと晴れて日が差してくるときのように、心の底がじんわりとあったかくなってくる。
思えばユーリウスは、人からこんな温かい笑顔を向けられたことがない。たとえば自分を生んだ母親でさえ、いつだって、少し困ったような嘘くさい笑顔しか見せてくれなかった。
そんなユーリウスに向かってなんの屈託も悪意もない無邪気な笑顔を注ぐように浴びせてくれる女神のような存在――それが真由だ。そりゃあ好きにもなってしまうというもの。
ユーリウスは少し控えめに顔を伏せて、その名を呼んだ。
「あの……真由さん……」
ところが、その声が真由に届くよりも早く、ネロリが視界の中に割り込んでくる。
「ねえねえ、他にはどんなことをなさっているんですか?」
この少年が無遠慮なのは純粋な好奇心ゆえであり、長く屋敷の奥に篭っていた主人への愛情でもある。それがわかっているのだから、ユーリウスも強く叱れない。
「ネロリ、少しだけ静かにしてもらえるかな?」
「はい!」
元気よく返事をして、ユーリウスの前にちょこんと座り込む。ちょうどユーリウスから真由へ向けた視線を遮るように。
「んー、ネロリ、そうじゃないんだよ」
「何がです?」
「もうちょっとだけ、こっちへ来てくれるかな」
「こっちですか?」
「あー、そっちじゃなくて、こっちだよ」
「えーと?」
子犬のようにキョトンとした顔で見上げられて、ユーリウスはついに降参した。
「わかったよ、ネロリ、何が聞きたいんだい?」
ユーリウスは真っ直ぐにネロリを見た。つまり、麗しの美青年が足元にちょこんと座る子犬のような少年を見つめるという、この世の至宝みたいな光景の出来上がりである。
真由がブホッとむせた。
「な、な、な、な、なにあれ、大変な目の保養なんですけど⁈」
セバスチャンはしれっとした顔でスープをすすっている。
「ユーリウス様は、どのような時でも絵になるお方ですからね」
「そうじゃなくて、いかにも儚げな月を思わせる美青年と、太陽のような無垢で無邪気な美少年とって、これ、完全な対比が成立してて美しすぎない?」
「えーと、ごめんなさい、マユさま、その感覚はちょっとわかりかねます」
「え、わかんない?」
「はい、わかりませんね」
当たり前である。セバスチャンには『腐心』というものがない。つまりいとしの主人に恋人ができるとしたら、それは普通に女性であって欲しいという……俗に言う『ノマカプ』が好きなのだ。
だからセバスチャンは迷うことなく、ズバリと真由に言った。
「私めは、ユーリウス様の隣にいるのがあなたでしたら、さぞかし心和む光景であろうと思いますが」
「え、私? ないない、それは絶対にないから」
「なぜです? あなたはユーリウス様が『推し』なのでしょう? でしたらご自分が『推し』の恋のお相手に、など思い描いたりはなさらぬのですか?」
「んー、私、夢女子じゃないのよね」
「夢……? 異世界の言葉はとても難しいですね」
「ていうか、推しには幸せであって欲しいのよ、私は。そしたら私みたいな地味でなんの取り柄もない女より、キラキラしていて、優秀で、そして誰よりも彼を理解している美形男子の方が相手にふさわしいと思うの、これ当たり前でしょう?」
「奇遇ですね、私も推しには幸せであって欲しいと願っています。それならば推し自身が愛を捧げるお相手と、幸せに添い遂げて欲しいと思う、これはご理解いただけますか?」
「え、めっちゃ同意。推しが推しの望む相手とハピエンとか、最高じゃない」
「では!」
「いや、だから、その相手が私とかありえないでしょ」
「なぜです!」
「絵面的に美しくないから」
キッパリと言い放った後で、真由はさらに付け加えた。
「私はね、推しの隣には彼の良き理解者である美青年こそが最高に美しい絵面だと思ってるの」
セバスチャンも負けてはいない。
「私は推しの隣には推しの望む可憐な女性が寄り添ってこそ、絵面的にも美しいと思うのですが」
「なるほど、私たちは同じ推しを愛し、その推しに幸せになって欲しいと願う気持ちも同じ……しかし、その思い描く幸せのかたちが大きく違うようね」
「そうですね、あなたは推しのパートナーとして男性を望んでいる。しかし私はユーリウス様には女性のパートナーを得て普通の幸せを手に入れて欲しいと願っている」
「……解釈違いね」
「なんですか、その解釈違いって」
「つまり、推しに対する愛情の方向性が違うってことね。今から私とあなたは敵同士ってことよ」
「……つまり、『よろしい、ならば戦争だ』ですね」
「ちょ、あんた、わからないのにそのセリフは出てこないでしょう、うちの世界のネット事情とかに詳しいんじゃない?」
「はて、なんのことやら?」
「ええっ、とぼけるの?」
セバスチャンがコホンと咳払いをした。
「……ともかく、私が望むのはユーリウス様の幸せだけです。そのためならあなたと争いになるも止む無しですね」
「そんなの、私だって! 推しが不幸になるようなことだけは絶対に避けたいもん、もしもあなたのやっていることがユーリウスさんを不幸にすると感じたら、全力で止めに行くからね!」
「それでこそ。あなたになら、安心してユーリウス様をお任せできそうだ」
「だから、任されちゃ困るんだってば! あくまでも推し、推しなの!」
「はいはい」
たわいもなくはしゃぎながら夜は更けてゆく。やがて焚き火の火勢もトロトロと下火になった頃、一同は眠るためにテントへと潜り込んだ。
真由は唯一の女性ということで1人用の小さなテント、しかも入り口には簡単な鍵がかけられるようになっている。
夜中、もしも回復魔法が必要になった時のためにユーリウスとセバスチャンが眠るテントはすぐ隣に立てられており、これは逆に夜中に何か怖いことがあればすぐ呼べる場所にユーリウスとセバスチャンが、いるということでもある。
真由は安心して、目を閉じるとすぐに深い眠りに落ちた。夢も見ないほど深い、深い眠りであった。




