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『大農村』を名乗るだけあって、メラステアの村はヤトゥーシュカとは比べ物にならないほど広大な農地が広がっていた。ここは山から流れた大きな川が流れ込む平野であるがゆえ、土地が肥えているのだ。
「すごい、空気まで麦のにおいがする……ような気がしますね」
馬車から降りたユーリウスが大きく息を吸った。
続いて降りてきたレスは、魔法で角を消して、すっかり人間の子供のような見た目をしている。しかし口までは子供に擬態しきれなかったようで……
「麦の匂いなんてしませんよ。むしろ……肥しの匂いですかね、これは」
さらにその後ろから下りてきたセバスチャンが、レスを叱る。
「詩的表現というやつですよ、ユーリウス様の素晴らしい詩心がわからないとは、まだまだお子様ですね」
一番最後は真由が。彼女がステップに足をかけたその瞬間、ユーリウスは馬車に駆け寄って真由に片手を差し出した。
「どうぞ、つかまってください」
「え、一人で下りられるよ」
「いいえ、こういう時に女性にさりげなく手を貸すことができる、これも紳士のたしなみなのです。どうか私を紳士だと認めるのなら、お手を」
「ええと……じゃあ、お願いしちゃおうかな……」
真由は戸惑いながら指先をユーリウスにさしむける。まるで壊れやすいものを触ろうとしているみたいに、静かに、ゆっくりと。
ところがユーリウスは、この手が自分に触れるのを待てなかった。自ら手を伸ばして、真由の細い指をつかむ。
真由の方はこれに驚いて「ウヒャー!」と叫んで後ろにのけぞった。
「あ、危ない!」
ユーリウスは軽く馬車に駆け上がり、真由の体を抱き寄せる。つまり真由はいきなり鼻が触れ合いそうな距離でユーリウスに抱きしめられたわけで……
「ウヒャー!」
「ねえ、真由さん、ずっと聞きたかったんですが、その『ウヒャー!』って何なんです?」
「別に、深い意味はないわよ」
「そうですか、それにしては、私が触れるタイミングでウヒャっているような……」
「それ、この間、セバスチャンさんにも聞かれたけど……深い意味はないのよ、びっくりしただけなの」
「そうなんですか? もしや私に触れられるのが不快で悲鳴を上げているなんてことは……」
「ないない、ないから、絶対に!」
真由は出来るだけ優しいしぐさでユーリウスの腕をほどき、彼の体を押し戻した。
「やっぱり、一人で下りるから大丈夫。だって、この程度の高さならピョンって飛び降りることだってできるし」
「それは危ないですよ、やっぱり私が手を貸しますから」
「ううん、本当に大丈夫だから」
「そうですか……」
二人にイチャイチャを見せつけられて、レスが不機嫌な声をあげる。
「ねえ、早くしてくださいよ、これから、このだだっ広い村で目撃情報の聞き込みをするんだから、時間が惜しいんですよ」
真由が慌てて馬車から飛び降りる。
「ご、ごめんなさい、行きましょうか」
そのまま真由とレスが並んで歩きだす、その後ろについて歩きながら、ユーリウスがセバスチャンに囁いた。
「セバス、相談があるのですが」
「なんです?」
「真由さんは、なぜ私に対して『ウヒャー!』するのでしょうか、もしかして私、嫌われているんですかね」
セバスチャンは驚いてユーリウスの顔を見た。
「いったい、どうしてそういう解釈になったんです⁉」
この主人は少し恋愛系に疎いところがあるとは思っていたが、まさかここまでとは。
「あれは誰がどう見たって、ユーリウス様のことをバリバリに意識しているからの『ウヒャー!』でしょうよ!」
「そんなわけはないと思いますよ、だって、私なんか虚弱だし、恋愛対象じゃないだろうし……」
「なんでそんなネガティブなことになってるんですか!」
「別にネガティブになんかなってませんよ、今は恋愛対象外だとしても、これから男として認めてもらえればチャンスはあるかなと思っていますから」
「それで、馬車から降りるのに手を貸したんですか」
「失敗しちゃいましたけどね」
「いや、あれは……」
セバスチャンは、ユーリウスが触れた瞬間の真由の顔を思い出す。両頬は完全に上気して、ユーリウスの視線を避けるように顔を伏せたアレは……どう見ても『恋する乙女』の所作だったはず。
だからセバスチャンは、少し煽ってみることにした。
「……そうですね、いい作戦だと思いますよ。恋愛は押したもの勝ちみたいなところがありますからね」
「そうなんですか?」
「はい、恋愛において特に大事なのはアピールです。愛しているということ、大事にしたいと思っていること、その気持ちを態度で、あるいは言葉でストレートに伝えるのは、とても良い作戦です」
「でも、あまりしつこいと嫌われてしまいませんか?」
「そんなこと、嫌われてからまた考えればいいんです。まずは自分の気持ちを知ってもらうこと、これに勝る恋愛の王道などありはしませんよ」
素直なユーリウスは、この言葉に何の疑いも持たずキラキラした笑顔で頷いた。
「わかりました、アピールですね!」
「そうです、アピールです、別名ラブモーションです、ガンガン行くのです!」
「では、さっそく!」
レスと真由の間に割り込むべく駆けだしたユーリウスの背中を見送って、セバスチャンは深いため息をつく。
「これがいい方向に転がるといいのですが……」
ネロリは、憂いをたっぷり含んだその言葉を聞きつけて、セバスチャンの側に駆け寄った。
「セバスさん、何が転がるんですか?」
「なんですか、その『セバスさん』って……」
「ごまかさないで、何を転がすのかおしえてくださいよぅ」
「子供には関係ないことですよ」
「む~、怪しい……」
「何が怪しいんです?」
「あのさ、セバスさんって、僕らに何か内緒にしていますよね?」
「それは人間だれでも、誰にも言えない秘密の一つや二つはあるものですからね」
「ええっとね、そういうのじゃないんです、すごく大事なことをわざと隠しているっていうのかな……難しいんだけど……」
子供であるネロリの言語能力ではこれが限界であった。だがセバスチャンはそんなネロリを笑ったりせず、真剣な顔で言った。
「本当は、あなたの言いたいことはわかっていますよ、ネロリ、だけど今は私の秘密を話すときではない……もう少しだけ時間をくれませんか?」
「いいけど、それってユーリウス様が危なくなったりしない?」
「ああ、優しい子ですね、ネロリ、ユーリウス様のことを心配しているんですね、でも、これだけは約束します、私はユーリウス様を裏切るための嘘なんか絶対につきません、今はこの言葉しか信じてもらえるものがないけれど、『絶対に』です」
「う、うん、わかった。でも、いつかその秘密、僕も教えてもらえる?」
「そうですね、その時が来たら……ネロリ、あなたにもちゃんと話をします。だから今はまだ……」
「うん、わかったよ!」
ネロリはあっけらかんと答えた。
「僕、セバスさんは悪い人じゃないって知ってるから、信じる。だけどユーリウス様にひどいことをしたりしたら、僕が許さないからね!」
「これはこれは……頼もしいですね」
「ああっ、僕が子供だから、大したことできないってナメてるでしょ!」
「ナメてなんかいませんよ、どんなに子供だって、あなたは大事な旅の仲間だ、だから……」
その時、前方から真由の「ウヒャー!」が聞こえて、二人の会話をさえぎった。
「やれやれ……ネロリ、私の秘密を一つだけ、ここで話してあげましょう、私はユーリウス様とマユさまがお互いに思いを打ち明けて恋人同士になる日が早く来ればいいと願っている……その手伝いを頼んでも?」
ネロリがぱぁっと顔を輝かせた。
「ユーリウス様とマユさまを恋人同士に? 知ってる、そういうの恋のキューピットっていうんだよね!」
「おませさんですねえ、どこでそんな言葉を覚えたんです?」
「えへへ、ないしょ。ね、それで僕、何を手伝えばいいの?」
「そうですね……じゃあまずは、『二人っきり大作戦』といきましょうか」
「わかった! 任せておいて!」
ネロリが真由を追いかけて走り出す……こうして、真由をウヒャらせるための作戦が始まったのだ。




