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ついに真由がブチ切れた。
「いい加減にしてよ! そんなに煽られたらやりにくいでしょ!」
セバスチャンはしれっとしたものだ。
「でも、この場でユーリウス様を救うにはキスしかないのですが?」
「別にしないって言ってるわけじゃないでしょ! するわよ、すればいいんでしょ!」
「じゃあ、お願いします」
セバスチャンに肩を押された真由は、改めてまじまじと見るユーリウスの美貌に躊躇した。
すでに呼吸のとまったユーリウスは、その固い表情も相まって大理石で作られた彫像のように生々しい美しさがある。うっすらと閉じた目の周りに生えたまつ毛なんて爪楊枝が乗せられそうなほど長くて、しかも一本一本がくっきりと太い。
(うそでしょ、この美しい顔に私の地味顔を近づけるとか、大罪じゃない?)
真由はプルプルと震えながらユーリウスの顔を見つめる。その背後から、セバスチャンがさらに言葉をかけた。
「どうしたんですか、さあ、早く!」
「待ってよ、こういうのは心の準備がいるんだってば!」
「こんなことをしている間にも、ユーリウス様はどんどん彼岸に近づいて行くんですよ!」
「まって、あんた、ちょいちょい私の世界に詳しいよね?」
「それは、いまは関係ないですよね」
「ううっ、わかってる、わかってるってば……」
真由は意を決して、ユーリウスの顔に唇を近づけた。どこからか微かに青リンゴの香りがした。
「うわっ、もしかしてイケメンって香りもイケメンなの? マジでヤバいわ……」
真由がいくら騒いでも、このイケメンに口移しで魔法を吹き込む――つまりキスをすることは確定事項なのだ。
「ヒール《軽回復》」
呪文をつぶやいて、真由はユーリウスの唇に自分の唇をそっと重ねた。初キッスはレモンの味だと世間ではいうが、真由の初キッスは青リンゴの味だった。
「ユーリウスさん、お願い、目を開けて」
ささやきとともに吹き込まれた回復魔法が、冷え始めていたユーリウスの体にじんわりと染み込んでゆく。とく、とくと小さく心臓が鳴り、土気色だった頬に赤みが戻った。
「う……」
小さなうめき声とともにユーリウスが目を開く。まだ寝ぼけているのだろうか、彼は自分に唇を重ねている真由の真剣な表情をぼんやりと眺めていた……と、次の瞬間、驚きに目を見開いて飛び起きる。
「まままま、真由さん? きききき、キス?」
真由は恥ずかしさのあまり、意味なくブンブンと両手を振る。
「ちちち違うのっ、回復魔法をね、口移しでね」
「ああ、なんだ、回復魔法を口移しですか」
「そうそう、回復魔法を口移し」
「……ってそれ、キスなのでは⁉」
「ちっがーうの!」
強く否定した後で、真由は後悔した。ユーリウスが眉を大きくハの字に下げてしょぼんとしてしまったからだ。
「そうですか、真由さんにとっては、あくまでも回復術でしかないということですね」
「あ、ちがうの、そうじゃないの」
「何が違うんです?」
「えっと……」
真由はこの時、今まで心の奥深くに封じていた自分の乙女心が静かに……静かに花開くのを感じていた。
「まって、ほんと、待って、気持ちが追い付かない……」
ユーリウスの美しい顔を見ているだけで、胸がうるさいほどに高鳴る。しかもユーリウスときたら無警戒で、そのとてつもなくきれいな顔をひょいと近づけてくるのだからたちが悪い。
「真由さん、気持ちって、なんの気持ちです?」
「ウヒャー!」
ついに真由は奇声をあげてユーリウスを突き飛ばした。
「あんまり近くに来ないで!」
「そんなあ……」
「違う、別にユーリウスさんが嫌いってわけじゃないのよ、でも、あんまり近づくと……」
真由が恥ずかしさに両手で顔を覆う。でも、その程度じゃ恥ずかしさは振り払えない。ついに真由は奇声をあげて走り出した。
「ウヒャー!」
ユーリウスがその背中に声をかける。
「ああっ、真由さん、どこへ行くんです?」
その言葉を発している形の良い唇にさっきまで触れていた、その時の感触を、香りを思い出すだけで真由の胸はドキドキを越えてドッカンドッカンと高鳴るのだ。
「少し頭を冷やしてくるだけだから、お願い、ほっといて!」
真由は今すぐにでも恥ずかしさにひれ伏してその場でゴロゴロと転がりまわりたい気持ちを押さえて、ようやくドアから飛び出した。
夜の闇に中に立ち止まって胸元を押さえてみる。
「なに、この気持ち……」
呼吸が苦しいのは走ったから。でも、動悸が激しいのは、それだけが理由じゃないような――
「甘い……」
胸の奥から湧き上がるむずがゆいような感覚に戸惑って、真由はその場に座り込んだ。
空から優しく降る星影が、戸惑いに揺れる真由の背中をぼんやりと照らしていた。




