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「おいおいおい! てめえ、誰に食わせてもらって大きくなったんだ!」
老馭者の恫喝にもネロリは怯まない。
「そのことに関しては感謝しています。孤児だった僕を拾ってくれて、食事を与えてくれて、仕事も教えてくれた。だけど、それとこれとは別なので」
「別ぅ? 何が別だっていうんだ!」
「僕はユーリウス様が好きです。もちろん、セバスチャンさんも、真由さんも好きなんです。そんな、僕の好きな人たちを傷つけるっていうんなら、僕は全力でみんなを守りますよ?」
「へえ、面白いな、お前ごとき小僧に何ができるってんだ」
「たいしたことはできないけれど、この場をひっくり返すことくらいならできると思いますよ?」
「どうやって? やってみな」
「そうですか? じゃあ、やってみますね」
ネロリはいきなりなんの前触れもなく、セバスチャンにかぶせられた投網を掴んだ。そこはやはり普通の投網とは勝手の違うところ、網から静電気に似た魔力の火花がパリパリと散る。
「無駄無駄、お前みたいなガキンチョの力で、魔力を込めた道具が扱えるもんか!」
しかしネロリはしれっとした顔、小さな声で魔法を唱えた。
「解呪」
ネロリの手元からガラスが砕けるような小さな音がした。それっきり投網は火花を飛ばすことをやめた。
「やった! 魔法なんか使うの、初めてだから不安だったんです!」
セバスチャンが投網を跳ね上げて身を起こす。
「初めてにしちゃ上出来だ! 才能あるぜ!」
老御者は慌てて真由の手を強くねじり上げた。
「おい、こっちには人質がいるんだぞ!」
「おっと、そうでしたね」
セバスチャンはわざとらしく両手を上げて無抵抗のポーズをとった。
「困りましたねえ、人質をとられていては、こちらはなんの抵抗もできませんねえ」
老御者がもう少し注意深い性格だったなら、セバスチャンの言葉がいかにも棒読みでセリフ臭いことを気にしたかもしれない。だが、この老御者は自分の勝利が揺らぎないものであると思い上がって、そうした負けの気配に気を向けるということを怠った。
「いいか、少しでもおかしな動きをしやがったら、この女の腕、へしおるからな!」
「わあ、こわい」
「そのナメたクチもやめろ! イラつくんだよ!」
「わかりました、つまり私は動くな、話すな、ということですね」
「ちゃんとわかってんじゃねえか」
「でも、私があなたのいうことを聞いたからって、真由さんを解放してくれるわけじゃないんですよね? それって、あなたのいうことを聞くだけ私が損するのでは?」
「そんなことはない! お前さえ始末することができたら、この女は解放してやってもいい」
「ほら、また、それ、嘘ですよね。とりあえず今、目の前にある状況を収めるために適当な口約束をしているだけですよね」
「そ、そんなことは……」
「話をするたびに、言うことがコロコロ変わりすぎなんだよ、アンタ。それに言葉を発するまでの反応速度が早すぎる。つまり状況やこれから起こりうる事態を考えに練り込むことすらしないで、思いついた言葉を思いついたタイミングで吐き出してるだけだってことさ」
「だったら、なんだって言うんだ!」
「別に、そのことに関しちゃ文句なんてねえよ。な、ネロリ?」
セバスチャンの言葉にハッとした老御者は、ネロリの姿が自分の視界の中から消えていることに初めて気が付いた。そして同時に、自分の背中にピタリと押しつけられた小さな手の感触、これがネロリのものであるということにも。
「くそっ! いつの間に!」
老御者は振り向こうとしたが、リンと響くネロリの声がそれを許さなかった。
「熱球!」
ネロリの掌に明るく光る熱球が灯る。そのエネルギーは老御者の背中を突き飛ばした。
「うわっ!」
突き飛ばされた反動で、老御者は真由の手を放してしまった。それをセバスチャンが素早く引き寄せる。
「ネロリ! お前もこっちへこい!」
そこは子供ゆえの機動力、ネロリは倒れた老御者の体をピョンと飛び越えてセバスチャンの背後に逃げ込んだ。
地面に倒れた老御者は、悔しそうな顔でネロリを見上げる。
「クソガキが! これぁどういうこった!」
これに答えたのはセバスチャンだった。
「アンタは、この子の能力をナメてかかったから負けた、そういうことだ」
「能力だと?」
「この子はずっと下を向いていただろ、あれは怖かったんじゃない、俺が説明する作戦と魔法の使い方をジッと聞いていたんだ。もちろん質問する隙なんてない、ただ聞いて、それで理解しなきゃならなかった。それでもこの子はちゃんと俺の説明を理解した、並じゃなく賢い子だよ、こいつは」
「そんなわけがない! こんな出来の悪いガキが!」
「出来が悪いわけじゃないのは、いま見ただろ、こいつは口頭で説明されただけの魔法をちゃんと使いこなしたじゃないか」
「嘘だ! こいつは物覚えが悪くって、仕事だって殴って叱ってようやく人並みに動ける程度のウスノロだ!」
「それさあ、言いたくないけどさあ……アンタの教え方が悪いんじゃないの?」
セバスチャンの冷たい視線を受けて、老御者は明らかに怯んだ。
「くそっ、このまま……終わりじゃねえからな」
老御者はふらふらと立ち上がって身構える。おそらくは捨て身で懐に飛び込んでくるつもりだろうと、セバスチャンは考えた。
「お前ら二人とも、俺の背後に! 守ってやっから、余計な動きをするなよ!」
セバスチャンはいつ何時どの方向にも魔法を打ち出せるように片腕を差し伸べて構える。
「さあ、来い! 消し炭になるまで焼き尽くしてやる!」
老御者は丸腰だ。それでも闘志を込めて両の拳を握り、セバスチャンを睨みつける。
「お前こそ来いよ、叩きのめしてやらぁ!」
「へえ、強気じゃないか、拳で魔法に勝てるとでも?」
「試してみるか?」
老御者は奇声を上げてセバスチャンに殴りかかる……と見せかけて、くるりと方向を変えてドアに向かって走り出した。つまり煽るだけ煽り倒しておいて逃走する作戦である。
これに虚をつかれて、セバスチャンは魔弾を撃ち出すはずだった腕を大きく空振りした。
「くっ、逃げるのか、卑怯者め!」
しかし老御者はあっという間にドアから飛び出し、夜の闇の中に姿を消す。
セバスチャンはこれを追いかけようとするネロリを押しとどめて、言った。
「ほっとけ、今はそれよりも、ユーリを回復してやることの方が先だ!」
たしかに、いま目の前には戦いを仕掛けてくる敵はいない。ならばユーリウスに一刻も早く回復術をかけて、これを蘇生させることの方が重要だ。
真由はセバスチャンの背後から抜け出し、床に伏したままのユーリウスのそばに駆け寄った。その体にはまだわずかに温もりが残っている。
真由はユーリウスの胸元に両手を押し当てて叫んだ。
「ヒール!」
異世界人である分の魔力が上乗せされている真由のヒールなら、三途の川を渡り切っていない魂を呼び戻すのに充分なだけの出力があるはず。
だがユーリウスは、ピクリとも動かない。
「セバスチャンさん! 魔法が効かないんだけど!」
「焦らないでください、マユさま! 体内に直接魔法を送り込んでやればいいんです!」
「どうやるの! どうやるのよ、それ!」
「唱えた呪文を口移しで!」
「ちょ、ちょっとまって、なんて?」
「口移しです!」
「それって、まさか!」
「キスですね」
真由が大きくのけぞった。
「ききききき!」
セバスチャンは一つも譲らず、キッパリと復唱する。
「キスです」
「うああ、キスぅ……他の方法は?」
「ありませんね」
おませなネロリは自分の両手で目を覆った。
「大丈夫だよ、僕、見ないから」
セバスチャンは真顔でパンパンと拍子を打つ。
「キース、キース」
「やめてよ、そんな……」
「キース、キース」
このまま放っておいては、ユーリウスは回復術さえ効かぬ本当の死を迎える緊迫した場面であるというのに……
「キース、キース」
パンパン、パンパンと鳴らされる手拍子がすっかり場の空気をぶち壊してしまっている。まるで飲み会でおふざけをするようなノリだ。
「待ってよぅ、キスとか、初めてなんだし……」
「あ、ソレ、キース、キース」




