13
「ユーリウスさんっ!」
叫んで駆け寄ろうとする真由の目の前に、老御者が立ちはだかる。
「残念だったな、嬢ちゃん、もう手遅れなんだよ!」
「そんなこと、ないもん! まだ……まだ間に合う!」
真由は、回復術の仕組みをセバスチャンから教わっている。死後すぐ、まだ、体の温もりが冷めないうちならば普通の回復を、体温が下がり切り死が確定した後も3日以内なら蘇生術で蘇らせることができる。残念ながら死後三日以上経つと、どんな蘇生術も効かずに永遠の死が訪れる……
「でもまだ! 蘇生術が効くはず!」
真由は老御者を突き飛ばそうと両手を伸ばした。
「どいて! ユーリウスさんを助けなきゃ!」
老御者はその両の手をはたき落としてニヤリと笑う。
「なあ、嬢ちゃん、落ち着いて考えてみなよ、あんた、なんでこの男を回復してやる必要があるのよ?」
「それは……」
「俺はサァ、勝手に違う世界に連れてこられて、勝手に回復術師なんかに仕立て上げられちゃったアンタに同情してるわけよ、それに、アンタに何か恨みがあるわけじゃねえし」
「ウソ! キラービーを使って私を殺そうとしたじゃない!」
「それはサァ、アンタが坊ちゃんの回復術師だからよ、ここでアンタが坊ちゃんに回復術を使わないって約束してくれるんなら、見逃してやってもいいんだが?」
命と引き換えだと言われたら……確かに真由にはユーリウスに義理立てする理由などない。だが……
「悪いけど、それはできないわ」
「なんでだよ、あ、元の世界に帰るためか? 安心しな、俺には魔族の知り合いが何人かいる、人間の間じゃ禁術とされている魔法を使う奴もいるからさ、アンタを元の世界に返してやることもできるだろうさ」
「そういうことじゃないの、これは……」
自分自身の中にある感情を言い表す言葉が見つからなくて、真由は口を閉ざした。
思えば真由の人生は、『推し』との死に別れの歴史であった。主人公の退路を拓くために敵地のど真ん中で自爆した気のいい上官……ヒロインに真実の愛を告げようと走っている最中に事故にあって想いを胸に秘めたまま散ったイケメン男子……裏切り者を告発しようとして暗殺された主人公の右腕として活躍していたインテリヤクザ……いったい、どれほどの推しを見送ったことだろう。
もっとも今までの推しは二次元のーーつまり画面の向こうの男たち、どれほど彼の無事を願っても、その想いが通じることすらない遠い世界の存在だった。
「でも!」
いま、土気色の顔色を晒して倒れている『推し』は、確かにいま、手の届くところにいる実在の相手だ。無事を思い描くだけではなく、真由は彼を救うための力も持っている。ならば動かずしてどうするのかと。
「ともかく、どいて!」
真由は先ほどよりも強く両手を張って、老御者を突き飛ばそうとした。しかし悲しいかな、女の力では老御者一人すら押しのけることはかなわない。逆に真由は老御者によって手首を捕らえられ、片腕を背中の真ん中まで捻り上げられてしまった。
「あうっ、痛い!」
「っつたりめーだろ、痛いようにしてるんだからよ!」
「はなして! ユーリウスさんを助けなくちゃなんだから!」
「させねえよ、てめえ、俺の邪魔をするつもりなら容赦はしねえ、死んでもらう!」
老御者は真由の腕を捻り上げたまま、ギラギラした目をネロリに向けた。
「おい、ネロリ、この女をここまで連れてきたのはお前だな!」
実際、現代日本で育った真由が馬など乗りこなせるはずがない。ここまで手綱を操ってきたのはネロリだ。
この少年は馬小屋から馬が引き出されていることにいち早く気づいた。さらに真由からユーリウスとセバスチャンの姿が見当たらないことを聞いて、この二人がなんらかの目的を持って馬で出かけたのだと考えたのだ。
だからネロリは馬を引き出し、真由を連れて二人の後を追った。子供の頃から馬の扱い方を叩き込まれてきたこの少年には、月明かりだけで馬を走らせるような夜道での騎乗にも長けていた。
ネロリの養父である老御者は、当然こうしたネロリの騎乗の腕を知っている。だからこそ、ネロリを責めたのだ。
「てめえ、どういうつもりだ? まさかここまで育ててやった恩を忘れて、俺に逆らおうっていうんじゃねえだろうな?」
ネロリは答えなかった。俯いて、ただ立っているだけだ。
「へ、怖くって声もでねえってか、よーしよし、そんな怖がらなくっても、ここからの態度次第で許してやらないこともない」
老御者だけが朗らかに笑う。
「ネロリ、そこにある魔剣ランベルトを持って来い、なあに、執事サマはその網をかぶせてある限り、全く無力だ、まずはそいつの目の前でこの女を切り刻んで、見せつけてやろうぜ」
その言葉を聞いて、真由は悔し涙をポロポロとこぼした。
――回復術がいくら強くったって、誰も救えないじゃない。
床に転がったユーリウスの体は、なんだかすっかり固くなってしまったみたいに見える。何かを求めるように差し伸べた腕は石で作った像みたいに指先の軽く曲がった形すらそのままに、ピクリとも動かない。そんな彼に駆け寄って、回復の魔法をかけることすらかなわない。
頼みの綱のセバスチャンは、なにやら怪しい術がかけられているのであろう網にとらえられてうめいている。見るからに簡単なその網はひょいと払いのければ簡単に拘束が溶けそうだが、こうして逆手にとらえられていては手を伸ばすことすらできない。
「私はやっぱり、推しが死ぬ女でしかないのね!」
真由の絶叫が相当お気に召したのか、老御者はにやにやと笑った。それから彼は、ネロリに向かって少し厳しい声を投げかけた。
「おい、早くしろ、ネロリ!」
しかしネロリは動かない。
「なにしてるんだよ、まさか、養父であるこの俺の言うことが聞けないっていうのか!」
ネロリがようやく顔をあげた。
「ええ、聞けませんね、養父さん」
「なにぃ!」
老御者の顔が、一瞬にして鬼の形相へと変わった。




