後輩からの誘い
イズルが闘技場Bに着いたのはちょうど試合が終わったタイミングだった。
「あそこにいるのはあいつだよな……?」
壇上にいる愛沢月乃は、さっきまでとは全くの別人だった。
無表情に足元だけを見つめる冷たい瞳。周囲からの声にも無反応。
それでいて見た目は可愛らしい彼女は、まるで置物のようだ。
「ルナ・プリンセスか……」
イズルが呟くと、下を向いていた置物の視線が動いた。その視線は、瞳にイズルを映すと止まった。
それから表情が少しずつ崩れ、ずっと閉じられていた口が一気に動いた。
「来てくれたんですね先輩! 嬉しいです!」
会場がざわめいた。すべての視線がイズルに向けられた。
それは――イズルにとっては最悪のできごとだった。
背中を向けて、足早に歩き出す。
その背中めがけて、壇上の少女は駆け出した。
壇上から飛び降り、試合を見ていた生徒たちの間をくぐり抜け、勢いよくイズルを追い抜き、最後はその正面に立った。
「先輩、さっきの続きをいいですか?」
その言葉に、周囲がざわめいた。
その反応を聞いて、イズルは察した。変な誤解をされていそうだと。
「ここじゃなくていもいいか?」
また周囲がざわめいた。言葉選びを間違えたと思ったが、今更どうにもできない。
「先輩が逃げないなら、私はどこでもいいですよ」
イズルは何も言わず歩き出し、月乃はその背中を追いかける。
月乃の足取りは軽く、まるで踊っているかのようだ。
それは壇上にいた置物の姿とは違う、イズルの知っている後輩の姿だ。
(どっちが本物なんだ?)
その答えを探すように、イズルは名前を呼んだ。
「愛沢月乃」
「つっきーです」
「愛沢」
「つっきーです」
「月乃」
「うーん……つっきーで! いやこの場合は月乃の方が特別感があるんですかね……うーん」
イズルの問いかけに、月乃は腕を組むと真剣に考えだす。
(やっぱり、置物なんかじゃないよな)
イズルの前の後輩は表情をコロコロ変える。置物とは程遠い、誰よりも表情豊かな女の子だ。
「やっぱり愛沢で」
「ちょっと、つっきーか月乃の二択の流れだったじゃないですかっ」
「俺は会話が下手だからな」
「むー、今それを言うのはズルいです!」
ほっぺたを膨らませて文句を言う姿は、年齢よりも幼く見える。
中学生を通り越して、小学生と見間違うほどだ。
「何がお前をそうさせたんだろうな」
「ん? なんのことですか?」
「気にするな」
人の言動にはすべて理由がある。
そして魔術には、その人物のすべてが映る。
使う魔術を見れば、何を考えて過ごしてきたのかが分かるほどに。
(さっきの試合を見そびれたのは痛手だったな)
もし試合に間に合っていれば、余計なことを考えなくてもよかったかもしれない。
「そういえば話ってのはなんだ?」
第二演習場が見えてきたところで、イズルは思い出したように言った。
すると――月乃は走り出した。
肩の上で整えらえた髪が揺れ、そのまま演習場に入っていく。
飛び跳ねるように片足でつま先立ちをして、くるっと180度回転をして、体がイズルの方を向いた。
だが視線は重ならない。
月乃は俯き、背中の後ろで手を組み、指先をそっと絡める。
右足の先は、落ち着かない様子で地面の同じ場所を何度もなぞる。
「……先輩」
そこまで言って、月乃の言葉は止まった。
風が吹き、その髪が揺れた。
それからフーっと息を吸うと、勢いよく顔を上げた。
「一緒にお昼を食べましょう!」
頬を赤らめ、瞳を少し潤ませながら、見上げるようにして言った。
「え? ……昼?」
イズルは戸惑った。その提案はあまりにもありふれたもので、月乃の必死な姿にあまりにも不釣り合いに思えた。
同時にイズルは思った。
(あいつらを燃やした俺が誰かと過ごしていいはずがない)
口を開きかけたその時だった。
「先輩と一緒に食べたいんです!」
先に言葉を発したのは月乃だった。
すがるように言うとイズルの答えを待っていて、その瞳は――不安で揺れていた。
「─―分かった」
イズルは気が付くとそう答えていた。そう答えることしかできなかった。
「……よかった」
緊張でこわばっていた月乃の表情は崩れていき、最後はぱっと明るくなった。
そして――校舎に向かって走り出した。
「お弁当を持ってくるので待っていてくださいね!」
そう叫ぶ月乃の顔は真っ赤で、教室に入るとその足は止まった。
息を整えるように深呼吸をすると、言葉が漏れた。
「よかった……よかったよ……」
誰もいない教室にその言葉は響いた。
一方その頃、イズルはひとり戸惑っていた。
「先に購買に行きたかったんだが……」
時刻は11時45分。今ならまだ並ぶことなく欲しいものを購入できる時間だ。
だが、時間の猶予はそれほど残されていない。
あと10分もすれば、購買は人であふれてしまう。たった10分の違いで、得られる戦利品と精神的な消耗は大きく変わる。
「とは言え、勝手に移動しても面倒そうだ」
先に月乃が戻ってきたときのことを想像して、イズルは購買に行くことを諦めた。
近くにあった木に背中を預け、空を見上げる。
3月の終わりには桃色だった葉っぱは、ほとんどが緑色になっている。
「一緒に花見をしようって話していたのにな」
そう話していたのは─―かつてのパーティメンバー。だが彼らはもういない。
周囲から孤立してしまったのだから仕方がない。卒業までずっとひとりで過ごすしかない。
そう思っていたはずだった。
「はあ、はあ……先輩、はあ、お待たせしました……」
イズルが振り返ると、そこには月乃がいた。
ひざに手をつき、肩を上下させていて、その手には可愛らしいピンク色の布に包まれたお弁当箱がある。
「それじゃあ行くか」
「行くって、どこにですかっ!? まさかこの数分で、気が変わったとかですかっ!?」
「違う違う。 購買に昼食を買いに行かないといけないんだ」
イズルの言葉に、月乃は驚いた顔をした。だがそれも一瞬で、一気にイズルまでの距離を詰める。
「何をバカなことを言っているんですか! 先輩が食べるのはこれですよ!」
そう言って月乃は、持っているピンクの包みを突き出した。
「バカはそっちだろ。 どう見てもそれはお前のだろ」
サイズは女の子用。華奢な月乃のイメージにぴったりの─―小さめのお弁当箱だ。
「文句を言わずに食べてください!」
月乃は包みをほどくと、イズルをその場に座らせて、膝の上に弁当箱を置いた。
「いやダメだろ」
「なんでですか!」
「俺がこれを食べたら、愛沢は何を食べるんだよ」
「つっきーです! ……って、そうではなくて、私は食べてもらえたらお腹いっぱいになれます!」
「そんなわけないだろ……」
言いながらイズルは悟った。これ以上は何を言っても無駄だと。
だから仕方なく弁当箱を開けた。
中には――卵焼き・ウインナー・サラダ・小さなおにぎりが入っている。
「やっぱりこれは受け取れない」
「そんなっ、美味しくなさそうでしたか……?」
無理やり弁当箱を渡した勢いはもうなかった。
その表情は悲しさに包まれ、今にも泣き出しそうだ。
「そうじゃない。 弁当はうまそうだ」
「だったら食べて……」
「どう見ても手間がかかっている。 俺のために作ったものなら別だが、そうじゃないなら受け取れない」
イズルは拒否したいわけではなかった。
もし食べてしまったら、罪悪感に襲われると思っただけだ。
「じゃあもし、もしですよ……先輩のために作ってきたら……食べてくれますか?」
「それならまあ、断る理由もないな」
「分かりました! 明日、明日ですよ! 明日ここで一緒に食べましょう!」
月乃は弁当箱を受け取ると走り去っていった。
「昼休みなのに行ったり来たり忙しいやつだな」
言いながらイズルは立ち上がった。
「明日か……」
誰もいなくなった第二演習場に風が吹き、イズルの頬を撫でた。
その風はいつもより心地よく感じられた。




