後輩の名は
「やあイズル、順調じゃないか」
壇上を降りたイズルに声をかけたのは、生徒会長・海崎メグリだった。
その通称はパーフェクト・セイバー。
筆記・実技・人望――どれをとってもトップクラスの文句なしの優等生だ。
まだ3年生になったばかりでありながら、すでに国の機関から声をかけられ、卒業後の進路が決まっている。
あの事件の後、イズルは生徒会長に聞いた。
「どうして会長は、毎日学園に来るんですか?」
進路の決まった生徒は、在学しながら働くことも少なくない。
メグリの実力であれば、喜んで迎え入れてもらえるはずだ。
「生徒会長だからさ」
「じゃあもし、生徒会長じゃなかったとしたら?」
「分からないね。 生徒会長になることしか考えていなかったからね」
そう答えるメグリは、本当に誇らしそうだった。
「ボクはね、この瞬間にしかできないことを全力で楽しみたい――それが学園で3年間を全うしようとする理由さ」
イズルにはその言葉の意味を理解できなかった。
少なくともその時のイズルには、この学園に留まってやりたいことはなかった。
すべてを燃やし尽くしたイズルには、もう何も残っていなかったから。
そして、あの会話から1ヵ月以上経った今も――イズルの何も見つけられていない。
「会長の試合はこれからですか?」
「そうだよ。 暇ならぜひ見に来てくれ」
「遠慮しておきます。 人前に出ると目立つので」
この瞬間でさえ、周囲はざわめいている。
なんであんなやつが会長と話しているんだ。
なんでなんなやつに会長が話しかけるんだ。
イズルにはそんな声が聞こえた気がした。
「あんなものはただの嫉妬だよ。 力を持つ者の宿命と言ってもいい」
「俺には力なんてありませんよ」
イズルはそう返事をすると歩き出す。
早くどこかへ行ってくれ――そんな周囲の視線から逃げるように。
試合会場を出て、やってきたのは第二演習場だ。
第二演習場は今は使われていない場所で、校舎からも離れている。
人があまり来ることがないので、ひとりで過ごしたいイズルにとっては最高の場所だった。
「あの女の人は誰なんですか」
そんなイズルの平穏を壊したのは、追いかけてきた後輩――ルナ・プリンセスだった。
「ルナは暇なのか?」
「あの女はルナって言うんですね。 すぐに排除します」
ルナ・プリンセスはファイティングポーズをすると、ステップをしながら、右に左にパンチを繰り出す。
「いや、ルナはお前のことだろ」
「知りませんよそんな女」
「周りがそう呼んでただろ」
イズルの言葉に、ルナ・プリンセスはため息をついた。
「そういうことですか。 先輩って、周囲に無頓着なフリをして、実はかなりのミーハーですね」
イズルは周囲に無頓着なつもりはなかった。
むしろ、人一倍周囲のことに敏感な自覚があった。
だって目立たないようにするためには、周囲がどう思っているのか知る必要があったから。
「つっきーと呼んでください」
「いや誰だよ」
「先輩は会話が下手ですか? この流れなら私の呼び方に決まっているじゃないですか」
ルナ・プリンセスは睨みながら言うと、自分の胸をポンと叩いた。
その胸はとても平坦で、可愛らしい見た目とよく合っていた。
「嫌だぞ」
「なんでですかっ」
「なんでって……普通に恥ずかしい」
イズルはあだ名で誰かを呼んだことはなかった。
1年間を共に過ごしたパーティメンバーでさえ、下の名前で呼ぶまでに1週間以上かかった。
「先輩も普通に男の子なんですね」
「むしろなんだと思ってたんだよ……」
「孤独を好むこじらせ系かと」
「ひどい言われようだな」
イズルはひとりでいたいわけではない。ひとりでいるしかないからそうしているだけだ。
そんなイズルを後輩はじっと見つめる。
「まだ何か言いたいことがあるのか?」
「えっと……そうですね……あのですね……」
今までとは違い、急に歯切れが悪くなる。心なしか、頬も少し紅い。
好戦的な姿は影を潜め、控えめで内気な少女が姿を覗かせる。
包み込む静寂がイズルにはくすぐったく感じられた。今すぐその静寂を壊したいと思った。
だが――イズルにはそれができなかった。
視線を右に左にしきりに動かし、必死に何かと戦っている後輩を前にして、「早くしろ」と急かしたり、「さっきと別人みたいだな」と茶化すことができるほどの気概は、イズルにはなかった。
やがて後輩は決意をしたように、視線をイズルに向けた。
唇が動き――静寂は壊れる。
「お呼び出しします。 1年生愛沢月乃さん。 至急、闘技場Bに来てください」
「うげっ、もうそんな時間でしたか」
静寂を壊したのは、後輩でもイズルでもなく、魔術決闘祭のアナウンスだった。
「それでは先輩っ、また後で」
後輩は大げさに言うと走って行ってしまった。
そのあまりにわざとらしい動きをした背中を見つめながら、聞こえた名前を思い出す。
「愛沢月乃……月乃だからつっきーなのか。 それで、月だからルナプリンセスか」
プリンセスというよりは猫だな。イズルはそう思った。
自分のタイミングで現れて、言いたいことだけ言って、自分の都合で去っていく。
まさに気まぐれな猫だ。
「そういえば、闘技場Bと言っていたな」
特にすることもないから。
暇だから。
――誰に聞かれるでもないのに自分に言い聞かせながら、イズルは歩き出した。




