CASE.079「ママ」
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「てるまえ」の数ある部屋の1つ。
家具がほぼすべてゥルル用のサイズに調整された、彼専用の部屋だ。
そんな中、唯一大人サイズのベッドの上で、ゥルルは布団にくるまって寝転がっていた。
【大丈夫ですか? ゥルル】
「うん……」
【もしかして、また人間たちにいじめられましたか?】
「ううん、違うよ『ママ』」
彼は誰かと言葉を交わしていた。
だが、この部屋に彼以外の人影はない。
傍から見れば、ゥルルは独り言を言っているように見えるだろう。
【もしかして、あの『アン』という人間ですか?】
「違うよ。アンねーちゃんは友達だよ……」
【お友達……?】
「うん。とっても優しいんだよ。それに、なんだか甘い匂いがする……」
すると、ゥルルは自身の角を擦り始め、目に涙を浮かべる。
「ぼく、ひどいことしちゃった……」
【泣かないで、私のかわいい坊や。大丈夫だから。『ママ』に話して?】
ゥルルは正体不明の何かに語りだした。
アンにふと角を触られ、思いきり警戒し、怖がらせてしまったこと。
せっかくできたクルキブリの外の友人なのに、拒絶してしまったこと。
あの時のアンの困ったような、怯えたような顔は、ゥルルの幼い純粋な心を静かに蝕んでいた。
「せっかくできた友達なのに……ぼく……全然いい子じゃなかった……」
【大丈夫ですよ、ゥルル。あなたはとても優しい心を持っています。きっとその子も、悪気はないって分かってるでしょう】
「……そうかなぁ」
すると、ゥルルの部屋の扉がコンコンと2回、優しく叩かれた。
【ほら、来ましたよ?】
「ゥルル、アンです。いる? おねんね中なのかな?」
「ア、アンねーちゃん……」
「さっきはごめんね。急に触っちゃって……。私、おバカだから……つい触っちゃったの。ごめんなさい」
ゥルルは飛び起き、布団を吹き飛ばす勢いで扉の前に立つ。
そしてすっと扉を開けると、そこには膝を曲げ、ゥルル目線になっているアンがいた。
「アンねーちゃん!」
ゥルルはアンの懐に飛び込む。
アンはそれを優しく抱擁した。
角に触らぬよう頭を撫で、子供をあやすように背中を軽く叩く。
「ぼくもごめんなさい。嫌じゃなかったよ。でも、びっくりしちゃったんだ」
「うん……うん……。ありがとね、ゥルル。扉を開けてくれて……」
ぎゅーっと、アンはゥルルを抱きしめる。
そして、そっと離した。
「じゃあ、私お部屋に戻るね? また明日会いましょ!」
「……」
立ち去ろうとするアンのローブを、ゥルルが掴む。
小さな抵抗を感じ、アンはすぐさま振り向いた。
視線を下に向けると、そこには小さな手でローブを摘まみ、くいくいと引いているゥルルがいた。
振り向いたアンを、潤んだ目でじっと見上げる。
口は閉ざしたまま。
それでも、何を求めているのかは十分すぎるほど伝わった。
「……」
アンの中で、母性のようなものが湧き上がる。
そのままゥルルに連れられて、部屋へと入室してしまう。
扉を閉めると、彼はベッドを指差した。
「一緒に寝る?」
「……(こくり)」
まだ子供だが、彼もいっぱしの男だ。
女性に一緒に寝たいと口に出すのは、どうやらさすがに恥ずかしいらしい。
アンはにこりと笑い、FREYAをがしゃがしゃと脱ぎ始める。
ひ弱なアンとはいえ、装備そのものはかなりの重量。
ごろごろと装甲が床に転がり、休ませていたシスターズも低出力のままふわふわと浮遊を始めた。
「ふーっ」
身体中の重りが外れ、アンは一息ついた。
体が絹のように軽い。
疲れと相まって、ゥルルという極上の抱き枕がいれば、すぐさま眠りにつけそうだ。
「どーん!」
アンは子供のようにベッドへ飛び込む。
ふふん、と笑い、ゥルルに向かって手を広げた。
「おいで」という合図。
ゥルルは頬を赤くし、そのままそっとアンの腕の中に潜り込む。
アンが布団を2人の上に被せると、中ではゥルルがスライムの姿に戻る動きを確認できた。
「おやすみ、ゥルル」
「おやすみ、アンねーちゃん」
そのまま、ものの数分も経たずして、2人は眠りへとつくのであった。
――――――
「これで一安心かしらね……」
「いやぁ~、初日から疲れたッスー!」
ミラは大きく背伸びをし、カイもようやくマイクを放した。
これほどまでに、精神を削られる任務というのも珍しい。
転送のイレギュラー。
ユグドラシルというスケールが巨大すぎる災害。
そしてドひよっこ執行官のアンの面倒。
この3要素が相まって、ミラとカイの負担を従来のそれより遥かに大きなものとしていた。
「お疲れだな、2人とも」
ユリスはまたもやコーヒーをカイとミラに送る。
今のところ、彼の仕事はたまのブレインストーミングとコーヒーを淹れることだけだった。
「ああー、今回はいつもより長丁場になりそうッス~」
「そうね。ちょっと休憩を挟んだ方がいいわ」
「同意したいところだが……本来、任務とはこういうものだ」
ユリスもまた、コーヒーを啜り始める。
「今まではドゥー執行官の戦闘能力、そして君の助力もあって任務を最短距離で走ってきたが……今思えば、あれが異常だ」
「んえ?」
何言ってんだコイツ、という顔をするミラ。
すると、任務開始から今までの間、長らくモニターに張り付いたままだったノルハイコが団欒に参入してきた。
「お、お2人とも自覚がないんですか……? すごいんですよ? 確か初陣からこれまで、毎回1日以内に任務を達成させるというのは、稀に見る早業なんです」
「うえ!? そうなんスか!?」
「は、はい。私達だって、この前の任務は執行までに丸3日かけたんですよ?」
「はえ~(一日以内が普通だと思ってた。あぶねっ)」
ノルハイコもコーヒーを淹れると、一服するかのように椅子へ座り込んだ。
ただでさえ胸元には、カイにも匹敵するメロンが二つもぶら下がっているのだ。
肩をこきこきと鳴らし、凝り固まった身体をほぐしていく。
「ノルちゃん、進捗はどう?」
「は、はい。現在サイモンが代行してくれてます。ログ追跡だけなら、彼は私とそう実力は変わりませんから」
「てことは、いまだ尻尾は掴めてないのね……」
「も、申し訳ございません……私の力が及ばず……」
「いいのいいの。ゆっくり慎重にいきましょ」と、カイはフォローした。
転送システムへの外部からの侵入。
これほどまでに派手な介入を行えば、足跡1つくらいは残るはずだ。
しかし、準特級オペレーターである彼女の技量でも足跡1つ見つけられないことから、相手は相当なやり手ということ。
彼女にできないのであれば、おそらく残るはミラか――。
「もしくは、あの第一執行部隊の特級オペレーターほどの実力者じゃないと無理ね」
「チッ」
ミラは激しく舌打ちをした。
「なーにが特級オペレーターッスか。あんなん、隊長がやべえだけのワンマンチームじゃないッスか」
「こら、ミラ」
「フン!」
「第一執行部隊隊長『ユーディト・ベルナデッタ』……。確かに彼女もドゥー執行官と同様、なかなかの異質な存在だ」
――第一執行部隊。
『転生者殺し』『対転生者のリーサルウェポン』『最強の執行官』という、名だたる二つ名を冠する隊長『ユーディト・ベルナデッタ』特級執行官率いる、RAC最強の執行部隊。
そして彼女の右腕たる、特級オペレーター。
第一執行部隊が最強たる所以はユーディトの存在もあるが、何より、RACにてたった6人しかいない特級官の内2人も抱えるという点だ。
特級官という最高位の職員は、その存在だけでも隊の価値を高めるほどのネームバリューを誇る。
各職種――執行官・オペレーター・監査官・裁定官・技術官・フィクサー。
この6職種につき、それぞれ1人しか「特級官」を名乗ることが許されていない制度なのだ。
よって特級官になりたくば、今その座にいる最高の職員を超えなければならないという完全な実力主義。
これが特級官の特別性を表しており、長いこと特級官の顔触れが変わっていない理由でもある。
「マジであのじ……ヘパーさんが特級なの信じられんッス」
「いつもはあんなだけど、腕だけは残念ながら優秀なのよねぇ……ドゥーのグレイプニルMK2を作ったのもあの人だし。ヘパーがいなかったら、そもそもこの特殊第六執行部隊自体、存在しないわね」
「ナニモンなんスか、あの人」
「知らんス」
なぜかカイは、ミラ風に返した。
執行部隊には明確な優劣は特にない。
だが偶然にも、その成績は1から6へと数字の順になっている。
最高は言うまでもなく第一。
そして最下位はいまだドッタンバッタンの特殊第六執行部隊。
発足された時期、部隊の規模などを考慮すれば仕方のないことだが、それでもその間には途方もない隔絶がある。
第一執行部隊とは、他の部隊から見ても文字通り別格の存在なのだ。
「十分、ミラさんにも特級の素質ありますよ!」
「え、えへへ」
「おべっかだぞ? ミラじゅ……オペレーター」
「うるさい!」とミラはユリスに飛び蹴りをかます。
眼鏡が吹き飛び、がしゃーんという音と共に床へ倒れ伏す。
馬鹿2人は置いておいて、カイはノルハイコと仕事の話の続きをすることにした。
「で、ノルちゃん。どう考える? あのオカマの話」
「ターゲット……ゥルルの過去のことですね……」
オカマとは、「てるまえ」という、ミラとカイが散々唾を飲み込んだ御馳走を披露した旅館の女将『サポーニス』のこと。
見ている限り、常識と良識を兼ね備えた立派な異世界人だ。
そして、ゥルルを非常に気にかけている。
「本当にあの子が転生者なのよね?」
「はい……異世界分析器の結果は絶対です。あの子が本案件の執行対象であることは間違いないかと」
「ハァ~~~」
カイは大きなため息をついた。
「あの子が神殺しねぇ……。なーんか裏があると思うのよね~~この案件」
「そうですね。情報録との乖離があまりにも大きいです。特に、ゥルルの転生時期が記録とまるで一致していません」
「……たしかに! そうじゃないの!」
ゥルル自体、異世界入りしたのは1年前という報告だった。
だが蓋を開けてみれば、彼は5年も「α-980-ノード89」にいる。
明らかな情報の齟齬であり、緊急案件にしては酷く違和感がある。
どう考えても何か裏があると、カイは頭を悩ませる。
すると、作戦室の扉が突然開いた。
「くそが! チビのくせに邪魔くせえんだよテメエは!!」
「ちっちゃいのが魅力だって隊長はいつも言ってくれてるし? この方が細かい作業できるし? どっかの図体と気だけ大きいおっさんと違って☆」
「こんんのクソガキ! おいカイ! コイツまじでどうにかしろ!! 特にこのバカげた語尾ッ!!」
カイにゥルルの過去の調査を頼まれた、ヘパーとルールーだ。
なんでこんな時に「厄介コンビその2」が戻ってくるんだろうと、カイは眉をひそめる。
そのままカイの方へ向かおうとしたヘパーだったが、途中でユリスの姿を見つけると足を止めた。
「おい、眼鏡」
「おかえり、ヘパー技術官」
「例のブツだ。てめえが任務前にしつこく頼み込んできたヤツだ、感謝しろ」
ヘパーは懐から薄い資料束を取り出し、ユリスへ放り投げる。
「昔の記録だ。掘れるだけ掘っといた。これ以上は知らん」
「助かる。恩に着るよ、ヘパー技術官」
ユリスはちらりとノルハイコへ視線を向ける。
当の本人はモニターと格闘するサイモンを気にかけており、こちらを意に介していない様子。
ユリスは資料を開くことなく、自分の手元へ静かに伏せたものの、「まだ話は終わってない」と後ろからミラに羽交い締めにされる。
「収穫はあったの?」
「あったよカイ姐☆ ほめてほめて~」
「はいはい、ありがとねルールー。で、どう?」
「どうもこうもねえ。真っ黒だぞ、この案件」
そう言い、ヘパーは別の資料を作戦テーブルに投げ捨てる。
その資料を拾い、カイは読み込む。
取っ組み合いが一段落ついたミラとユリスも起き上がり、資料を覗き込んだ。
「これって……」
カイが目を細める。
額には汗が浮かんでおり、相当まずい情報が書かれていることが見て取れる。
「え、何スか何スか!?」
「…………」
カイは全員が見られるように、テーブルの中央に資料を置いた。
そこには「α-980-ノード89」の作成者。
そして転生者であるゥルルこと――『日野 悠離』の転生を担当した神の名前が書かれていた。
その名も――。
「これは一体……」
「ヤバくないッスか、コレ?」
「興味深い……」
◇
「日野 悠離」転生担当:『イシス神』
「α-980-ノード89」作成者:『イシス神』
◇
ゥルルを転生させ、彼の世界を創り上げた創造主。
それは彼が殺した神――最上位存在の一柱であり、「主神」に名を連ねる『イシス神』その人であった。
【今回の用語まとめ】
■特級官
RACに存在する最高位職員。執行官・オペレーター・監査官・裁定官・技術官・フィクサーの6職種それぞれにつき、原則1人だけがその座を名乗ることを許される。
現任者を上回らなければ昇格できない、完全実力主義の地位。
■第一執行部隊
『ユーディト・ベルナデッタ』特級執行官が率いる、RAC最強の執行部隊。
隊長ユーディトに加え、特級オペレーターまで擁しており、RACにわずか6人しかいない特級官のうち2人が所属している。
■ヘパーの階級
特殊第六執行部隊の装備開発を担う技術官にして、現任の特級技術官。
『グレイプニルMK2』をはじめ、ドゥーの存在そのものを運用可能にした技術力を持つ。
■ゥルルの転生記録の齟齬
RACの記録上、ゥルルが『α-980-ノード89』へ転生したのは約1年前。
しかしクルキブリ側の証言では、少なくとも5年前にはすでにこの世界に存在しており、公式記録と明確に食い違っている。
■『日野 悠離』転生担当:イシス神
ゥルルこと『日野 悠離』の転生を直接担当した神。
その担当者こそ、本案件でゥルルが殺害したとされる主神級存在『イシス神』だった。
さらに、そのゥルルが転生した異世界そのものを創造した神もまた、イシス神。
つまりイシス神は**「ゥルルを転生させた者」「彼の世界を作った者」「そして彼に殺されたとされる者」**という三つの立場を同時に持つ。
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