CASE.077「ゥルル」
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それは粘体だった。
第一印象は、摩訶不思議な喋る水滴であった。
「…………へ?」
サポーニスは思わず呆けた声を出した。
ヘロメロスは依然として警戒しており、ロンショウは反対に、その初見のモンスターの姿に呆気に取られていた。
淡紅色の丸い身体。
柔らかそうで、ぷるぷる。
顔面のパーツは見当たらない。
それでも、不思議とこちらを見上げているのが分かる。
警戒心など欠片もない様子でこちらに近づいてくる。
爪のような武器はおろか、ウロコのような防具もない。
殺傷力が高いと思しき器官も一切なく、叩けばそのまま拳の形に拉げてしまうような造形。
強いて言えば、半透明な体の中心にある核らしき濃い球体と、丸みを帯びた2つの小さな角が気になるが、それ以外は場違いなほど無防備な姿である。
「あ、ちがう! この姿はダメなんだった! 今の無しね!」
粘体はぷるんぷるんと体を揺らしながら、草むらに隠れる。
そしてしばらくして、再び姿を現した。
「「「ッッ!?!?!?」」」
出てきたのは、先ほどのような粘体ではない。
少年だった。
髪色は同じ薄紅色の短髪。
頭には名残らしき角が2本。
それ以外はいたって普通の男の子だ。
「どういう……」
「ぼくはゥルル! 悪い子じゃないよ!!」
当然、誰も信用しない。
未開領域の奥に、子供が1人でいるはずがない。
何より、あの場所にいながら傷1つない時点で、普通の人間であるはずがないだろう。
それに、狩人である彼らだからこそ、このゥルルと名乗った個体の特異性が分かった。
匂い。
身体の作り。
言語。
その他諸々が、今まで見てきたモンスターのそれとかけ離れている。
いわば新種。
新発見のモンスターだ。
もしくは極限状態における幻の類か。
今はそう判断するのが正しいのかもしれない。
少なくとも、この状況ではそれが普通の思考だった。
だが、ゥルルは一向に彼らを襲わない。
襲わないどころか、ずっと手を広げ、何かを待っている。
(なにこれ、幻覚?)
幻覚ならば触れられないだろうと、サポーニスはおもむろにゥルルの頭へ手を伸ばす。
「おい姉御!」
(…………あ)
髪はとてもさらさらだった。
手入れが行き届いた綺麗な髪。
思わず撫で続けていると、ゥルルは嬉しそうににまにましだした。
「あなたは、何者?」
「? ゥルルだよ! ただの人間だよ!」
「いや、それは無理があるだろ!」ヘロメロスが思わず突っ込む。
この阿鼻叫喚の炎熱地獄で、人間の子供が無傷でここにいるわけがないし、それに最初は、粘体のような姿だったでバレバレの嘘である。
ゥルルはヘロメロスの声にビクッと身体を震わし、サポーニスはヘロメロスをギロリと睨みつけた。
「むぅ……」
「ごめんなさいね、うちの馬鹿が」
ゥルルの頭を再度撫でる。
サポーニスが目配せをすると、ロンショウはいまだ警戒心むき出しのヘロメロスを引っ込ませる。
「あなたはモンスターなの?」
「モンスター? ぼくはスライムだよ」
「ス、スライム……?」
聞いたことのない種だ。
少なくとも彼らの狩人人生において、「スライム」などという単語は聞いたこともなかった。
「私たちの前に現れた目的を教えてもらってもいいかしら?」
「…………」
優しく問いかけるサポーニス。
ゥルルは少し考え込む素振りを見せると、懐からごそごそと何かを取り出した。
「はい!」
「え」
それは木彫りのコップだった。
外見はでこぼこの出来損ない。彼の手作りだろうか。
「お水だよ」
「み、水……」
コップを受け取る。
本当に水なのかとじっと液面を見つめるが、視界がぼやけているのでうまく判別できない。
「水ぅ!?」
するとヘロメロスがロンショウの腕をすり抜け、サポーニスからコップを奪い取る。
そして何のためらいもなく、液体を飲み干した。
「んぐんぐんぐ……」
「ちょ、バカ、あんた!」
あれほど警戒していたにもかかわらず、水の存在を知った途端この有様だ。
水なしで3日も耐え続けた彼も、とうに限界だったのだろう。あっという間にコップ一杯の水を飲み干した。
「…………う」
「どうしたの!?」
「う」と言い、ヘロメロスがぷるぷる震えだす。
まさか毒かと、サポーニスがコップを奪い返そうとした瞬間――。
「うまああああああああい」
「………………」
「………………」
本当に水だったらしい。
ヘロメロスはコップの底に残る水滴を、意地汚く舐めようとする。
あまりにもはしたないので、ロンショウが後ろから拳骨を食らわせた。
「ゥルルとやら」
「?」
「もしや、水の場所を知っているのか?」
ゥルルは大きく頷いた。
サポーニスとロンショウは互いに目を合わせ、頷く。
賽は投げられた。
このまま野垂れ死ぬなら、この得体の知れない子供に懸けよう。
罠ならそれまでの話だ。
どうせ死ぬならばゥルルを信じることを、2人は決意する。新種のモンスターに殺されたのならば、それこそ狩人人生に箔が付くというおまけつきでもある。
一方で、その後の展開は早かった。
ゥルルは何事もなく、小さな川へと案内する。
一同は目を輝かせ、川へ飛び込むように水をがぶ飲みした。
ゥルルは健気にもコップに水を汲み、負傷者にも飲ませていたという。
さらに、彼は人間でも食べられる甘い植物を持ってきた。
毒のある実を避け、近づいてはいけない獣道を指差し、怪物の気配が近づくと誰よりも早く震え、危機を知らせてくれた。
負傷者が熱にうなされると、ゥルルはスライムの姿へ戻り、自分の冷たい身体で灼熱の夜気から守るように寄り添った。
言葉は拙く、説明も、何もかもがぎこちない。
何を考えているのか分からない時も多かった。
それでも彼がいなければ、彼らはその夜を越えることすらできなかった。
いつの間にか、生き残った者たちの間から警戒心は消え失せ、ゥルルを恩人として大いに感謝するようになっていたのだ。
――7日後。
生き残った8人は、骸都クルキブリの外壁を見た。
巨大な白骨のアーチが、朝靄の向こうに立っていた。
その光景を見た瞬間、ロンショウは膝から崩れ落ちた。
ヘロメロスはげらげらと笑い、負傷者の1人は声にならない声で泣いた。
サポーニスは、自分が泣いていることにしばらく気付かなかったという。
助かった。
帰ってきたのだ、我が家に。
死んだ22人を置いて、生きて帰ってきてしまった。
その事実に押し潰されそうになりながら、サポーニスは隣を見た。
ゥルル――自分たちを助けた小さなモンスターが、骸都の外壁を不思議そうに見上げていた。
「あなたには感謝してもしきれないわね、ウル坊」
「へへん♪」
サポーニスはゥルルの頭を撫で繰り回す。
今思えば、彼はただ自分たちを助けたくて顔を出したのだろう。
少なくともサポーニスには、そう思えた。
やがて自分たちが狩人だと知ってなお、ゥルルは態度を変えなかった。
危険を承知で、最後まで彼らを助け続けてくれたのだ。
なんて健気だろうか。
特にサポーニスとロンショウ、ヘロメロスの中で、モンスターの定義が揺らぎつつあった。
その時――。
「ボァアアアアァァアアアアッッッッ」
巨大な咆哮が後方から放たれる。
巨大な胸郭を震わせる重低音と、空を裂くような高音が同時に響く異様な咆哮。
何度も聞いた、悪魔の声。
奴だ。
「マジかよ!!」
「アイツ……まさか」
これまで、あまりにも厄竜の動きが大人しかったことには疑問があった。
彼らを仕留めるだけなら、辺り一帯を炎で包めばよかった話だ。
それをしなかったということは――。
「あたしたちは、あえて見逃されてたってわけね……」
厄竜は最初から彼らを見ていたのだ。
人間の巣窟へと帰るまで、虎視眈々と。
彼らを道案内代わりに、遥か上空から息を潜めて追いかけてきたのだ。
「まずいな……今のクルキブリにアイツとやり合う戦力はねえぞ!」
「くっ……」
サポーニスはゥルルを一瞥する。
もしや、彼がこの一連の流れに加担している可能性はないだろうか。
だが、すぐにその思考は消え失せる。
「………………!」
ゥルルは凄まじい形相で、厄竜を睨んでいた。
明らかな敵意。
これまで一度も敵対心を見せなかったゥルルが、初めて見せるむき出しのモンスターの表情であった。
「行って!」
ゥルルは叫ぶ。
「あなたを言って……」
「アイツはぼくが何とかするから! みんな先に逃げてね!」
「ばっ……あなたを置いてけるわけないでしょーが!!」
サポーニスは怒号で返す。
ここまで散々助けられ、挙句の果てに子供を殿代わりにさせてたまるかと。
彼らの中では狩人ではなく、“大人”としての矜持が爆発していた。
「ウル坊! お前にアレがどうにかできるってのか?!」
「大丈夫!」
「大丈夫なわけねーだろ! そのぷるんぷるんな体でどうするってんだ!!」
らしくないヘロメロスも、ゥルルを置いて行くのは相当堪えるらしい。
というか、そもそもゥルルが厄竜に勝てる見込みが全くない。
このあざといまん丸粘体が、あの化け物に勝てるイメージなど欠片も湧かないのだ。
「ぼく強いもん!!」
「バカ野郎!! 子供を置いてくなんざ、狩人以前の問題だ! なあ、てめえら!」
「「「…………」」」
負傷者たちは、力なくこくこくと頷いた。
誰一人として、ゥルルを置いて逃げる素振りを見せない。
だが――。
「むぅん!!」
突如、ウル坊はしびれを切らしたように人間の輪郭を崩し、巨大化する。
巨大な粘体の身体は、サポーニスたちを優しく包み込んだ。
(何何!?)
(何じゃこりゃー!!)
(ウル坊、てめえ……!)
「プッ!」
そして吐き出すように、彼らをクルキブリの方向へと飛ばした。
その勢いは凄まじく、どんどんゥルルの身体が遠ざかっていく。
「ウル坊オォォーー!!!」
サポーニスとヘロメロスは、空中で怪我人を必死に抱える。
ロンショウだけが目を僅かに見開き、ウル坊の方へと叫んでいた。
「絶対生き残れ!! そんでクルキブリに来い!!」
「………………」
「そこで盛大に祝ってやる!!」
「……………………」
「だから必ず、戻ってこいッッ!!」
やがて一同は地面へと激突する。
ロンショウが地面側へ身体を回し、自らを盾にしたことで、なんとか全員命だけは取り留めることができた。
薄れゆく意識の中、サポーニスはとある景色を見たという。
厄竜が相対する者。
それは奴と同じ、竜の姿をしていた。
――
帰還後、彼らはクルキブリの救助隊に発見され、無事救出された。
クルキブリは大いに喜んだ。
彼らを労い、涙し、熱い抱擁で出迎える。
だが、帰還者の誰も笑顔を見せることはなかったという。
22名という尊い犠牲。
そして恩人であるゥルルの、命を賭した殿。
彼らが目覚めた時には丸2日経っており、その頃には、厄竜とゥルルの激闘はとっくに終わっていたのだ。
後から聞いた限り、それはそれは凄まじい戦いであったという。
炎と雷、氷や嵐が所構わず発生し、神々のそれを連想させるほどの現象だったのだ。
やがて嵐は収束し、青空の下には厄竜どころか、草木1本も残っていなかったという。
そして彼らは、ひたすらにゥルルを待った。
ロンショウはいつの間にか門を見回る習慣をつけるようになり、ヘロメロスは積極的に狩りへ参加するようになった。
いずれも、ゥルルを探すためであろう。
もちろん、サポーニスは狩人ギルド本部に捜索の願いを出した。
ゥルルの献身的な態度。
そのおかげで救われたこと。
まさに彼が、厄竜からクルキブリを救ってくれたこと。
しかし、その訴えはいずれも狂人の戯言として退けられたという。
返ってきた言葉は、どれも冷たく――。
「だが、所詮モンスターだろう?」
――というのが、ギルドの見解だった。
そしてその日、サポーニスは流れるように狩人としての道を降りた。
名声も、実績も、今後の昇級も、厄竜追跡の生還者という肩書きも。
その多くを、あっさりと手放した。
当然、反対の意見も多くあった。
彼を慕う者。
ギルドの一部。
行きつけの武具屋。
以前から世話になっていた者たち。
その制止を振り切ってまで、彼が狩人から遠のいた理由。
「“所詮モンスター”ねぇ……」
彼の中で“モンスター”、そして狩人という存在の意義が曖昧になっていたのだ。
ギルドの見解も大いに理解できる。
人類とモンスターの間には、たった1週間ぽっちでは埋まらない深い溝と因縁がある。
それらから人々を守るために、狩人は生まれたのだ。
人類を。友人を。家族を。
大切な人をモンスターから守るための職だ。
だが、ゥルルはどうか。
彼はもはや、サポーニスの中では「モンスターか、人間か」という線引きの外側にいた。
こうなった以上、彼には狩人を続ける意義を見出せなくなってしまったのだ。
だからこそ、代わりに1つの場所を作ることにした。
今でも覚えている。
あの、ハノイが自分の腕の中で息絶える瞬間。
何もできなかった自分の無力さ。
故に彼は用意したのだ。
怪我をした者が休める場所。
腹を空かせた者が飯を食える場所。
外で戦う者が、一晩だけでも一息つける場所。
そして――。
――クルキブリにおけるゥルルの居場所。
それが、「てるまえ」の起源。
サポーニス自身が、あの日できなかったことを全て全うするための場所でもある。
そして、彼がいつ帰ってきても良いように。
サポーニスが栄光を手放してまで作り上げた、ゥルルがいつでも帰ってこられる場所だったのだ。
【今回の用語まとめ】
■ゥルル
厄竜追跡隊の生存者たちを未開領域から救い出した、謎のスライム。
水や食料、安全な経路を提供し、負傷者の看護まで行ったことで、ロンショウたちにとって命の恩人となった。
■狩人ギルド本部
クルキブリの狩人を統括する組織。
サポーニスからゥルル捜索の訴えを受けるも、「所詮モンスター」として退け、捜索には応じなかった。
■「ホテル・てるまえ」の起源
サポーニスが狩人を退いた後に作った、戦う者たちのための休息所。
怪我人が休み、腹を空かせた者が食べ、そして何よりゥルルがいつでも帰ってこられる場所として築かれた。
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