CASE.047「新たな誓い」
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※本作はカクヨム、小説家になろう、noteにも掲載しています。
時は流れる。
ヴォルツと穂香の同棲が始まって早1年。
すっかり穂香は宝国の暮らしに馴染んでいた。
家事はぼちぼち。手料理も大っぴらに絶品とは言えないが、それでもヴォルツにとってはどれもが至高の一皿である。
彼女の美貌も相まって、近所と打ち解けるのも早かった。
「ただいま帰りました、ホノカ様」
「ヴォルツさん! おかえりなさい!!」
――ああ、この声を聞くために自分は生きている。
そう思えるほどに、ヴォルツは有頂天であった。
結局あの夜、無断で食事会を抜け出したものの王から何らかの罰を与えられることはなかった。
一方で王家上層部はそれを良しとせず、彼に1年の謹慎処分を下したのである。
だがそれはヴォルツにとっても好都合だった。
戦地から離れたことで、民と触れ合う時間が格段に増えたのだ。
収入は激減したが、持ち前の身体能力を活かし、ひたすら民の困り事を解決することで日銭を稼いでいた。
いつしか王家の紋章は擦り切れ、その原型すら見えなくなった頃、ヴォルツと民の間にはたしかな絆が生まれていた。
「ホノカ様、何度も言っているでしょう。私のことは“ヴォルツ”だけで構わないと」
「ふふ、でもヴォルツさんだって“様”付けじゃない♡」
きゃっきゃうふふと、二人はじゃれ合う。
互いに抱きしめ合い、長い長い口づけを交わす。
そこにはまるで新婚ほやほやの夫婦がいた。それも、近所では噂になるほどのおしどり夫婦である。
「今日はなんのお仕事だったの?」
「はい、今日は大向さんの八百屋の手伝いを。午後には屋根の修繕です」
「ほら」と、八百屋から頂いた新鮮な大量の野菜を穂香へ見せる。
穂香ははにかみながらそれを受け取り、一つずつ保管庫へとしまい込んだ。
この時代に冷蔵庫のような便利な道具はない。
コンロや電子レンジ、その他電化製品という概念も存在しない。
いつしか穂香はここが元いた世界のどこか異国の地ではなく、もはや全く別の世界であることを薄々感じ取っていた。
だが、そんなことは彼女にとって些細なことだ。
素敵な旦那様(仮)に、優しい近所の人たち。
ネットがないこの世界では言葉による暴力も、愛していたはずの人からの理不尽な暴力もない。
それに比べれば、この世界はおとぎ話のように幸せな空間でしかなかった。
「じゃあ今日はポトフね」
「はい、楽しみにしております」
――――――
「おいしい! さすがホノカ様!」
「ふふ……よかった♡」
できたての野菜スープ、ポトフを口いっぱいに頬張り、ヴォルツは満足そうに飲み込む。
正直城で食べるような豪華絢爛な食事と比べれば、1段も2段も貧相だ。
だが、この一皿には心が籠っている。
穂香がヴォルツのためだけに作ったという想いが込められている。
それはヴォルツ特効の最高のスパイスとなり、勝手に彼の脳を刺激していた。
「本当においしい……特に今日のこれは! このベーコンのおかげでしょうか……」
「あ、気づいた? 今日は特別にお肉入りよ!」
「おいしいです……。ところで、一体どこでこんな立派なベーコンを?」
このご時世、肉は非常に希少だ。
それも豚のベーコンとなれば、その塊一つで1か月の食費が吹き飛ぶほどの高級品。それを一体どこで手に入れたのか。
「あ……あ、それはね、近所のお肉屋さんから頂いたの」
「そう……そうですか。そういえば前も新鮮な魚を頂いていましたね」
「………そうそう!」
最近、やたら夕飯の献立がほんのり豪華になっている。
時には貴重な菓子パンや魚、山菜などが混じっており、それは到底穂香が購入できるようなものではない。
ヴォルツはひとまず納得したような素振りを見せる。
だが、類まれなる観察眼は、穂香のわずかに泳ぐ目を見逃さなかった。
それは嘘の兆候である。
そもそも、近所の肉屋――その店主は頑固者で有名だ。
めったに値下げを行わず、相場よりも高い値段で貴重な肉を売りさばく、いわば守銭奴。そんな彼がそう安々とベーコンなど渡すだろうか。
穂香は基本家にいるので持ち金はない。わざわざ肉屋の店主がここへ届けに来たということになる。
(まあホノカ様は美しいですし、すり寄りたいという気持ちは分からないでもないですが……)
どうにも動機が薄すぎる。
だが穂香の「おいしいものを自分に食べてほしい」という想い自体は本物なのだろう。ヴォルツはその場では一旦考えるのをやめることにした。
「明日も早いの?」
「そうですね。朝には石畳の舗装の手伝いがあります」
「そう……じゃあ早く寝たほうがいいわね。今お風呂沸かすね」
「はい、ありがとうございます」
もやもやが晴れぬまま、ヴォルツはとりあえず穂香の家事に甘えることにした。
次の日もヴォルツが出稼ぎへ行き、穂香が家事をして帰りを待つという流れ。
来る日も来る日も、同じ工程。これこそが日常だ。
もちろんヴォルツは幸せだった。戦場から離れたことで、それはもう今までが悪夢だったと言っていいほど今の彼は夢見心地である。
だが、あの日から感じていた穂香への違和感は徐々に疑念へと変わっていく。
「ハァ……ハァ……」
「フゥ……今日もありがとうございました、ホノカ様」
「いいのよ……いいの、ヴォルツさん」
(………………やはり、何者かがここに……)
ここ数日、ヴォルツはいたる家具の位置に注意を配っていた。
枕の位置、棚の位置、ベッドの感触。
それらは確かに朝の状態から微妙にずれている。ほんのわずかだが、二人の体臭とは別の匂いも感じる。
戦場で研ぎ澄まされた彼の感覚は、拭いきれない違和感を捉えていた。あまり信じたくはない疑念が彼の中で渦を巻くのも無理はない。
よって次の日、彼は不遜ながら、出稼ぎに行くと言いつつ、その日は穂香の後をつけることにした。
(これはストーカーではありません。決してホノカの不義を疑っているわけではありません。宝国の男として当然の義務なのです……)
そう己の行動を正当化しつつ、穂香の行動を窺う。
何時間も、飯を取ることすら忘れて、ひたすらに家の入口が見えるぎりぎりの距離で待機する。
そして、運命の時は来た。
来てしまった。
「あれは……狩猟兄弟の……!」
狩猟を生業とし、山菜や兎肉など、山の恵みの売買で切り盛りをする兄弟がいる。
そのうち、気難しい性格で有名な兄が、穂香の家の入口に立っていた。
ノックをすると扉が開き、すんなり彼は我が家へ入っていく。その様子を、たとえ遠方からでも、確かにヴォルツは見てしまった。
「ホノカ様………」
当然、全速力――一応、街を破壊しない程度に緩めて、我が家へ舞い戻る。
裏口からこっそり侵入し、気づかれないよう家中を探索する。すると、寝室の方から声が聞こえるではないか。
「あ♡ はげし♡」
「あぁ! 最高だ! ホノカちゃん!!」
考える間もなく、ヴォルツはバァンと扉を蹴破った。
その衝撃で部屋中の家具が揺れ、埃が天井から舞い始める。
するとヴォルツの目の前――そこには素っ裸で体を重ね、ベッドの上で硬直している二人がいた。二人が夜を共にする、あのベッドの上で。
その瞬間、ヴォルツの視界は一気に狭まった。
同時に、体のありとあらゆる箇所に熱が籠る感覚に襲われる。だが対照的に、不思議と力は逆に抜けていく。
「ホ……ノカ……様。これは……」
「ヴォルツさん………なんで……」
「…………あぁ、ホノカ様。続きを……続きを……」
ピキッ。
どこかの血管がぷつんと切れる音がした。
これは怒りか。穂香の不義に対して? それとも狩猟兄に? あるいは――
この状況でもなお続けようとする狩猟兄の首元へ、ヴォルツは完全なる無意識で手を伸ばす。
だが、それを穂香は両者の間へ割って入ることで阻んだ。
「お願い! ヴォルツさん!! 違うの!! これは——」
「な、何が違うというのですか!? この期に及んで貴女はッ!!」
視界がぐらつく。
これが真の意味での絶望か。
体に力が全く入らない。思考も、なにもかもが鈍化している。
どさりとヴォルツが膝まずくと、穂香は狩猟兄へ「今日は帰って」と諭した。
すると彼は二つ返事でいそいそと服を着て、何度も穂香に礼を言いながら、その場を後にした。
「……………………」
「ヴォルツさん、あのね……」
「おーい、ロザリア様ーッ! 約束のもの持ってきましたぞぉー!」
「あぁもう!こんな時に……」
穂香は項垂れるヴォルツを置いて、玄関の声の主の元へ駆けていく。
この期に及んで自分ではなく来客を優先した彼女の行動に、さらなる深い絶望へ叩き落とされるが、思考は徐々に回復していた。
(なぜ……なぜなのですか……!)
理由が知りたい。
なぜ不義を働いたのか。自分に原因があるのか。それともこの貧相な生活ゆえか。
とにもかくにも、理由を知らぬ内は納得も絶望もできない。そう考え、ヴォルツはよろよろと穂香の後を追う。
初めての経験。
鉛のような体を引きずりながら、徐々に玄関へと近づく。
やがて穂香の背中が見えた頃、会話の内容が聞こえてきた。
「ロザリア様! これを」
「わあ! ありがとうございます!!」
「俺からはこれを!」
「いつもありがとうございます!」
「オイラからは――」
幾人もの男が玄関に群がっている。
魚屋の店主に、鶏小屋の経営者。向かいの八百屋の店主に、狩猟兄弟の弟の方まで。全員が全員、一癖も二癖もある連中だ。
この数と姦通を行ったというのか。というかロザリアって誰だ?
唖然としていると、一人の男と目が合ってしまう。
「おや、ヴォルツさんじゃないか! 今日はおさぼりですかな?」
「そ、そうなの……! 今日、具合が悪いみたいで……だから今日のところは――」
「あぁ、なるほど。かしこまりました」
「ではオイラ達はこれで退散します。どうか楽しんでください」
「ではでは!」
そう言うと男たちは一人、また一人と玄関から去っていく。
最後の一人が去った後、そこにはどんよりとした雰囲気のヴォルツと、腕一杯にお土産の品々を抱えた穂香だけが残された。
採れたての新鮮な魚や野菜、肉や卵など、一般市民がおいそれと購入できない貴重な品々が穂香の腕の中に揃っていた。
その異様な光景にヴォルツは口を開く。
「これは一体……」
「あのね——」
穂香は一つずつ頂いた品々を置くと、事情を説明し始めた。
「実はこんな感じで親切にしてもらってたの……」
「な、なぜ…………」
「も、もちろんヴォルツさんに少しでもおいしいもの食べてほしかったの……」
「それは……」
手がぷるぷると震えだす。
脳がより強く情報を整理し始め、ヴォルツの目に涙が浮かんだ。
「私が、至らないばかりに――」
「違うの!」
穂香は勢いよく、ヴォルツの言葉を遮った。
「私、不安だったの! いつかあなたに捨てられちゃうんじゃないかって!」
「な……そんなこと――」
「ヴォルツさんはかっこよくて、素敵で、真摯で、なんでもできて……みんなからスゴイ慕われてる。対して私は何もしてないし…家にいるだけ。何も返せてない! だからせめて家事とか料理で――」
最後まで言わせはしない。
ヴォルツは穂香へ急接近し、その細い肩を両手でわしっと掴む。
いつもとは異なる、力強い接触に穂香は大きく怯み上がる。
「ごめんなさ――」
「違う! 違う違う違う! 違うんですホノカ様!!」
「ヴォルツ……さん……?」
「私は、確かに幸せだったのです! 順風満帆だったのです!!」
肩を揺さぶり、必死に言葉を舌先で転がす。
「十分だったのです! 貴女という存在がいるだけで、帰る我が家に貴女が待っているだけで……私には十分なのです!」
「で、でも……」
「料理もそれはそれは美味しい! 王宮のそれとは、比較にならないほど!!」
ヴォルツは床に置かれた品々に目をやる。
そして再度、穂香の目を見る。
「貴女はまさか……これらを得るために、あんなことを繰り返していたのですか?」
「ごめんなさい……! ごめんなさい……!」
穂香もまた、目に大粒の涙を浮かべ必死に謝罪の言葉を連呼していた。
鼻水を垂らし、美人がすっかり台無しになってしまっている。とはいえ半端な美女のそれよりは遥かに美しい。
「こんなことをせずとも、まだ他の方法があるでしょうに……!」
「ごめんなさい……ごめんなさい…………でも私――」
「――これしか知らなくて……!」
その時、ヴォルツの脳裏に、彼ら二人が初めて会ったあの日のことがよみがえる。
たしかあの時も、穂香は「これしか知らない」とヴォルツへ体を差し出した。あれほどの衝撃、そうそう忘れるはずがないだろう。
それほどまでに彼女は、己の価値というものを低く見積もっている。本来であれば愛しきただ一人に差し出すべき体を、たかが物々交換と同じ価値であると認識している。それは、あまりにも悲しい事実だった。
ヴォルツには自然と穂香の過去の境遇、背景が勝手に想像されてしまっていた。
おぞましい過去。
想像するだけで腸が煮えくり返るような、そんな凄惨な過去。
いつの間にか彼女を掴む手をそっと放してしまっていた。
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 殴っても……蹴ってもいいから! もう好きにしていいから! だからここにいさせ――」
「ホノカ様ッッ!!!」
今度は、力一杯に彼女を抱きしめる。
もはや怒りなどどこかへ消え失せた。絶望も霧散した。
今はただ、目の前で涙する愛しき女性を抱擁する。ヴォルツにはそれしか考えられなかった。
「私はッ……貴女を愛している!! 心の底から!!」
「ヴォル――」
「こんなに健気に慕ってくれる方を、誰が責めましょうか!!」
ぎゅうっと、穂香の身体が潰れない程度に力強く抱きしめる。
そして今度は跪き、目線を大きく落とした。
それはまるで、騎士と王女の誓いのような体勢だった。
「私――ヴォルツは、ここに誓います。いかなる時もあなたを一人にはしないと! 決して傷つけはしないと!」
「…………ヴォルツさん…………」
「だから貴方様もお約束ください。決して、自分自身を蔑ろにしないと」
ヴォルツは穂香の右手を取り、手の甲に口づけをする。
3度の口づけ。
この慣習が宝国で意味するところ。それは――
「結婚してください。我が愛しの宝石よ」
【今回の用語まとめ】
■これしか知らない
穂香の自己価値観を象徴する言葉。
彼女は自分の身体を、感謝や対価、愛情を示すための手段として扱ってしまっている。
これは前世で形成された歪みであり、後のロザリアの“愛”にも直結する。
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